化学兵器

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南アフリカ [編集][ノート]

化学兵器(かがくへいき)とは、毒ガスなどの毒性化学物質を使い人や動物に対して被害を与えるために使われる兵器のこと。化学兵器禁止条約では、毒性化学物質の前駆物質や、それを放出する弾薬・装置も含むものとしている。リシン細菌毒素などの生物由来の毒性物質を用いる場合は、化学兵器ではなく生物兵器に分類されることが多い。

目次

[編集] 概要

化学兵器は、NBC兵器の一角“C”(Chemical)をなす大量破壊兵器のひとつである。一般的には毒ガスとして知られるが、常温下で気体であったり高い揮発性を持っていたりするものばかりではなく、液体が噴霧された霧状の状態で効果を発揮するものも含む。今日の「毒ガス」兵器と呼ばれる物は、常温下に於いて液体(粘度の高いものを含む)の物が多い。マスタードガス(イペリット)やサリンVXガスなどが著名である。

化学兵器と呼ばれる範囲は時代や条約によって若干異なり、警察の催涙ガスとして現用されるクロロアセトフェノン(CNガス)のように後遺症の恐れは少ないものも、軍事用に使われれば化学兵器に含めることがある。化学兵器禁止条約では、2条に化学兵器の定義を置き、このほか特に検証措置の対象とする種類については附属書の表に記載している。日本政府の同条約解釈では、致死率の低いジフェニルシアノアルシンないしジフェニルクロロアルシン(両者の旧日本陸軍呼称「あか剤」)及びCNガス(同じく「みどり剤」)を化学兵器としている[1]

近代的な化学兵器は第一次世界大戦で登場し、大量に使用された。しかしその後は、禁止条約が発効したことに加え、後述する特性から運用が難しいために実戦使用例は限られている。

アメリカ陸軍MGR-1ロケット弾の化学クラスター弾頭。子弾にサリンを充てんする。

初期には有害で人体を蝕む化学反応を起こす物が利用されたが、1930年代後半にはサリンなどに代表される神経性の毒物(神経ガス)が開発された。神経性の毒物は、神経系の信号伝達を不可能にして破壊する事から、少量でも致命傷となり、生存しても予後が悪く運動機能や感覚機能に後遺症が残りやすいとされる。また人体の代謝機能を破壊し、徐々に人体を蝕む薬品もあり、即効性は無いものの致死性のこれら兵器では、予後は極めて悪い。致死率は低くとも重篤な後遺症の危険性があるものもある。

冒頭で述べたように、毒ガスとは称しても常温・常圧では液体や固体の物が多く、霧状や微粉末にして散布したり、砲弾爆弾に充填して爆発の衝撃で飛散させることによって兵器としての効果を発揮させる。ミサイルロケット弾弾頭、さらには地雷手榴弾に充填させる方法で使用されることもある。常温で塩素などは、ボンベに充てんして戦場に流出させる方法もある。なお、過去には毒ガス以外に刃物に毒物を塗るといった研究もされているが、近代戦での実用例はない。

[編集] 兵器としての特性

兵器としては以下のような「長所」を持つ。

  • 防護装備の不十分な目標に対しては、一度に多数の死傷者を生じさせることができる。(大量破壊兵器)
  • 核兵器に比べると、開発や生産が技術的に容易である。
  • 心理的効果が高く、敵兵に恐怖心を与える。
  • 火薬使用量が少なく、通常弾薬の生産と競合しにくい。
  • 種類によっては殺傷効果に持続性があり、敵の進撃経路を継続的に限定できる。

他方で、次のように兵器としては運用が限定される「短所」もある。

  • 散布状況が天候や風向きに左右されて効果が予想できず、味方や非戦闘員(民間人)に被害を与えかねないこと。
  • 現在では戦線の歩兵はガスマスクを携行し、車両は対NBC兵器装備を備えているのが普通なので効果が薄いこと。
  • 大量生産するにはある程度の化学工業水準を要すること。特に第一次世界大戦頃では、量産能力のある国は限られた。
  • 被害者に障害が残ること。
  • 環境被害があること。特に持続性がある種類のもの。
  • 化学兵器による報復を招く恐れが高いこと。

現代の正規戦用兵器としてみると、法的問題からの制約のみでなく、技術的にも運用が難しい面があるといえる。防護の充実した目標には、行動を阻害することはできるものの、効果は限定的といえる。

もっとも、民間人のような防護不十分な目標に対する攻撃方法としては有効であるため、しばしば利用される。例えばイラクフセイン政権はクルド人虐殺に使用したとされている。すなわち、軍隊に効果が薄く民間人には被害が出やすい兵器ということがいえ、その点こそが条約で禁止されている原因でもある[要出典]

また、オウム真理教のサリン散布事件が示すように、ある程度の化学的知識と市販の試薬とで合成が可能である。このことから化学兵器は「貧者の核兵器」とも呼ばれ、核兵器を開発するために必要な技術・資金に乏しい国、あるいはテロ組織による生産・利用が危惧されている。

[編集] 分類

[編集] 即効性と遅効性

化学兵器は即効性のものと遅効性のものが存在する。

  • 即効性:殺傷目的(例:サリン、VXガス)
  • 遅効性:環境汚染目的(例:マスタードガス)

即効性のものは主に戦場において敵兵士を即時に殺傷することを目的としている。一般に殺傷能力の点では優れるが、環境中に放たれてから分解されるまでの時間が短く、加害の持続効果はあまりない。神経ガスの多くが該当する。

遅効性のものは、即効性のものより一般に殺傷能力の点では劣るが、環境中での分解に時間がかかるため、長時間散布地域一帯を汚染する効果がある。場合によってはその汚染事実が被害側には容易に判別できないために、汚染の拡大が期待でき、拡大後に効果が生じることになる。戦場であれば比較的後方の補給路や集積地、又は都市部や農地への無差別的な攻撃によって、補給能力、指揮能力、産業経済、政治、医療負担などの多様な方面から継戦能力を減殺する目的で使用される[2]。ただし、第一次世界大戦などでのマスタードガスのように前線利用がされることもある。

超遅効性の化学兵器であれば、接触後、数年から十数年、あるいは数十年経過したのち効果を表す。

[編集] 致死性と非致死性

化学兵器は致死性と非致死性に分類されることがある。もっとも、非致死性と呼ばれていても、文字通りに死亡の危険がないわけではなく、濃度や暴露時間などによるため分類は相対的である。例えば、モスクワ劇場占拠事件においては、非致死性のはずの無力化ガスと称するKOLOKOL-1が使用された結果、人質を含む129名が死亡する事態となっている。

[編集] 使用の歴史

[編集] 前史

化学兵器使用の起源は、化学兵器の定義によって異なってくる。広い定義をとれば、古くは唐辛子を燃した煙を利用するものが代の中国の書物にも登場している。より殺傷力のある兵器として人類史上初めて使用された化学兵器は、ペロポネソス戦争スパルタ軍が使用した亜硫酸ガスであるといわれている。

近代に入ると科学技術の発達や化合物の発見などから、より効力の大きな毒物が開発された。ナポレオン戦争時には、銃剣シアン化水素(青酸)を塗ることがプロイセン軍に対して提案されたが、採用はされなかった[3]クリミア戦争においてイギリス軍が実験的に使用したという記録もある。このような状況から化学兵器の本格使用に対する危惧も生まれ、1899年には毒ガス禁止宣言などがされた。

警察用にはフランスで臭化酢酸エチルなどの催涙ガスが実用化された。

[編集] 第一次世界大戦

第一次世界大戦中に催涙剤にさらされたイギリス兵。目を傷めたため、前の者に掴って移動している。(1918年4月10日)
ベルギーでのフランス軍による化学兵器使用。(1917年1月)

化学兵器がその威力のほどを広く知らしめたのが第一次世界大戦だった。1914年からイギリス・フランス・ドイツの各国が、クロロアセトンやヨード酢酸エチルなどの催涙ガスの配備を始め、遅くとも1915年3月までには散発的な催涙ガスの実戦使用が行われた。塹壕戦で戦線が膠着する中で、突破手段としての期待が化学兵器に集まるようになった。

そして、1915年4月22日イーペル戦線でドイツ軍塩素ガスを使用した。これが最初の毒性の強い化学兵器の実戦使用であるとされている。この戦いでは5700本のボンベに詰められた150~300tの塩素が放出され、フランス軍を局地的に壊乱状態に陥れた。イギリス軍も同年9月には塩素ガスを使用した。同年12月にはドイツ軍がホスゲンガスを同様に使用し始め、改良型のジホスゲンも使われるようになった。これらは風向きを考慮に入れ、相手陣地の風上から燻すような方法が取られた。

これらのガスを吸引した兵士は、高濃度のガスに晒されれば勿論全身の組織を塩素による化学反応で破壊されて死亡した訳だが、低濃度でも呼吸器官に甚大な被害を受け、死亡しないまでも、呼吸困難に陥って長い間症状に苦しむ事から、非人道的な兵器として恐れられた。

まもなくガスマスクが広く利用されるようになると、吸引によって作用するだけではなく、直接皮膚に損傷を与える化学兵器の開発が進められた。そして実用化されたのが皮膚に作用するびらん剤の一種マスタードガスで、1917年7月12日にイーペル戦線で投入された。マスタードガスは浸透性が強く防護が困難で、最初の使用地名からイペリットと恐れられるようになった。英仏米もマスタードガスの実戦投入を進め、当時ドイツ軍の一兵士として前線にいたアドルフ・ヒトラーもマスタードガスで負傷したと言われる。

西部戦線でドイツ軍が準備中の化学弾投射器。迫撃砲を簡易にしたような構造で、敵陣に化学剤を詰めた容器を飛ばす。(1916年)

運用法も改良が進み、ボンベ解放方式に代わって、化学剤を充てんした化学砲弾や、イギリスのリーベンス投射器のような毒ガス撒布兵器が開発された。ガスマスクへの対抗策として、フィルターを浸透しやすい種の催涙ガスを混用し、ガスマスク装着を困難とさせる戦術も行われた[4]。敵軍の士気を落とす目的で、無毒な煤煙で燻す戦術も行われたという。

第一次世界大戦中に開発された化学剤の種類は約30種に及んだ。米英独仏の4ヶ国で生産された化学剤の総量は、塩素が19万8千t、ホスゲンが19万9千t、マスタードガスが1万1千tとされる。中でも化学工業の発達していたドイツの割合が高く、塩素の5割、ホスゲンの9割、マスタードガスの7割がドイツで生産された。うち12万4千t(化学砲弾など6600万発)が実戦使用された。英国国防総省によると化学兵器による両軍の死傷者は130万人、うち死者は9万人に上るという[4]

[編集] 戦間期・第二次世界大戦

第一次世界大戦により普及した化学兵器は、内乱鎮圧などの手段としても使用されるようになった。ロシア内戦ではミハイル・トハチェフスキー率いる赤軍がタンボフ州の反乱を鎮圧させるために使用し、作戦は成功したものの女性・子供を含む多数の死者が出た。第3次リーフ戦争1920年1926年)でスペイン陸軍がリーフ軍に対し毒ガス(マスタードガスである可能性が高い)を使用した。既に1925年にジュネーヴ議定書が結ばれ、数年後に正式な発効が行われることになっていた中での「駆け込み使用」であった。

1925年にはジュネーヴ議定書で戦争への化学兵器使用を禁じたが締結されたが、なお国家間での戦闘でも化学兵器使用はなくならなかった。第二次エチオピア戦争ではイタリア陸軍がエチオピア軍に対して、マスタードガスを使用した。もっとも実際の効果は薄かったとも言われる[5]日中戦争で日本軍は、中国軍兵士を陣地から炙り出すために、非致死性の嘔吐ガスである「あか」や催涙ガスの「みどり」を使用していた。実験的にマスタードガス(日本軍呼称「きい」)も使用したと言われる。

化学兵器への警戒を呼び掛ける第二次世界大戦中のイギリスの宣伝ポスター。

新型の化学兵器開発も続き、1920年にはアメリカでルイサイトが軍用として実用化された。1930年代後半には、ドイツで、タブンやサリンなど画期的な神経ガスが開発された。

しかし、第二次世界大戦においては、本格的な化学兵器使用は見られなかった。これはジュネーヴ議定書違反となることを避けたほかに、防護装備の充実した正規軍同士の戦闘で効果が薄く、報復攻撃を受けることを恐れていたためでもある。ただし、多くの国が実戦使用の可能性を考えて準備をしており、例えばイタリア戦線ではマスタードガスを備蓄していたアメリカ軍輸送船が被弾し、米軍兵士と市民83名が死亡、617名が負傷する事故が起きている(ジョン・ハーヴェイ号事件(en))。アメリカ軍は優れた防毒マスクを開発、装備していたので、日本本土攻撃に大規模なマスタードガスを使った毒ガス攻撃を準備、計画していた[要出典]

「毒ガスが使用される」という風評被害により軍隊内の士気が低下する問題が指摘された他、毒ガスを航空機や投下する爆弾大陸間弾道ミサイルにより散布する技術の発達により、非戦闘地域にいる民間人にまで化学兵器に対する恐怖心が蔓延し、社会問題となった。

[編集] 冷戦期

第二次世界大戦後、冷戦時代になっても化学兵器研究は続いた。ドイツの技術を基礎としたVXガスなどの神経ガスが開発された。特に赤狩りの頃には、化学兵器による侵略やゲリラ的な活動が懸念され、大きな社会不安となってあらわれた。核兵器に比べて開発が容易な「貧者の核兵器」としても警戒された。

アメリカは、ベトナム戦争において、森林での戦闘に長けていた共産側ゲリラに苦戦していた事から、焼夷弾による森林の焼き討ちと平行して、大規模な枯葉剤の散布を実行した。枯葉剤にダイオキシン類が混じっていたことから、広範囲に汚染を引き起こし、ベトナム全土で異常出産の問題を発生させたともいわれる。

イラン・イラク戦争では、イラク軍が、イラン軍や国内のクルド人地区に対して神経ガスやマスタードガスを使用し、クルド人住民多数が死亡するハラブジャ事件が発生した。湾岸戦争でも、イラク軍がイスラエルなどに対して化学兵器搭載の弾道弾を使用するのではないかと警戒されたが、これは実際には使用されなかった。ほかには北イエメン内戦でのエジプト軍による使用など、紛争地域における化学兵器の使用を行う事例が見られた。なお、イラクの化学兵器はイラク武装解除問題で争点となり、イラク戦争のきっかけともなった。

[編集] 現在

有毒ガス検知中の消防隊員

化学兵器禁止条約(CWC)の成立などにより、国家間の紛争解決手段としての化学兵器使用にはかなりの制約がかかるようになった一方で、テロリストが使用することが危惧されている。生物兵器とあわせて「貧者の核兵器」と呼ばれ、また旧東側諸国ではソビエト連邦崩壊時のような国家体制の激変時に軍隊が保有していた化学兵器が(核兵器や生物兵器と同様に)不法に流出したのではないかと危惧されている。

1994年には、世界で初めての化学兵器テロが、日本でオウム真理教により起こされた。この松本サリン事件では、7名の死者・660人の負傷者を出した。この事件の後、同教団は1995年に再び、東京都地下鉄内で地下鉄サリン事件という大規模なサリンガスによるテロ事件を起こして、死者12名、負傷者5,510名という大惨事となった。

この事件を受け、日本では国内法による規制を強化し、自衛隊では従来の災害救助任務の範疇に、毒ガス汚染に対応する事を決定した。他の国でも年々悪化するテロリストの問題に、化学兵器に対する備えを始める所も出てきた。

また、暴動鎮圧や対テロ戦闘用などの非致死性兵器としては、広義の化学兵器に含まれる薬剤の研究、配備が現在も行われている。実戦例としてモスクワ劇場占拠事件においては、ロシア治安部隊が、無力化ガスと称するKOLOKOL-1を使用した。ただし、結果として人質を含む129名が中毒死しており、KOLOKOL-1の非致死性には疑問が生じている。計画のみで終わったものとしてオカマ爆弾が知られる。

[編集] 防護手段

ウクライナ陸軍の化学戦訓練。
1932年にベルリンで行われた、化学兵器使用を想定した防空演習。ガスマスクなどに身を固めて、制毒剤を散布している。

化学兵器に対する防護手段は、化学剤の影響を防ぐ防毒、化学兵器使用を速やかに察知するための検知、化学兵器による汚染を除去する制毒・除毒などからなっている。敵対する両陣営が毒ガスに対し拮抗した技術や装備を持った場合は、お互い報復を恐れて毒ガスが使用される事は少ないが、相手の装備が劣っていて報復の恐れがない場合は容赦なく使用される可能性がある。したがって、今日も何処の軍隊でも対化学装備は欠かせない。

まず、防毒対策として、吸引を防ぐガスマスクや、びらん剤などにも対抗するための化学防護服が開発されている。軍馬などの動物兵器用のものもある。現代の装甲戦闘車両の多くは、一定の気密性能や空気清浄フィルターなどを備え、化学兵器対策を含めたNBC防護を施されている。なお、付着した化学剤による汚染拡大を防止するために、使用した車両や衣服の洗浄等も重要である。

化学兵器は視認困難なものが多いので、各種の検知器が研究されている。西側各国で現用されている代表的な検知キットとしてM256A1が挙げられ、これは検知紙による試験を行うものである。最も原始的な検知手段としては、毒物に敏感なカナリアなどの小鳥を用いる方法がある。マスタードガスなどのように特有の臭気があるものは、人間が臭気を感知して速やかに防毒装備を着用することで、被害が軽減される。高級な検知手段としては、日本の化学防護車のような化学偵察車両を配備している例もある。

戦場においては、汚染された地域を行動する必要が生じる場合もあるので、汚染を除去ないし軽減させて軍隊の通行を可能にするような制毒手段が用いられることもある。具体的には使用された化学剤の種類にもよるが、土壌に定着しているマスタードガスなどに対してはさらし粉を撒布する方法や、地面を掘り返して清浄な土砂で通路分の地面を覆う方法などがある。サリンは水と反応させることで加水分解できる。(#化学兵器の廃棄処理も参照

これらの防護手段は軍用に限ったものではなく、民間防衛の一環としても用いられる。特に、都市に対する使用が警戒された第二次世界大戦などでは、市民へのガスマスク配備が行われた。NBCテロへの警戒感の高まりから、テロとしての化学兵器使用を想定した民間向けの対策がとれている例もある。

[編集] 法的規制

[編集] 法的規制の経緯

1899年ハーグで開かれた万国平和会議において、最初の明文による化学兵器の国際規制が決められた。この会議では、「ハーグ陸戦条約」23条で毒物(1号)及び不必要な苦痛を与える兵器・物質(5号)の使用禁止が規定されたほか、窒息性ガス・毒ガスの使用を禁ずる「毒ガスの禁止に関する宣言[6]」も採択された。後者は、窒息性ガス及び有毒ガスの撒布を唯一の目的とした投射物の使用を禁止した内容だったが、ボンベから放出される方式の化学兵器は許されるとの解釈の余地があるなどの問題があった。第一次世界大戦では、これらの条約にも関わらず、各国による化学兵器の大量使用を防止することはできなかった。

第一次世界大戦での化学戦の悲惨な結果を踏まえ、1925年には「ジュネーヴ議定書」(「窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」)が締結された。この条約により戦争での化学兵器使用が禁止されることとなったが、保有や研究までは禁止されなかった。議定書は1928年に発効した。

第二次世界大戦後の1968年に国連軍縮委員会の議題として化学兵器の禁止があがり、翌年にはウ・タント国連事務総長の提出した報告書「化学・細菌兵器とその使用の影響」が契機となり、国連総会で化学兵器・生物兵器の禁止決議が採択された。1972年に生物兵器の保有禁止を定めた「生物兵器禁止条約」にも、化学兵器の生産や貯蔵の禁止に向けた交渉努力規定が盛り込まれている(9条)。その後もジュネーブ軍縮委員会での協議や米ソ間の2国間条約締結が行われ、ついに1992年には「化学兵器禁止条約」により、使用だけでなく軍事目的の保有や研究も多国間条約で規制されるに至った。

このほか、日本では、オウム真理教による化学テロをきっかけに化学兵器の禁止及び特定物質の規制等に関する法律サリン等による人身被害の防止に関する法律といった国内法による化学テロ予防を行っている。

[編集] 合法的な使用

化学兵器禁止条約下でも、同条約第2条9項の規定により、国内の暴動鎮圧を含む法の執行のための目的で化学兵器を使用することは認められている。一般的に考えて非致死性の物についてのみ適用されるべきであるが、使用を認める物質と禁止されている物資の明確な規定は無い。また、たとえ非致死性であるとしても暴露量によっては生命に影響する可能性があり、実際にロシアではモスクワ劇場占拠事件において無力化ガスと称するKOLOKOL-1の使用で人質を含む129人の死者を出し犯罪者は全員死亡している。

個人の護身目的の使用については規定が無いため、催涙スプレーなどに条約で禁止されている物質が使用されている場合の扱いについては各国の司法判断に任されている。実情として、トウガラシスプレー(OCガス)のような禁止物質を使う市販品は珍しくない。

[編集] 化学兵器の廃棄処理

遺棄化学兵器問題」も参照

化学兵器の特性上、使用期間切れや条約による規制などで廃止とされた化学兵器の廃棄については、注意深い処理を行うことが必要である。

主に反応性の強い薬品では、太陽光に含まれる紫外線などの働きにより、短期間で無害な物質に分解するとされるが、中には長期間の汚染を発生させ、核兵器程ではないにせよ周辺環境を悪化させる物もある。無毒化処理には強酸性や強アルカリ性の薬品と反応させたり、強力な紫外線照射や電流といったエネルギーを与え、分解又は化合を促す事で無毒化させる。または大量注水して安全濃度にまで薄めるなどの方法も取られるが、単純に薄めた場合は有害な汚水が大量に発生する事もあり、広域土壌の除染には向かない。ただしサリン加水分解によって無毒化するため、水の散布が有効である。

かつては土中への埋没処分や海洋投棄がしばしば行われたが、これが現在でも問題となっている事例がある。

日本では、神奈川県寒川町、千葉県習志野では、裸地以外の舗装や植栽等がされている土地について、土地改変時に安全を確保するための注意事項を示した安全マニュアル(土地改変指針)を土地所有者や建設事業者等に配布し、毒ガスが埋まっていることを環境省が周知した。他にも、毒ガスの埋まっている可能性が高い場所を環境省は発表している。化学兵器と思われる埋設物を発見した場合には、被害拡大を防ぐために専門家に相談することが必要である。

また、平成19年度版環境白書によると神奈川県平塚市においては、一部地域の地下水及び土壌から有機ヒ素化合物が検出されたため、表層土壌調査などを実施した結果、有機ヒ素化合物の原体と考えられる白い塊及び汚染土壌が発見された。平塚市には、かつて旧日本海軍の化学戦研究機関が存在していた[7]。ほかにもいくつかの発見事例があり、化学兵器禁止機関への報告などがされている[8]。なお、茨城県神栖市において、有機ヒ素化合物による地下水汚染健康被害が報告され旧日本軍の遺棄兵器ではないかと疑われたものの調査により旧軍由来ではないものと発表された[9]

旧日本軍が太平洋戦争末期に中国領内に化学兵器を遺棄したとも考えられており、旧日本軍の遺棄化学兵器を処分するため、多額の費用を捻出する事が決定された。ただし、これ以外にも中ソ両軍が放棄していたものが相当数含まれるとの憶測もあり、議論を呼んでいるほか、日本敗戦時に中国軍に引き渡された兵器に対する処理義務は無かったとの主張も見られる。この処理に関しては日中間で1999年に『日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書』が取り交わされている。(詳細は遺棄化学兵器問題を参照)

[編集] 脚注

  1. ^ 「赤剤及び緑剤については、生命活動に対する化学作用により、人または動物に対し一時的に機能を著しく害する状態を引き起こし得ることから、条約上の毒性化学物質、すなわち化学兵器に該当するということで、私ども、これを判定いたしております。」(第168回国会 外務委員会 第3号 西政府参考人答弁
  2. ^ 加藤健二郎 『いまこそ知りたい自衛隊のしくみ』 日本実業出版社、2004年 ISBN 4534036957
  3. ^ 小林、69頁。
  4. ^ 小林、74頁。
  5. ^ ファシスト政権崩壊後のイタリアでは戦争批判の流れからその効力や残虐性が盛んに喧伝されたが、『ムッソリーニの毒ガス』で実際の効果を検証したアンジェロ・デル・ボカは同戦争における毒ガス使用にさしたる軍事的効果は無く、仮にこれを用いなくとも(通常兵器のみでも)代わらぬ勝利を得れたろうと述べている。
  6. ^ 原文:Declaration on the Use of Projectiles the Object of Which is the Diffusion of Asphyxiating or Deleterious Gases; July 29, 1899
  7. ^ 海軍技術研究所の碑
  8. ^ 国内における旧日本軍の老朽化化学兵器廃棄問題の現状 - 外務省、2004年4月作成。
  9. ^ 神栖市HP

[編集] 参考資料

  • アンソニー・トゥ『中毒学概論ー毒の科学ー』じほう、1999年。
  • アンソニー・トゥ『化学・生物兵器概論 基礎知識、生体作用、治療と政策』じほう、2001年。
  • (財)日本中毒情報センター『改訂版 症例で学ぶ中毒事故とその対策』じほう、2000年。
  • 内藤裕史『中毒百科 改訂第2版』南江堂、2001年。
  • 「特集:化学兵器」化学同人『化学』Vol.52 No.11(1997)
  • 小林直樹「化学戦」『知られざる特殊兵器』学習研究社〈歴史群像アーカイブ〉、2008年、68頁。
  • ジョナサン・B・タッカー『神経ガス戦争の世界史―第一次世界大戦からアル=カーイダまで』みすず書房、2008年。

[編集] 化学兵器を素材とした小説

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月27日 (火) 20:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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