北ドイツ連邦

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北ドイツ連邦
1867年 - 1871年
国旗 国章
国旗 国章
ドイツの位置
北ドイツ連邦の領域(赤)
公用語 ドイツ語
首都 ベルリン
主席
1867年 - 1871年 ヴィルヘルム1世(プロイセン国王)
首相
1867年 - 1871年 ビスマルク(プロイセン首相)
変遷
成立 1867年
ドイツ帝国となる 1871年
北ドイツ連邦の地図

北ドイツ連邦(きたドイツれんぽう、Norddeutscher Bund)とは1867年にドイツ北部のプロイセン王国を主体に22の領邦から成る連合体を指す。1871年ドイツ帝国ドイツ国)の母体となり、機構の大部分は引き継がれた。

なお北ドイツ連邦は連邦国家ではなく、領邦自由都市の緩やかな連合体すなわち国家連合であるとし、北ドイツ同盟と訳す考えもある。[1] 英語では North German Confederation と訳されている。

目次

[編集] 背景および制度

普墺戦争に勝利したプロイセン王国は、オーストリアの主導するドイツ連邦を解体し、ドイツ関税同盟によってかねてから結びつきの強かったドイツ北部諸邦と連合する連邦国家を成立させた。連邦主席はプロイセン国王が務め、宣戦・講和・条約締結ならびに陸海軍を指揮する権利を占有した。北ドイツ連邦の首相はプロイセン首相であるビスマルクが務め、また連邦参議院議長も兼任した。主権は各領邦に残されたものの、プロイセン王国だけで国土・人口の8割以上を占め、プロイセンとその属国の連合体の性格が強かった。バイエルン王国を中心とするドイツ南部の諸邦には反プロイセン・親オーストリアの気風があったため、ビスマルクはまずオーストリアを除く小ドイツ主義によるドイツ統一を目指し、目的の第一歩を標した。

連邦政府の組織としては、諸邦の代表による連邦参議院と男子普通・直接選挙による連邦議会があり、連邦議会は立法権および予算審議権を有した。北ドイツ連邦の存続期間を通して、連邦盟主はヴィルヘルム1世、連邦首相はビスマルクであった。

[編集] 加盟諸邦

[編集] 北ドイツ連邦に加盟しなかった他の主なドイツ諸邦

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  1. ^ 「北ドイツ同盟」を用いる例に、栗城壽夫『一九世紀ドイツ憲法理論の研究』信山社 がある。

最終更新 2009年9月13日 (日) 00:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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