加藤善行

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加藤 善行(かとう ぜんこう、1947年6月19日- )は、元競輪選手。現在は富士大学自転車競技部監督。岩手県出身。日本競輪学校第29期生。現役時は日本競輪選手会青森支部所属で登録地は岩手。

[編集] 戦績

岩手県立紫波高等学校日本大学ではアマチュア自転車競技界の第一人者として活躍。大学卒業後は郷里の岩手県に戻り、高等学校社会科教諭となったものの、自転車競技にかける思いを断ち切れずにいた。

しかしながら当時、加藤が得手としていたロードレースを中心とした長距離種目ではプロ選手となる道は日本国内にはなく、そのためしばらく葛藤状態が続いたが、日本競輪学校の受験年齢制限(満24歳未満)が迫っていたこともあり、競輪選手への転身を決意。1971年に第29期生として入学した。同期には、デビュー戦以降21連勝を達成することになる同郷の阿部良二トヨタ自動車のサラリーマンから転身した久保千代志天野康博らがいた。デビュー戦は1972年4月9日取手競輪場(1着)。

1973年には、日本のプロ自転車選手として初めて、プロロードレースの世界選手権に出場。もっとも、本職のプロロード選手でないハンデを補うことはできず、途中棄権を余儀なくされたが、この年の世界チャンピオンとなったフェリーチェ・ジモンディや、エディ・メルクスといった選手たちと共に戦った経験は、後にロードレースでも、日本人プロ選手が誕生する運びへと繋がっていくことになる。

一方、競輪においても1975年の3月には第28回日本選手権競輪で初めて決勝に進出(6着)すると、同年9月に前橋競輪場で初めて特別競輪が開催された第18回オールスター競輪において、当時、地元・群馬の2強であった福島正幸稲村雅士を撃破し優勝。同期の中で最初に特別競輪(現在のGI)を制覇した。もっとも特別競輪の優勝歴はこのオールスター1回限りであったが、その後上述した同期の中から順番に、阿部、天野、久保がタイトルを手中に収め、花の29期生とも呼ばれるようになったことから、同期の最年長選手でもあった加藤がオールスターを制した意味は大きい。

なお現役当時から元教員経験者ということや、自転車競技に卓越した理論を持っていたことから、選手仲間からは先生と呼ばれており、長い間活躍を続けていたが、2002年7月31日に選手登録削除。通算勝利数345。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年9月17日 (木) 05:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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