創成川

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創成川(そうせいがわ)は、北海道札幌市の中心を流れる石狩川水系伏籠川支流の一級河川である。札幌市を東西に画する起点となっている。江戸時代に「大友堀」として作られ、明治時代に「創成川」と改名された。長さ14.2km、流域面積は19.0km²ある。

目次

[編集] 流路

南三条橋からの眺め (2004年4月)
鴨々川と藻山橋 (2004年5月)

幌平橋付近の豊平川に源を発して北に向かう。札幌市の中心を流れ、札幌市北区石狩市との境界付近で伏籠川に合流する。

豊平川が作る札幌扇状地を流れ、流域は全面が平地で、札幌の市街地である。すすきの付近の南7条までの上流は鴨々川(かもかもがわ)と呼ばれ、流路が蛇行している。南7条からは流路がほぼ一直線になり、札幌駅付近までの中央区を経て北区東区の境を流れながら太平駅付近の学園都市線線路を潜り抜ける所までが中流で、そこから先の下流は北区内を流れる。鴨々川の部分を除き、創成川通(国道5号国道231号)が並走する。

上流の鴨々川は自然河川であったが、創成川開削の際に繋げられ運河の一部となった。ここでは毎年コイの放流が行われており、多くのニシキゴイの泳ぐ姿が見られる。中島公園には水遊び場も設けられている。

[編集] 歴史

1866年慶応2年)に幕府の役人・大友亀太郎札幌村を開く際に開削した用水路・大友堀が前身である。この堀は南3条付近から胆振川の水を引き、北6条、現在のJR札幌駅付近から東に進路を変え、逆S字を描くように流れたのち、大友の役宅の裏(現在の札幌村郷土記念館の東にある大友公園)で伏篭川に注ぐものであった。当初の大友堀は歩いてまたげるほどの小川だったと言う。

1870年明治3年)南6条から南3条にかけての上流部には吉田茂八によって吉田掘が、また北6条以北の下流部には寺尾堀が掘られ麻生町の裏で琴似川(現在の旧琴似川)に付けられた。1871年(明治4年)に船が航行できるよう拡張し、それと同時に創成橋が架けられた。後にこの橋から名をとって、大友堀は創成川と呼ばれるようになった。1874年(明治7年)には鴨々大水閘と2か所の水門を設けてさらに便をはかった。1880年(明治13年)に札幌まで鉄道が通ると、水運は廃止された。[1]

1895年(明治28年)、道庁によって寺尾堀を延長し茨戸まで一直線に北上する現在の下流部が開削された。当時寺尾堀を含むこの新しい下流部は「琴似新川」とよばれたが、1925年大正14年)ごろ北6条以東の旧大友堀の下流部が埋め立てられたこともあり、こちらを創成川とするようになった。明治時代に創成川下流はしばしば溢れた。

古い地図と記録によって、創成川付近に今は失われた小さな川や堀が他にいくつかあったことが知られる。

[編集] 周辺開発

創成川は小さな川であるが、札幌中心部の都市計画において東西の基線とされ、現在でもこの川を境に東○丁目、西○丁目と住所が分かれ、北5条付近から麻生町付近までは北区東区の区界ともなっている、札幌市民にとっては存在意義の大きい川である。だが現在では水量も減り、特に両岸を交通量の多い幹線道路(創成川通)に挟まれた中流域ではその流れが人々の目に触れることは少なくなっている。このため札幌市では創成川通のアンダーパス化を行い、地上部を遊歩道にして川に親しめるようにする計画を進めているが、その計画の是非やあり方をめぐっては市民の間で活発な論議が交わされている。

創世1.1.1.区
札幌市が進めている都市計画に、「創世1.1.1.区」(そうせいさんく)があり、大通公園と創成川が交差するエリアを対象とした再開発が計画されている。その一つとして創成川付近でのアンダーパスの連続化工事が行われている。現状では大通公園の北側の通り(北大通)から創成川を越えて東に向かうことが出来ない[2]ため、このアンダーパスを南側にあるアンダーパスと直結することで東西の交通を活性化し、さらにアンダーパスの上の土地を緑地化する整備を進めている。しかし地元住民には、土地利用の方法に関して異論があったり、工事費に対する効果を疑問視する声もある。

[編集] 脚注

  1. ^ 『北海道名勝誌』38-39頁。
  2. ^ アンダーパスに阻まれているため、一旦1本北の通りに出る必要がある。

[編集] 参考文献

  • 北海道庁『北海道名勝誌』、1911年。

[編集] 外部リンク

[編集] 関連項目

最終更新 2009年9月28日 (月) 09:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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