北大西洋条約機構

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NATOの旗

北大西洋条約機構(きたたいせいようじょうやくきこう、英語:North Atlantic Treaty Organization)は、北大西洋条約に基づき、アメリカ合衆国を中心とした北アメリカ・ヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟。

略称はNATO(英語での発音はネイトウだが、日本語や多くの欧州言語では英語の略語のままで、発音はナトーと呼ばれる)。ロマンス系諸言語西ルーマニア等)では、英語と同一語源・語頭文字が同じ単語が用いられるが語順が異なる(英語と逆)ため、OTANと略称される(例、:Organisation du Traité de l' Atlantique Nord)。

目次

[編集] 歴史

[編集] 設立の経緯

2002年、NATOのサミット
2004年、NATOのサミット

第二次世界大戦が終わり、東欧を影響圏に置いた共産主義ソビエト連邦との冷戦が激しさを増す中で、イギリスフランスが主体となり、1949年4月4日締結の北大西洋条約により誕生した。結成当初は、ソビエト連邦を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟であり、「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む (Keep the Americans in, the Russians out, and the Germans down) 」(=反共と封じ込め)という初代事務総長イスメイの言葉が象徴するように、ヨーロッパ諸国を長年にわたって悩ませたドイツ問題に対するひとつの回答でもあった[1]。加盟国は域内いずれかの国が攻撃された場合、共同で応戦・参戦する義務を負っている。

当初はアメリカなどの一部でドイツの徹底した脱工業化・非ナチ化が構想されていた(モーゲンソー・プランも参照)。また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な国境警備隊や機雷掃海部隊以外の国軍を持つことは許されず、米ソ英仏の四カ国が治安に責任を持っていた。しかし冷戦の開始ととも西ドイツ経済の復興が求められ、主権回復後の1950年には西ドイツの再軍備検討も解禁された。西ドイツは新たな「ドイツ連邦軍」の創設とNATOへの加盟の準備を始めたが、フランスなどはドイツ再軍備とNATO加盟に反対し、欧州防衛共同体構想で対抗した。この構想は1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印されたがド・ゴール主義者たちの反対によりフランス議会で否決され、批准に至らなかった。この結果、フランスもドイツ再軍備を認め、ドイツ連邦軍が1955年11月12日に誕生し、西ドイツはNATOに加盟した。

[編集] 冷戦中

冷戦を通じて、NATOの枠組みによって西欧諸国は米国の強い影響下に置かれることとなったが、それは西欧諸国の望んだことでもあった。植民地経済の喪失により、一国ずつの力が弱くなった西欧諸国は、米国の強大な軍事力と核の抑止力の庇護の下、安定した経済成長を遂げる道を選んだわけである。東側との直接戦争に向け、米国によって核兵器搭載可能の中距離弾道ミサイルが西欧諸国に配備され、米国製兵器が各国に供給された(ニュークリア・シェアリング)。途中、アメリカやイギリスと外交歩調がずれ、独自戦略の路線に移ったフランスは軍事機構から離脱、そのため本部がパリからベルギーブリュッセルに移転した。一方、戦闘機などの航空兵器分野では、開発費増大も伴って、欧州各国が共同で開発することが増えたが、これもNATO同盟の枠組みが役立ったことは言うまでもない。航空製造企業エアバス誕生も、NATOの枠組みで西欧の一員となった西ドイツとフランスの蜜月関係が生んだものと言える。

西欧は米国の庇護を利用する事によって、東欧の軍事的な脅威から国を守ることに成功し、「冷戦」の名の通り、欧州を舞台とした三度目の大戦は阻止された。つまり、NATOは冷戦期間中を通じ、実戦を経験することはなかった。

[編集] 冷戦終結後

1989年マルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧の動乱と1991年ソ連崩壊により、NATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。また、域外紛争に対応する全欧州安保協力機構(OSCE)、東欧諸国と軍事・安全保障について協議する北大西洋協力評議会(NACC)を発足させ、加盟国外でもNATOの軍事的抑止力を享受できることを確認した。

1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナにおける内戦では、初めてこの項目が適用され、1995年より軍事的な介入と国際連合による停戦監視に参加した。続いて1999年コソボ紛争ではセルビアに対し、NATO初の軍事行動となった制裁空爆を行い、存在感を発揮したものの、アメリカ主導で行われた印象を国際社会に与えてしまった。

一方、ソ連崩壊により、ソ連の影響圏に置かれていた東欧諸国が相次いでNATO加盟を申請し、西欧世界の外交的勝利を誇示したが、拡大をめぐる問題も発生した。旧東側諸国の多くがソ連に代わる自国の安全保障政策としてNATO加盟を希望する一方、拡大に警戒心を持つロシアはその動きを牽制した。1994年、「平和のためのパートナーシップ(PFP)」によって、東欧諸国との軍事協力関係が進展し、1999年に3カ国、2004年に7カ国が加盟するに至る。こうして旧ワルシャワ条約機構加盟国としては、バルト三国を除く東欧とアルバニアを残し、他はすべて西欧圏に引き込まれた。

21世紀に入ってからは、NATOと日本自衛隊オーストラリア軍などアジアオセアニアの各国との共同演習や防衛計画構想も検討されている[要出典]

[編集] 対テロ戦争

NATO軍

アメリカ同時多発テロ事件後の対テロ戦争アフガン侵攻、イスラム武装勢力タリバンをアフガン政府から追放した作戦)には賛同しつつも、各国が自主的に参戦するに留め、新生アフガン軍の訓練にNATOの教官が参加することで協力した。しかし、2003年イラク戦争にはフランス・ドイツが強硬に反対したために足並みは乱れ、米国に追従するポーランドなど東欧の新加盟国と、仏独など旧加盟国に内部分裂した。2005年にはアフガニスタンでの軍事行動に関する権限の一部が、イラク戦争で疲弊した米軍からNATOに移譲され、NATO軍は初の地上軍による作戦を行うに至った。2006年7月にはアフガンでの権限を全て委譲され、NATO以外を含める「多国籍軍」を率いることとなったが、同時期にタリバンがアフガン南部各地で蜂起し、NATOと戦闘となっている。アフガンのNATOは英軍4000名が最大であるように、加盟各国ともに拠出兵力に限界があり、戦闘は苦しいものとなっている。また、仏独はこの戦闘作戦には参加しておらず、加盟国の内部分裂とアフガンでの疲弊により、NATOは新たな国際戦略の練り直しが必要とされている。

[編集] 新冷戦

2000年代後半に入り、アメリカが推進する東欧ミサイル防衛問題や、ロシアの隣国であるグルジアウクライナがNATO加盟を目指していることに対し、経済が復興してプーチン政権下で大国の復権を謳っていたロシアは強い反発を示すようになった。そして、2008年8月にはグルジア紛争が勃発、NATO諸国とロシアの関係は険悪化し、「新冷戦」と呼ばれるようになった。ロシアは2002年に設置されたNATOロシア理事会により準加盟国的存在であったが、2008年8月現在NATOとの関係断絶を示唆していたが、2009年3月に関係を修復した。

しかし、ロシアはウクライナ、グルジアのNATO加盟は断固阻止する構えを見せており、ロシアのウラジーミル・プーチン首相は、2008年のNATO-ロシアサミットで、もしウクライナがNATOに加盟する場合、ロシアはウクライナ東部(ロシア人住民が多い)とクリミア半島を併合するためにウクライナと戦争をする用意があると公然と述べた。[2]また、軍事アナリストのパーウェル・フェルゲンハウアーは、2009年2月に、ロシアが事実上併合した南オセチアに造られる(もしくは造られた)基地から近い将来サアカシュヴィリ政権を倒すためにグルジアに侵攻する予定であると述べた。[3]

このようなことから、NATOとロシアは未だ緊張関係にあると言える。

[編集] 日本との関係

冷戦期に西側陣営を構成していた日米欧の三極において、日米および欧米の関係に比べ、日本とヨーロッパの関係は比較的薄いものであった。近年では2005年のNATO事務局長の訪日、および2007年1月には安倍晋三首相(当時)が欧州歴訪の一環としてNATO本部を訪問するなど関係構築が進められている。安倍首相が出席した北大西洋理事会(NAC)における構成各国の代表との会談においては、全ての主要国が日本との協力関係構築に賛成するなど、緊密な連携が確認された。[4]これらの首脳による関係の他にも、NAC下部組織である政治委員会との非公式協議の開催や、ローマに存在するNATO国防大学上級コースへの自衛官留学、NATOによる災害派遣演習へのオブザーバーとしての参加など、実務レベルでの協力も行われるようになった。

NATOはアフガニスタンにおける活動の中で、現地の日本大使館が行っている人道支援・復興活動に注目しており、軍閥の武装解除を進めるDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)プログラムの指導国である日本との連携を模索している。

日本としては、北朝鮮問題およびヨーロッパから中国への武器輸出問題に関してNATO加盟国の理解を得たいとの思惑が存在する。NATOは2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射、10月の地下核実験に際して極めて強い口調の非難声明を発表しており、また武器輸出問題に関しては、”中国の人権問題が一定の改善をみるまで見合わせる”と報道されている[誰?]

また、日本や周辺国をNATOに加盟させようとする動きもあり、NATOを北大西洋地域に限定せずに世界規模にした上で日本、オーストラリアシンガポールインドイスラエルを加盟させるべきとの意見もある。

[編集] 具体的な協力

2008年10月現在、日本政府はアフガニスタンで国際治安支援部隊ISAF)を展開するNATOに対し財政支援(financial support)を行っており、NATO・ISAF側は広報センターを通じてこの事実をファクトシートの形で公表している[5]。日本の対NATO協力の変遷は次のとおり。

  • 2007年1月、安倍首相が北大西洋理事会で演説。
  • 2007年3月、アフガニスタンでの人道支援プロジェクトのために約20億円の財政支援を実施。
  • 2007年12月、NATO文民代表部との連絡促進のため常勤の連絡調整員を指名[6]

NATOのアフガニスタンでの活動に対する日本の財政支援は、政府の草の根無償・人間の安全保障資金協力GAGP)スキーム[7]の範囲内で行われている。2008年10月2日現在、日本政府はGAGPの方針に従い29のプロジェクト支援を実施しておりその総額は約260万ドル(2,647,927米ドル)に及んでいる。NATOによれば、政府はさらに39のプロジェクトへの追加資金協力を検討している。

[編集] 加盟国

加盟国
加盟国の拡大

2009年現在28カ国

原加盟国(1949年) - 12カ国

アメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国カナダの旗カナダイギリスの旗イギリスフランスの旗フランスオランダの旗オランダベルギーの旗ベルギールクセンブルクの旗ルクセンブルクアイスランドの旗アイスランドノルウェーの旗ノルウェーデンマークの旗デンマークイタリアの旗イタリアポルトガルの旗ポルトガル

その後の加盟国 - 16カ国

  • ロシアの旗ロシア連邦2002年5月に結成したNATOロシア理事会によって準加盟国扱い。
  • フランスの旗フランス1966年にNATOの軍事機構から離脱した(政治機構には継続して加盟)。1992年に軍事委員会への復帰を表明、1995年にはシラク大統領が軍事機構への復帰も示唆したが、実現しなかった。しかし、親米路線を強調するサルコジ大統領は2007年11月に再び復帰を示唆し、2008年6月にNATO創設60周年(2009年4月)に合わせて復帰するとし、2009年4月4日の首脳会議で、NATO軍事機構への43年ぶりの完全復帰を宣言した。
  • ギリシャの旗ギリシャ1974年にNATOを脱退したが再加盟している。

EAPC(欧州・大西洋パートナーシップ理事会)加盟国 - 24カ国(→EAPC

オーストリアの旗 オーストリアフィンランドの旗 フィンランドアイルランドの旗 アイルランドスウェーデンの旗 スウェーデンスイスの旗 スイスアルメニアの旗 アルメニアアゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャンベラルーシの旗 ベラルーシグルジアの旗 グルジアカザフスタンの旗 カザフスタンキルギスの旗 キルギスモルドバの旗 モルドバロシアの旗 ロシアタジキスタンの旗 タジキスタントルクメニスタンの旗 トルクメニスタンウクライナの旗 ウクライナウズベキスタンの旗 ウズベキスタンクロアチアの旗 クロアチアマケドニアの旗 マケドニア共和国アルバニアの旗 アルバニアボスニア・ヘルツェゴヴィナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナセルビアの旗 セルビアモンテネグロの旗 モンテネグロマルタの旗 マルタ

[編集] 歴代事務総長

NATO事務総長
氏名 出身国 任期
1 ヘースティングス・イスメイ イギリスの旗イギリス 1952年4月4日 - 1957年5月16日
2 ポール=アンリ・スパーク ベルギーの旗ベルギー 1957年5月16日 - 1961年4月21日
3 ディルク・スティッケル オランダの旗オランダ 1961年4月21日 - 1964年8月1日
4 マンリオ・ブロジオ イタリアの旗イタリア 1964年8月1日 - 1971年10月1日
5 ヨゼフ・ルンス オランダの旗オランダ 1971年10月1日 - 1984年6月25日
6 ピーター・キャリントン イギリスの旗イギリス 1984年6月25日 - 1988年7月1日
7 マンフレート・ヴェルナー ドイツの旗ドイツ 1988年7月1日 - 1994年8月13日
8 セルジョ・バランチーノ イタリアの旗イタリア 1994年8月13日 -1994年 10月17日
9 ウィリー・クラース ベルギーの旗ベルギー 1994年10月17日 - 1995年10月20日
10 セルジョ・バランチーノ イタリアの旗イタリア 1995年10月20日 - 1995年12月5日
11 ハビエル・ソラナ スペインの旗スペイン 1995年12月5日 - 1999年10月6日
12 ジョージ・ロバートソン イギリスの旗イギリス 1999年10月14日 - 2004年1月1日
13 ヤープ・デ・ホープ・スヘッフェル オランダの旗オランダ 2004年1月1日 - 2009年8月1日
14 アナス・フォー・ラスムセン デンマークの旗デンマーク 2009年8月1日 -


NATO事務次長
氏名 出身国 任期
1 セルジョ・バランチーノ イタリアの旗イタリア 1994年 - 2001年
2 アレッサンドロ・ミヌート・リッゾ イタリアの旗イタリア 2001年 -

[編集] 歴代軍事委員会議長

NATO軍事委員会議長
氏名 出身国 任期
1 オマー・ブラッドレー アメリカ合衆国 1949年 - 1951年
2 エティエンヌ・バエル ベルギー 1951年 - 1952年
3 チャールズ・フォルケス
en:Charles Foulkes (Canadian general)
カナダ 1952年 - 1953年
4 イェンス・クイスガード デンマークの旗 デンマーク 1953年 - 1954年
5 オーギュスタン・ギローム
fr:Augustin Guillaume
フランス 1954年 - 1955年
6 ステリオス・パリス ギリシャ 1955年 - 1956年
7 ジュゼッペ・マンチネッリ イタリア 1956年 - 1957年
8 ベン・ハッセルマン
nl:Ben Hasselman
オランダ 1957年 - 1958年
9 ビャーネ・エン ノルウェー 1958年 - 1959年
10 ベレーザ・フェラーラス ポルトガル 1959年 - 1960年
11 リュシュテュ・エルデルフン
tr:Rüştü Erdelhun
トルコ 1960年
12 ルイス・マウントバッテン イギリス 1960年 - 1961年
13 ライマン・レムニッツァー アメリカ合衆国 1961年 - 1962年
14 C・P・ド・キュモン ベルギー 1962年 - 1963年
15 アドルフ・ホイジンガー ドイツ 1963年 - 1964年
16 C・P・ド・キュモン ベルギー 1964年 - 1968年
17 ナイジェル・ヘンダーソン イギリス 1968年 - 1971年
18 ヨハネス・シュタインホフ ドイツ 1971年 - 1974年
19 ピーター・ヒル=ノートン
en:Peter Hill-Norton, Baron Hill-Norton
イギリス 1974年 - 1977年
20 ヘルマン・ジナー・ガンダーソン ノルウェー 1977年 - 1980年
21 ロバート・フォールズ カナダ 1980年 - 1983年
22 コルネリス・デ・ヤヘル (軍人)
nl:Cornelis De Jager
オランダ 1983年 - 1986年
23 ヴォルフガング・アルテンブルク
de:Wolfgang Altenburg
ドイツ 1986年 - 1989年
24 ヴィグレイク・エイド ノルウェー 1989年 - 1993年
25 リチャード・ヴィンセント
en:Richard Vincent, Baron Vincent of Coleshill
イギリス 1993年 - 1996年
26 クラウス・ナウマン
de:Klaus Naumann
ドイツ 1996年 - 1999年
27 グイード・ヴェンテノーリ
de:Guido Venturoni
イタリア 1999年 - 2002年
28 ハラルド・クヤート
de:Harald Kujat
ドイツ 2002年 - 2005年
29 レイ・ヘナルト
en:Ray Henault
カナダ 2005年 - 2008年
30 ジャンパオロ・ディ・パオラ
it:Giampaolo Di Paola
イタリア 2008年 -

[編集] 機構軍

発足時の部隊

  • 欧州連合軍 ACE(Allied Command, Europe)
    • 北欧連合部隊
    • 中央連合部隊
    • 南欧連合部隊
    • 地中海潜水艦部隊
  • 大西洋連合軍 ACLANT(Allied Command, Atlantic)
    • 大西洋打撃艦隊 アメリカ海軍の第2艦隊
    • 東大西洋管区
    • 西大西洋管区
    • 大西洋連合潜水艦部隊
  • 海峡地区連合軍 ACCHAN(Allied Command, Channel)
  • 地中海連合軍(Allied Command, Mediterranean)

現在(2009年)の機関・部隊

  • 軍事委員会
  • 国際参謀部
  • 作戦連合軍(旧欧州連合軍 司令官はアメリカ欧州軍司令官が兼任)
    • 欧州連合軍最高司令部(ベルギー・モンス駐在 最上級作戦司令部)
    • ブルンスム統合軍司令部(オランダ・ブルンスム駐在 欧州北部を担当)
      • ノースウッド海上部隊司令部(イギリス・ノースウッド司令部内駐在 管区内の海上部隊を統括・指揮)
      • ラムシュタイン航空部隊司令部(ドイツ・ラムシュタイン空軍基地内駐在 管区内の航空部隊を統括・指揮)
      • ハイデルブルグ陸上部隊司令部(ドイツ・ハイデルブルグ駐在 管区内の地上部隊を統括・指揮)
    • ナポリ統合軍司令部(イタリア・ナポリ駐在 欧州南部を担当)
      • ナポリ海上部隊司令部(イタリア・ナポリ駐在 管区内の海上部隊を統括・指揮)
      • イズミル航空部隊司令部(トルコ・イズミル駐在 管区内の航空部隊を統括・指揮)
      • マドリッド陸上部隊司令部(スペイン・マドリッド駐在 管区内の地上部隊を統括・指揮)
      • NATOサラエボ司令部(安定化作戦のための臨時編成)
      • NATOティラナ司令部(安定化作戦のための臨時編成)
      • NATOスコピエ司令部(安定化作戦のための臨時編成)
    • リスボン統合司令部(ポルトガル・リスボン駐在 海上配備打撃戦力を担当 ブルンスム・ナポリの両司令部より小規模)
      • NATO即応部隊(NRF ブルンスム・ナポリ・リスボンの三司令部がローテーションで指揮を担当)
    • 即応部隊司令部(陸上部隊主体の即応部隊を統括)
      • 欧州連合軍即応部隊(ARRC)司令部(旧イギリス第一軍団 ドイツ駐留イギリス軍主体)
      • 欧州軍団(EUROCORPS)司令部(フランス・ストラスブール駐在)
      • イタリア即応部隊司令部(イタリア・ミラノ駐在 イタリア軍主体)
      • トルコ即応部隊司令部(トルコ・イスタンブル駐在 トルコ軍主体)
      • ドイツ=オランダ軍団司令部(ドイツ・ミュンスター駐在)
      • スペイン即応部隊司令部司令部(スペイン・バレンシア駐在)
      • ギリシア即応部隊司令部(ギリシア駐在)
    • その他部隊
      • 即応部隊航空参謀部
      • NATO早期警戒部隊(AWACSの共同運用)
      • 海上即応部隊司令部
      • 欧州連合軍機動部隊(空中機動部隊)
      • 海上打撃・支援部隊
      • 常設大西洋艦隊(同盟国による持ち回り)
      • 常設地中海艦隊(同盟国による持ち回り)
      • 常設海峡艦隊(同盟国による持ち回り)
  • 改革連合軍(旧大西洋連合軍 司令官はアメリカ統合戦力軍司令官が兼任)
  • その他の組織
    • カナダ=アメリカ地域計画作業部会
    • NATO早期警戒指揮管制部隊司令部(SHAPEと同居)
    • 統合運用計画参謀部(SHAPEと同居)

[編集] 脚注

  1. ^ 第二次大戦後のドイツ問題は、一、ドイツを復興させてソ連の影響力を排除する。 ニ、再びドイツがヨーロッパを蹂躙することがないように歯止めをかける。 三、ドイツを誰が守るのか。 という三点に集約された。上記のイスメイの言葉は、ロシアを排除し、アメリカによってドイツを守らせ、同時に歯止めをかけるという処方箋を端的に示している。
  2. ^ http://www3.pravda.com.ua/news/2008/7/3/78290.htm
  3. ^ http://georgiandaily.com/index.php?option=com_content&task=view&id=10127&Itemid=65
  4. ^ 「北大西洋理事会(NAC)における安倍総理演説「日本とNATO:更なる協力に向けて」(仮訳)(2007年1月12日) - 外務省
  5. ^ NATO広報センターファクトシート(2008年10月)
  6. ^ NATO文民代表部に対する連絡調整員について(2007年12月23日) - 外務省
  7. ^ 草の根・人間の安全保障無償資金協力 - 外務省

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 佐瀬昌盛『NATO――21世紀からの世界戦略』(文春新書)
  • 軍事同盟研究会編『最強の軍事同盟NATO』(アリアドネ企画)

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

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最終更新 2009年11月12日 (木) 12:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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