勢多郡

勢多郡の最新ニュースをまとめて検索!

令制国一覧 > 東山道 > 上野国 > 勢多郡

日本 > 群馬県 > 勢多郡

勢多郡 (せたぐん) は、群馬県上野国)北東部にあったである。

勢多郡
画像:群馬県勢多郡.png
画像:勢多郡・番号付き.png

消滅前日の2009年5月4日時点の町村

明治以前までは赤城山の山麓全域にまたがる郡であった。

目次

[編集] 歴史

郡名の初見は『続日本紀』の天平勝宝元年閏5月20日。勢多郡少領の上毛野足人が記されている。このため上毛野氏の勢力範囲にあったと思われる。建郡年代や古代の郡域は共に不明であるが、中世には赤城山を中心にその山麓に広がっていた。

延喜式神名帳には名神大社である赤城神社(論社3社)が記載される。また赤城神社は上野国二宮でもある。

荘園については、大室庄、拝志庄、山上保、大胡郷などが郡内に存在していた。山上、大胡からはのちに秀郷流藤原氏の山上氏、大胡氏が出ている。

戦国時代、上杉憲政が上野での勢力を喪失したのち、勢多郡は武田氏長尾上杉氏後北条氏の三勢力の接する場となり、領主もめまぐるしく変わる争奪地となった。その後武田・上杉の勢力後退によって、天正年間後期にはほぼ全郡が後北条氏の勢力下に入った。 後北条氏の後、徳川家康配下の諸大名に勢多郡は領有された。南西部に前橋藩、南部に大胡藩、北部に沼田藩、そのほか天領旗本領が混在していた。1616年(元和2年)には領主転出に伴い大胡藩が前橋藩領となった。

明治時代になると、旧天領・旗本領は岩鼻県となり、旧前橋藩領は前橋県となった。1871年(明治4年)の廃藩置県後には全域が群馬県となったが、県の変遷に伴い、1873年(明治6年)に熊谷県1876年(明治9年)に群馬県になった。 1878年(明治11年)、郡区町村編制法制定に伴い、郡は赤城山を境に南北に二分され、赤城北麓に北勢多郡、南麓に南勢多郡が成立した。北勢多郡の面積は小さく、1896年(明治29年)に利根郡に編入された。同時に南勢多郡は東群馬郡と合併して勢多郡が再び成立した。

[編集] 沿革

[編集] 勢多郡(~1878年)

  • 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法制定に伴い、勢多郡が北勢多郡と南勢多郡に分割される。

[編集] 勢多郡(1896年~2009年)


明治22年4月1日 明治22年 - 昭和25年 昭和26年 - 昭和30年 昭和31年 - 昭和63年 平成1年 - 現在 現在
旧東群馬郡 下川淵村 下川淵村 昭和29年4月1日
前橋市に編入
前橋市 前橋市 前橋市
上川淵村 上川淵村
明治34年4月1日
前橋市に編入
前橋市
前橋町 明治25年4月1日
市制
旧南勢多郡 桂萱村 桂萱村 昭和26年4月1日
三俣の一部を前橋市に編入
昭和29年4月1日
前橋市に編入
芳賀村 芳賀村 昭和29年4月1日
前橋市に編入
南橘村 南橘村 昭和29年9月1日
前橋市に編入
木瀬村 木瀬村 昭和30年4月1日
前橋市に編入
木瀬村 昭和32年2月20日
城南村
昭和35年4月1日
一部を前橋市に編入
昭和42年5月1日
前橋市に編入
荒砥村 荒砥村 荒砥村
大胡村 明治32年5月24日
町制
大胡町 大胡町 平成16年12月5日
前橋市に編入
粕川村 粕川村 粕川村 粕川村
宮城村 宮城村 宮城村 宮城村
富士見村 富士見村 富士見村 富士見村 平成21年5月5日
前橋市に編入
敷島村 敷島村 敷島村 昭和31年9月1日
赤城村
平成18年2月20日
渋川市の一部
渋川市
横野村 横野村 横野村
北橘村 北橘村 北橘村 北橘村
新里村 新里村 新里村 新里村 平成17年6月13日
桐生市に編入
桐生市
黒保根村 黒保根村 黒保根村 黒保根村
昭和33年2月1日
山田郡大間々町に編入
平成18年3月27日
みどり市の一部
みどり市
東村 東村 東村 東村


最終更新 2009年5月8日 (金) 10:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【勢多郡】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!