加賀谷武夫
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加賀谷武夫(かがや たけお、1939年12月28日 - )は、日本の銀行家。北都銀行相談役、前頭取。秋田県秋田市出身。
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[編集] 略歴
- 1958年-秋田県立秋田高等学校卒業[1]
- 1963年-早稲田大学政治経済学部卒業後、羽後銀行入行。(1993年4月 秋田あけぼの銀行と合併、北都銀行に商号変更 )
- 以降、業務部長、大館支店長、営業企画部長、市場金融部長兼市場金融課長、総合企画部長兼資金証券部長等を歴任する。
[編集] 人物
実家は秋田港近くの鮮魚問屋。3、4年、銀行で経験を積んだら、家業を継ぐつもりでいた[2]。
1963年、早大卒業後、当時横手市に本店のあった羽後銀行入行。大館支店長、営業企画部長、総合企画部長、取締役人事部長等を歴任する。
北都銀行移行後は、8年間の齋藤隆夫頭取(同期入行)体制を常務、専務として支え、企画、人事を長く担当した。 頭取在任時は、ビジネス商談会を軌道に乗せ、エリアサポートチームを新設したほか、みちのく銀行、荘内銀行、東北銀行と債権流動化で提携をむすんだ。さらに、勘定系システムを自営から、PROBANKシステムに切り替える施策を行った[3] [4]。
荘内銀行との経営統合に際し、経営陣の刷新により新体制で統合協議に臨むべく、任期1年を残し在任5年ではあるが頭取を退き、非常勤の相談役に就任した。後継の頭取には、代表権の付与のない専務であった斉藤永吉が、代表権のある専務を抜いて昇格した[5]。
夫人との間に二男。趣味はゴルフ。
[編集] 脚注
- ^ 秋田紳士録 1984年 秋田魁新報社
- ^ 日本経済新聞2003年7月3日
- ^ ニッキン縮刷版2003年 日本金融通信社
- ^ 方針決定および当初の移行日程は、齋藤頭取時代であったが、PROBANKの問題により、3年ほど延期され、当初の移行予定日程と前後して就任した加賀谷頭取が方針を変えないことを決断したため、2006年の加賀谷頭取時代の移行となっている。
- ^ この代表取締役専務であった菅原晟も、加賀谷と同時に退任し、現在は関連会社(北都情報システムズ)の代表取締役となっている。
[編集] 参考文献
- 日本金融名鑑(上)2003年 日本金融通信社
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最終更新 2009年11月9日 (月) 10:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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