北川博敏

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北川 博敏
オリックス・バファローズ #23
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県伊丹市
生年月日 1972年5月27日(37歳)
身長
体重
180cm
95kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 一塁手三塁手捕手
プロ入り 1994年 ドラフト2位
初出場 1995年8月16日
経歴(括弧内は在籍年)

北川 博敏(きたがわ ひろとし、1972年5月27日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手内野手)。2007年度、2008年度のオリックス選手会長。

常に笑顔を絶やさず阪神タイガース時代からスマイリーの愛称を持ち、顔が似ていることからアンパンマンとも言われている。

目次

[編集] 来歴

兵庫県伊丹市出身。中学1年時に埼玉県志木市へ転居。大宮東高校では3年時に主将を務め、夏の埼玉大会決勝戦では本塁打を放つなど同校初となる第72回全国高等学校野球選手権大会出場に貢献。その後東都大学野球連盟所属の日本大学に進学し、捕手としてレギュラーに定着した3年の春季リーグ戦で首位打者を獲得し、ベストナインに選ばれ、同年の日米大学野球選手権大会日本代表にも選出された。4年時には主将を務め、再び日米大学野球日本代表に選ばれた。リーグ通算75試合出場、244打数66安打打率.270、4本塁打、33打点1994年プロ野球ドラフト会議で阪神から2位指名を受け入団。チームの大先輩である安藤統男佐野仙好が付けていた背番号9を貰う。

1年目のジュニアオールスターでMVPを受賞するなど打力のある捕手として期待されたがチームには関川浩一矢野輝弘などがおり、セールスポイントの打撃も一軍では結果を出せず、更に2000年には野村克也監督の息子カツノリの加入で出場機会が減り、同年シーズンオフに湯舟敏郎山崎一玄らと共に酒井弘樹面出哲志平下晃司らとの3対3のトレード大阪近鉄バファローズへ移籍。背番号は46となった。

2001年梨田昌孝監督に認められて一軍に定着し、4月28日にプロ初本塁打を記録。5月27日の29歳の誕生日に生まれて初めてサヨナラ安打を放ち、初のお立ち台で涙を流した。9月26日オリックス・ブルーウェーブ戦(大阪ドーム)では3点リードされた9回裏無死満塁の場面で代打出場し、新人の大久保勝信からプロ野球史上初の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打を放ち、12年ぶり4度目のパシフィック・リーグ優勝に大きく貢献し、「ミラクル男」と呼ばれた。日本シリーズではヤクルトスワローズに1勝4敗と敗れたが、全試合に出場し14打数7安打、打率.500の成績を残した。優勝決定サヨナラ本塁打について、球団は同年の契約更改で「あの本塁打は10万円分の価値しかない」と言ったがこれはジョークで、前年のほぼ倍となる大幅年俸アップで更改した。ただし球団は前半戦での活躍を評価しており、北川自身も本塁打のみが評価の対象となることを嫌っていた。また、代打逆転サヨナラ満塁本塁打で優勝決定というあまりに劇的な幕切れから度々その映像がメディアに流されたことで、着弾点近くに広告を出していた大装が「優勝決定ホームランの映像が繰り返し放映されたことで、うちの広告が何度も全国放送で流されて良い宣伝になった」として、北川に感謝を込めて10万円を贈呈した(球団側の発言に出てくる金額は、この話を受けてのもの)。北川はこの本塁打について「人生で一番嬉しかった出来事」と語っている。

2002年オープン戦で負傷し43試合、打率.266、1本塁打、8打点と精彩を欠いた。

2003年5月25日に不振の中村紀洋に代わって自身初の4番に座り、いきなり4安打3打点の大活躍をするなど打率.309、13本塁打、50打点の成績を残した。

2004年には打撃を活かすため内野手に本格的に転向。開幕前に吉岡雄二が負傷したこともあって開幕スタメンに名を連ね、タフィ・ローズ読売ジャイアンツへの移籍や球団の身売り・合併問題といった雑音にもめげず、ストライキのあった2試合を除く133試合にフル出場し、打率.303、20本塁打、88打点の自己最高成績を収めた。同年のパ・リーグで全試合出場を果たしたのは、北川、中島裕之川崎宗則の3人だけだった。シーズン終了後、東北楽天ゴールデンイーグルスとの選手分配ドラフトでオリックスに所属することとなり、背番号も23になった。

2005年はチームの主軸、ムードメーカーとして期待された。成績は打率こそ落ち込んだものの、チームトップの打点をマークするなど、主軸としての活躍を見せた。

2006年は主軸として活躍するがシーズン中盤ダイビングキャッチで右肩を損傷、その後、右肩関節唇損傷で選手生命を左右するほどの重傷と判明する。しかし北川は、8月13日の対福岡ソフトバンクホークス戦まで強行出場した(手術は17日に行われ、以後の試合は欠場)。北川の怪我を押して出場し続けた主軸としての責任感と「他の選手たちに頑張ってほしい。これまで出られてきたことが幸せ」という趣旨の発言はファンを感動させた。成績も離脱するまで29二塁打を放ち、チームトップの打点をマークするなど安定した結果を残していただけに、故障による戦線離脱が惜しまれた。

2007年は選手会長に就任し、故障も癒えて引き続き主軸として5番を任された。グレッグ・ラロッカ、ローズとともに3人で78本塁打(ただし、北川は9本塁打)と、12球団有数の破壊力を持つクリーンナップの一角を担い、右肩の故障から復帰できたシーズンだった反面、チームは3年ぶりの最下位と低迷した。

2008年は、春季キャンプ中に肉離れをおこし、開幕二軍スタートとなった。4月29日の楽天戦で一軍に合流し、ラロッカの離脱に伴い三塁手で起用されることとなった。本人のブログによると、三塁を守るのは約12年ぶりのことだった。合流直後はそこそこの打棒を発揮し、5月16日千葉ロッテマリーンズ戦では渡辺俊介からプロ入り14年目で初となる2打席連続本塁打、自己最多の1試合6打点を記録した。しかし、夏場以降は調子を落とし、復帰直後は5番だった打順も終盤は6・7番あたりに下げられるケースが多くなった。同年は得点圏打率が.244と伸び悩み、移籍後最少の49打点に終わり、規定打席にも未到達など不本意なシーズンとなった。一方で2005年以来の二桁本塁打を放ち、2年連続で犠飛数リーグトップを記録した。


2009年は、ホセ・フェルナンデスの加入、グレッグ・ラロッカの復調により、去年よりさらにスタメン出場が困難になった。主に右の代打を務めるも、打率は2割そこそこ。外国人4人が次々に戦線離脱したため、シーズン最後までスタメンに名を連ねたが、打率以外はほとんど去年を下回り、本塁打は自己ワースト2位の2本に終わった。

[編集] 人物

兵庫県伊丹市出身のスポーツ選手で結成されているNPO法人「伊丹アスリートクラブ」に所属しており、シーズン中は「北川ホームラン基金」、シーズンオフにはイベントを行っている。

ひょうきんな性格で知られており、現在のテーマ曲は逆転イッパツマンタイムボカンシリーズ)のテーマである(ただし2009年よりチャンス時のみ)。2002年は「KC&ザ・サンシャイン・バンド」の「That's the way (I Like It) 」だった。

いつも笑顔というのがトレードマークだが、いつも笑っているわけではなく喜怒哀楽の見分け方は「鼻をみてほしい」とのことである[1]。しかし、阪神時代には中日ドラゴンズ戦で捕手としてリードする北川の顔が笑っているように見えたため、内角攻めに怒って詰め寄るレオ・ゴメス山崎武司が更に激怒し、乱闘にまで発展したことがある。

近鉄に移籍してから大活躍したが、阪神時代も死のロードでチームが不振の中、大阪ドームでの対ヤクルト戦で6番一塁手で起用された時に1人大活躍したことがあり、京セラドーム大阪でプレーすると調子が良くなる傾向がある。

趣味は釣り、ザリガニ飼育でオフの日などには自身のブログにその様子をよくアップしている。

球団では「きたがわびっクリあんぱん」と「キタガワビッくりームパン」を発売している(各230円)。

[編集] プレースタイル

三振が少なく粘り強い打撃が持ち味。勝負強い中距離打者だが、2003年、2004年をピークに長打は減少傾向にある。打球の鋭さが仇となって、併殺打もやや多めである。

守備範囲は多少狭いがグラブ捌きは上手く、2007年は守備に定評のある福浦和也の.995を上回るリーグトップの守備率.998を記録している(ゴールデングラブ賞は福浦が受賞)。

元々のポジションである捕手は長年務めていない。ただし、捕手を起用し尽した時に捕手を務めるケースは首脳陣・本人共に想定している模様。近鉄時代の2004年には捕手を使い果たした試合で、梨田監督が「延長戦となったら北川を捕手で使うつもりだった。久々に北川の捕手が見られると思ったのに(同点に追い付けず敗れて)残念。」と語っていた。また、オリックス移籍後の2005年8月3日西武ライオンズ戦では、先発捕手の日高剛が途中交代、的山哲也に9回裏代打を起用して捕手がいなくなったため、北川がベンチでマスクをかぶって準備し、的山からサインを教えてもらっているシーンがTVに映されていた。しかし、チームは追いつけず9回で試合が終了したため、捕手としての起用はなかった。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1995 阪神 13 21 16 1 2 0 0 0 2 0 0 0 2 0 3 0 0 4 1 .125 .263 .125 .388
1996 28 32 29 4 6 1 0 0 7 1 0 0 0 0 3 0 0 5 0 .207 .281 .241 .523
1997 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1998 8 19 18 1 1 1 0 0 2 1 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .056 .105 .111 .216
1999 39 74 66 4 10 3 0 0 13 1 0 0 5 0 2 0 1 10 2 .152 .188 .197 .385
2000 10 8 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .125 .000 .125
2001 近鉄 81 229 200 27 54 14 1 6 88 35 2 0 1 1 25 0 2 29 13 .270 .355 .440 .795
2002 43 99 94 7 25 7 1 1 37 8 0 0 0 0 4 0 1 16 2 .266 .303 .394 .697
2003 99 359 317 57 98 23 1 13 162 50 5 0 1 3 37 0 1 38 7 .309 .380 .511 .891
2004 133 580 508 75 154 27 0 20 241 88 7 2 4 2 62 3 4 70 15 .303 .382 .474 .856
2005 オリックス 127 487 444 57 115 28 1 16 193 67 3 3 1 2 36 2 4 64 11 .259 .319 .435 .754
2006 100 403 373 39 108 29 2 8 165 55 2 2 0 3 23 2 4 47 8 .290 .335 .442 .777
2007 144 602 557 60 156 23 1 9 208 61 4 2 0 7 31 1 7 79 23 .280 .322 .373 .696
2008 105 399 343 41 91 24 0 13 154 49 4 2 2 10 37 3 7 51 8 .265 .340 .449 .789
2009 103 302 267 29 73 18 0 2 97 31 0 0 4 6 19 1 6 37 9 .273 .329 .363 .692
通算:15年 1035 3616 3241 402 893 198 7 88 1369 447 27 11 20 34 284 12 37 452 99 .276 .338 .422 .760
  • 2009年シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 個人記録

[編集] 背番号

  • 9(1995年 - 2000年)
  • 46(2001年 - 2004年)
  • 23(2005年 - )

[編集] 脚注

  1. ^ オフのトークショーでの本人の発言。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年12月8日 (火) 11:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【北川博敏】変更履歴

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