前田知好
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前田 知好(まえだ ともよし、天正18年12月8日(1591年1月3日) - 寛永5年6月23日(1628年7月24日))は江戸時代の武将、前田利家の三男。母は利家側室の在(金晴院)。初名は利包。その後、知好と改名。通称は三九郎、修理。出家後は、有庵と号す。子女は前田好次、前田知辰、前田辰正。
兄利長の命によって慶長2年(1597年)に出家し、石動山合戦後天平寺に入り、伽那院と号して別当職となり、同9年(1604年)還俗。同15年(1610年)伯父の前田安勝の子前田利好が没すると、無嗣のため名跡を継いで、1万3750石を知行して七尾小丸山城主(七尾城代)となった。そして、大坂の役に従軍する。元和2年(1616年)、前田利常が兄の前田利長の遺言を守らず、優遇されなかったことを憂い、剃髪し有庵と号し、京の鞍馬山真勝院に隠棲した。寛永4年(1627年)4月、近江国宗沢寺に移る。寛永5年(1628年)、利常は前田利孝を使者に説得に了承して金沢に向かったが、近江国の道中で病となり、引き返して没する。享年39。法名、大巖院殿有庵宗無大居士。
なお、小丸山城は、一国一城令により廃城。城代の仕事は、小丸山地内に設けられた七尾町奉行に引き継がれた。
[編集] 参考文献
- 別冊歴史読本95 前田一族、(2002年、新人物往来社) ISBN 4-404-02795-8
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最終更新 2009年6月6日 (土) 14:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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