加藤三彦

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バスケットボール選手
加藤三彦
MITSUHIKO Kato
名前
本名 加藤三彦
ラテン文字 MITSUHIKO Kato
日本語 加藤三彦
基本情報
日本
誕生日 1962年5月5日(47歳)
出身地 秋田県横手市
選手情報
ポジション G
経歴
1981-1987 秋田いすゞ自動車
監督歴

加藤 三彦(かとう みつひこ、1962年5月5日 - )は、秋田県横手市(旧大森町)出身のプロバスケットボール指導者である。

目次

[編集] 来歴

[編集] 選手

大森中時代のポジションはセンターだったが、能代工業高校入学後にガードへ転向。2年でインターハイウィンターカップ2冠、3年では主将として国体も合わせた3冠を経験する。

筑波大学を経て、秋田いすゞ自動車(現在の横浜ギガスピリッツ)に入社。選手として活躍し全日本のメンバー入りも経験。

[編集] 指導者

1987年、バスケットボール部の横浜移転などにより退社。現役を引退し指導者に転じる。同年、母校である能代工に赴任。バスケットボール部コーチに就任。1990年、監督に昇格。

コーチ・監督を通じチームをインターハイ12回・ウィンターカップ10回・国体7回優勝へと導き、長谷川誠田臥勇太ら日本を代表する選手を数多く育てた。

1995年から5年間は全日本ジュニアのコーチも務めた。

2000年には「人間力大賞」、2006年には「文部科学大臣優秀教員表彰」を授与されている。

2008年3月、監督を教え子である佐藤信長に禅譲し、能代工を退職。同年4月、日本バスケットボールリーグ(JBL)に参戦するリンク栃木ブレックスのヘッドコーチに就任(3年契約)。しかし、同年11月に就任7カ月、10試合終了時点で更迭された。その時点でのチーム成績は3勝7敗、8チーム中6位。

2009年4月、bjリーグアカデミーのテクニカルアドバイザーに就任。

なお、能代工の礎を築いた加藤廣志元監督(現・能代山本スポーツリゾートセンター・アリナス館長、秋田県バスケットボール協会会長)とは血縁関係はないが、師弟関係にある。

[編集] 経歴

選手
  • 能代工業高 - 筑波大 - 秋田いすゞ(1981年〜1987年)
指導者
  • 能代工業高コーチ(1987年〜1990年) - 能代工業高監督(1990年〜2008年) - リンク栃木ブレックスHC(2008年)

[編集] 関連項目

先代:
金田詳徳
リンク栃木ブレックスHC
2008
次代:
トーマス・ウィスマン

最終更新 2009年9月15日 (火) 03:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【加藤三彦】変更履歴

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