北新地
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北新地(きたしんち)は大阪市 北区曽根崎新地にある大阪最大級の高級飲食店街。 単に新地と呼ばれることも多く、新地本通り、新地新聞、新地のクラブ、新地のホステスなどの名称や呼称がある。
「北新地」という呼称は、北にある新地という意味であり「北の新地」と呼び慣わすのが本来である(#沿革)が、新地本通の東西両出入口に「北新地」と銘打った電光看板があること、および、JR東西線開通時に北新地駅と名づけられたことなどから、現在では呼称はもちろん地名としても通称の「北新地」が広く定着している。
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[編集] 概要
大阪のキタを代表する飲食店街。ミナミの飲食街は区画がはっきりせず展開しているのに対して、キタは比較的整然と店舗が立地している。大阪駅の南方ダイヤモンド地区の南に隣接した地区。ラウンジ、クラブ、料亭などを中心とした料飲店が集中している地域で、風俗店やパチンコ店は皆無の高級飲食店街である。
東西方向に3本の主な通りがあり、「新地本通」を中心に北から「永楽町通」「新地本通」「堂島上通」となっている。 東西方向(厳密には東南東から西北西)に貫かれているのは、明治時代初期まで、新地本通と堂島上通の間を堂島川からの分流である曽根崎川(蜆川とも言う)が流れていたためである。(堂島は、曽根崎川と堂島川に挟まれた島であった。) 南北方向には通りは少なく、移動にビル間の路地やビルの中を使うことも多い。
[編集] 沿革
「堂島#沿革」も参照
1685年に堂島に拓かれた新地は繁華街となり、大坂市街の北に位置したため、「北の遊里」と呼ばれた。 その後、堂島に米市場が移転して来たのに伴い、遊里の殆どは、1708年に新たに曽根崎川の北対岸に拓かれた曽根崎新地へと移る。 以後、曽根崎新地は、「北の遊里」「北の色里」「北の新地」と呼ばれ、米商らの遊興場所として繁栄した。 近松門左衛門の『心中天網島』に登場する小春は、曽根崎新地の遊女である。
1909年に発生した「北の大火(天満焼け)」でほぼ全焼したが、瓦礫で曽根崎川を埋め立てて復興し、現在の姿となった。
[編集] 範囲
曽根崎新地一丁目と堂島一丁目
北新地の北側は梅田であるが、この地区を含め梅田と呼ぶことがある。南側は堂島浜で大手企業の高層ビルが堂島川に向かって立ち並ぶ。
最寄り駅は北側国道2号地下のJR東西線 北新地駅であるが、飲食街の利用者の多くがタクシーを利用する。そのため、高級クラブが開店する20時前後はエリア内がタクシーで溢れかえることが多い。なお、22時以降の夜間は北新地の中へは車両進入できない。
[編集] 主な業種
高級クラブ、ラウンジ、スナック、バー、小料理屋が中心であり、庶民性は一部のチェーン展開な飲食店を除いてほとんどなく、接待需要や著名人需要などに支えられているといえる。なお、北新地でいうラウンジとは独特かつ明確な定義があるものであり、クラブ(5万円以上など高額だがホステスが客の席に座って接客できる)とスナック(1万円程度などだが店員が客席に着席して接客できない業種)の中間のサービス(ラウンジは客席同席での接客を受けられるため、さしずめ、高級ではないクラブを指す。)を中級料金(2万円~3万円程度など)で提供する業種を指す。北新地以外の歓楽街ではラウンジの定義がかなり曖昧である。
[編集] 歌に出る北新地
- 都はるみ『大阪しぐれ』
- 都はるみ & 宮崎雅『ふたりの大阪』
- 石川さゆり『大阪つばめ』
- 有山じゅんじと上田正樹『あこがれの北新地』
- ザ・ピーナッツ『大阪の女』
- 桂銀淑『大阪暮色』
- 大月みやこ『大阪ごころ』
- レツゴー三匹『新地ワルツ』
- 畠山みどり『新地ブルース』
- 吉幾三『北新地』
[編集] 関連項目
- 梅田(北新地は梅田よりも淀屋橋に近い位置にあるが、梅田の街の一部と認識されることがある。)
- 梅田新道(北新地の北東側寄りに面する通り)
- 曾根崎
- 銀座
- 橋本平左衛門(赤穂浪士、曽根崎新地の遊女と心中)
- やしきたかじん(常連と言っていいほど北新地に頻繁に出かける歌手・タレント)
- 朝青龍明徳(常連)
- 大阪の花街
[編集] 外部リンク
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