前田武志
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| 生年月日 | 1937年10月22日(72歳) |
|---|---|
| 出身地 | 奈良県吉野郡十津川村 |
| 出身校 | 京都大学大学院 |
| 学位・資格 | 工学修士 |
| 前職 | 衆議院議員 |
| 所属委員会 |
参・国土交通委員会委員 |
| 世襲 | 2世? 叔父・前田正男 |
| 選出選挙区 | 比例区 |
| 当選回数 | 1回(衆4回) |
| 所属党派 | 民主党(羽田グループ) |
| 党役職 | 党企業団体対策委員長 |
| 会館部屋番号 | 参・議員会館228号室 |
前田 武志(まえだ たけし、1937年10月22日 ‐ )は、日本の政治家。元衆議院議員(4期)。参議院議員(1期)。
自民党出身で、細川護煕・羽田孜政権に参加後、鳩山由紀夫政権までの間、自民党との連立政権(自社さ・自自公等)に参加することなく、一貫して選挙による政権交代を目指した国会議員の一人である。
[編集] 概要
科学技術庁長官・原子力委員会委員長を務めた前田正男は父方の叔父。 旧陸軍の名参謀として知られる故堀栄三は母方の叔父にあたる。
奈良県十津川村出身(特に幕末の活躍で名高い十津川郷士の末裔である)。五條中学、大阪府立高津高等学校を経て京都大学工学部を卒業。同大学大学院修了後、建設省に入省。河川局建設専門官・シドニー領事などを歴任の後、1983年の総選挙に自民党公認・木曜クラブ新人として出馬するが落選。1986年の総選挙で初当選し、山村・林業研究会会長や国土政務次官を務める。
1992年に経世会会長代行小沢一郎が羽田孜を担ぎ改革フォーラム21旗揚げや1993年新生党を結成するとこれに続き、そのまま新進党→太陽党→民政党→民主党と移籍。この間、衆院沖縄・北方問題特別委員長・逓信委員長・太陽党総務会長を歴任。2000年の総選挙で5選を目指すが自民党公認の田野瀬良太郎に敗れ比例復活も出来ず落選。2001年の参院選では時の権力者野中広務(当時自民党幹事長)氏からの自民党復党・公認での出馬要請(世間で言われる一本釣り)を断って民主党より出馬。一人区の奈良県選挙区で優勢が伝えられたが突如起こった小泉フィーバーの逆風のために落選する。2003年に奈良県知事選にも出馬するものの柿本善也知事に敗れている。相次ぐ選挙の惜敗を受け、「自民党にずっといれば今頃は大臣だったのに…」とその悲運ともいえる政治歴を惜しむ声も聞かれた一方で、政治生命は終わったと見る向きもあったが、2004年の参院選で比例代表から出馬し奈良県選挙区の新人候補前川清成との連携で実に4年ぶりに国政復帰を果たす。この際の選挙も非常に接戦であり、当確の報道が流れ万歳が行われたのは明け方(午前5時前)であった。
政権交代・政治改革を謳って成立した細川内閣を支えた保守系政治家の中で、竹下派七奉行に代表される当時の大物議員以外では、村山連立内閣成立で自民党が政権復帰を果たした後にも自民党に復(入)党することなく、政治活動を続けている数少ない政治家の一人である。
奈良県総支部連合会顧問。民主党娯楽産業健全育成研究会副会長。
2007年8月、企業団体対策委員長に就任。
2008年1月、在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」が民主党内に発足し、参加する。
[編集] エピソード
- 特徴的な大きな目がソフトバンクホークス前監督の王貞治氏によく似ており、ある週刊誌のそっくりさんコーナーで取り上げられたことがある。
- 叔父堀栄三の著書によれば3歳児の頃、航空総監の着任挨拶に先輩の堀丈夫元中将宅を訪れた山下奉文中将に可愛がられ車に乗せてもらったことがある。山下はフィリピンにおいても部下の堀に武志のことを何度も語り、堀との別れの折にも「あの子はもう小学生だろうかな、元気にしているだろうなあ」と語った(山下夫妻には子供ができなかった)。
[編集] 外部リンク
- 前田たけし 公式ウェブサイト(公式サイト)
- 民主党・奈良県総支部連合会
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最終更新 2009年11月6日 (金) 14:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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