前田武彦
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前田 武彦(まえだ たけひこ、1929年4月3日 ‐ )は、放送作家、司会者、タレント。三桂所属。血液型A型。
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[編集] 略歴
東京芝生まれ。戦争中は予科練に1年半在隊し、特攻兵器「蛟龍」の搭乗員となり猛訓練を受ける。当時のことを婦人自衛官を特集した番組『そこが知りたい』において、婦人自衛官達のドタバタと自らの受けた訓練を比較してこれを一笑に付し、「(自分の受けた訓練は)優しさなんか一つも無かった。死んでいく人間に対して棒で殴ったりしていた…」と述懐した。また、「(戦争を)最後までやるのかと思っていたら終わってしまった」と首を傾げながら当時の心境を述べた。
戦後は鎌倉アカデミア演劇科に入学。村山知義や服部之総に学ぶ。なお、同じ科の同期にいずみたく、1年下に高松英郎がいた。卒業後、様々な職業につくが、やがてラジオやテレビの台本を書くようになる。
テレビについては、放送開始当初から放送作家(放送構成作家)として活動していたが、1960年代に入ってからは、洋楽チャート番組『東芝ヒットパレード』(TBSラジオ)などラジオ番組のパーソナリティーとして、タレント活動に主軸を置くようになり、1968年から放送された『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)の司会者で、「マエタケ」と言えば知らない人がいないほどの人気司会者となる。
『夜のヒットスタジオ』では、その毒舌で度々若手女性歌手を泣かせ、事務所からクレームが来ることも頻繁にあったという。また、自称「あだ名の名人」として、相手役の芳村真理を始め、スタッフ・出演歌手に数多くのニックネームを付け、『夜ヒット』の持ち味ともいえる「アットホームさ」を築いた。
1969年11月から1970年12月まで『笑点』の司会を務め、立川談志降板時の混乱を収拾するとともに現在に至る大喜利の基盤を確立させた。また、新オープニングテーマ(中村八大作曲)の作詞も担当した。しかし、多忙により地方収録で不在になるケースもあった。
1969~71年に放送された『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』(日本テレビ)の司会進行、1971~73年には、洋画に造詣が深かったことから『ゴールデン洋画劇場』(フジテレビ)の初代映画解説者を担当している。
インテリジェンスあふれる語り口に挿入される毒舌と、台本を無視しても生放送の時間内には時間を読み取って巧く収めてしまうという絶妙な話術は「フリートークの天才」とも称され、かつては大橋巨泉以上の人気を誇った。また、それまで台本を軸にしてその上で一言、二言程度アドリブを挿入する程度だったテレビ司会者の概念を大きく打破し、現在のテレビ司会者のMCスタイルの主流であるとも言える「フリートーク」「楽屋オチ」「世間話」の類を前面に出した司会術を確立させた功績は特筆に価する。
ところが1973年夏、『夜ヒット』生放送のエンディング時に日本共産党に向けて万歳をした問題が当時の鹿内信隆オーナー等から目の敵にされ(詳細は『夜のヒットスタジオ』の項を参照)、同年秋に番組司会を降板のやむなきに至る。その他の司会番組も相次いで交代・打切りの憂き目に遭い、数年間、仕事の数が激減するという苦い経験を味わった。一部では、大物司会者となりつつあった彼の人気や『夜ヒット』の好調ぶりに対して、心良く思わない放送関係者の策略に陥れられたとする「陰謀」説も囁かれた。
その後、1980年代前半には、『朝のホットライン』(TBSテレビ)のお天気キャスターを担当。「お天気マン」として親しまれ、徐々にテレビ出演の機会が増えるようになった。また、俳優としての側面にも開眼し、松竹『釣りバカ日誌』シリーズやTBS『想い出づくり。』にも出演するなど、マルチなタレント活動を続けている。
1999年、70歳(古希)を迎えた際、当時若者の間で人気スポットとなっていた「ヴェルファーレ六本木」で一風変わった古稀祝いパーティーを挙行し、大橋巨泉、芳村真理、堺正章、愛川欽也・うつみ宮土理夫妻など、彼と1970年代を中心にともに仕事をしてきた放送界の大御所が発起人として名を連ね、健在ぶりを示した。
[編集] 主な出演番組
- 昨日のつづき(パーソナリティー:時期不詳、ラジオ関東(現:アール・エフ・ラジオ日本))
- 東芝ヒットパレード(メインパーソナリティー:1963年-1973年9月、TBSラジオ)
- 象印歌のタイトルマッチ(審査員:1965年頃、日本教育テレビ(現:テレビ朝日)
- おはよう前田武彦です(司会:1965年頃、フジテレビ)
- お昼のゴールデンショー(総合司会:1968年4月-1970年9月、フジテレビ)
- 夜のヒットスタジオ(初代司会者:1968年11月-1973年9月、フジテレビ)
- ゴールデン洋画劇場(初代解説者:1971年4月-1973年6月、フジテレビ)
- テレビナイトショー(司会:1969年4月-?、フジテレビ)
- 天下のライバル(司会:1969年4月-9月、TBS)
- 巨泉・前武のゲバゲバ90分!!(総合司会:1969年10月-1971年3月、日本テレビ)
- 笑点(2代目司会者:1969年11月-1970年12月、日本テレビ)
- 夢の世界旅行・クイズジャンボ(司会 1970年、TBS)
- おやじバンザイ(2代目司会者:1970年10月-1973年3月、朝日放送=TBS系<当時>)
- マチャアキ・前武・始まるョ!(1971年4月-9月、日本テレビ)
- 前武のヤングアップ(司会:1972年10月-1977年9月、日本教育テレビ(現:テレビ朝日))
- 歌謡ハラハラサンデー(1977年-1978年、テレビ朝日、「ハラハラ大法廷」の裁判長役)
- 笑アップ歌謡大作戦(1979年-1981年、テレビ朝日、2代目校長)
- 日本歌謡大賞(1970年・第1回-1972年・第3回総合司会)
- 朝のホットライン(天気予報担当:1981年-1985年、TBS)
- 想い出づくり(金曜ドラマ、1981年、TBS)
- クイズダービー(ゲスト解答者:1987年7月18日、TBS)
- TVブックメーカー(ディーラー役:1991年4月-1992年3月、フジテレビ)
- そこが知りたい(司会:1987年10月~1993年、TBS)
- 今夜は最高!(1987年、日本テレビ)
- 火曜サスペンス劇場(日本テレビ系)
- 「虚構の空路」(1987年12月、大映映像)
- 「再会・殺意の方程式」(1988年12月、大映映像)編集長役
- 笑っていいとも!テレフォンショッキング(フジテレビ)
[編集] 主な出演映画
- 男はつらいよ 私の寅さん(柳文彦役、1973年、山田洋次監督、松竹)
- 祝辞(谷村部長役、1985年、栗山富夫監督、松竹)
- 釣りバカ日誌シリーズ(1〜9作、1988〜1996年、栗山富夫監督、松竹)
- 愛しのチイパッパ
- 晴れときどき殺人
- 青春デンデケデケデケ(羽島三郎役、1992年、大林宣彦監督、東映)
- マルヒの女
[編集] 主な著書
- 『お天気おじさんマエタケの天気図を読む本』 ISBN 4534009453
- (関根勤と共著)『前武・関根のおしゃべりに会いたくて―しゃべリスト養成講座』 ISBN 4907710771
- 『マエタケのテレビ半生記』 ISBN 4900963224
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- ニドーインターナショナル
[編集] その他
- 東京こどもクラブ(おはなしの朗読など)
[編集] 特記事項
- 平井和正原作の人気アニメ『エイトマン』の主題歌の作詞(萩原哲晶作曲・克美しげる歌唱)もしている。
- 『笑点』のテーマソング(中村八大作曲)は前田が司会をしたときから放送。なおこの曲は元々前田が作詞した歌詞がある。
- 海軍通信兵だったので手旗信号を解読することができる。
- 同姓同名の共産党所属東京都議会議員が存在する。
- 『世界一周双六ゲーム』の司会に間違えられることがある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年10月31日 (土) 06:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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