北井正雄
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | 島根県 |
| 生年月日 | 1913年8月7日 |
| 没年月日 | 1937年8月7日(満24歳没) |
| 選手情報 | |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1936年 |
| 初出場 | 1936年 |
| 最終出場 | 1937年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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北井 正雄(きたい まさお、1913年8月7日 - 1937年8月7日)は、草創期の元プロ野球野球選手。阪急の初代エース。投手。島根県出身。
目次 |
[編集] 来歴
旧制大社中学(現島根県立大社高等学校)を経て、関西大学に入学。西村幸生(阪神タイガース)と共に東京6大学を関西に迎えてことごとく打ち破る黄金時代を築く。関西大学を卒業後、創設間もない阪急に入団。1936年から始まった日本のプロ野球において、阪急のエースとして活躍。「東の沢村、西の北井」と称された。
プロ野球元年の1936年は、単一のシーズンではなく、幾つかのリーグ戦やトーナメント形式の大会が開催されたが、第1回職業野球リーグ戦(4/29~5/5)では打率.538で宮武三郎が首位打者になった。続く鳴海大会(5/22~24)では、阪急軍は東京セネタースと優勝を分け合うが、打率.750で首位打者になったのが、北井正雄であった。
読売ジャイアンツと名古屋金鯱軍が帰国し、初めて全チームが揃った連盟結成記念第1回全日本野球選手権試合(トーナメント戦・7/1~19)が東京、名古屋、大阪で行われ、大阪大会では阪急軍が優勝。3大会トータルの個人成績で、投手・北井正雄は、勝ち数5勝、勝率1.000、防御率1.99でいずれもトップ(防御率はジャイアンツの沢村栄治と同率)。このように、投打に渡る活躍を見せたが、1937年夏、腸チフスにより急逝。
生涯成績は31試合登板・14勝10敗・80奪三振・防御率2.01、53試合出場・45安打・16打点・7盗塁・打率.321。
[編集] エピソード
- 旧制大社中学時代の陸上部に恐ろしく足の速い上級生がいた。1932年ロサンゼルスオリンピック陸上100mで6位入賞を果たす「暁の超特急」吉岡隆徳である。その吉岡に目を付けられるほどの俊足だったため入学当初は陸上部に所属していた。
- ファイヤークロス(十字架球)、今で言う高速スライダーを得意とし、プロ野球では北井がスライダーの元祖であると言われている。
[編集] 参考文献
- 高井正秀著 『忘れられた名投手:北井正雄と野球のぼせモンたち』(文芸社,2000年)ISBN 4-8355-0085-7
[編集] 関連項目
最終更新 2009年7月30日 (木) 03:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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