北方人種

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Meyers Blitz-Lexikon (ライプツィヒ, 1932) により「北方人種の例」とされたドイツ軍人カール・フォン・ミュラー

北方人種(ほっぽうじんしゅ)はかつての人類学においてコーカソイドの下位区分とされた人種のカテゴリの一つ。1899年ウィリアム・Z・リプリー(William Z. Ripley)により地中海人種アルプス人種と共に定義された[1]。今日では人種イデオロギーの為に考案されたと考えられている(アーリアン学説参照)。北方人種とされたのは「ゲルマン系民族」と北欧系などであり、指導性を備えた Herrenrasse 「主人たる人種」であるとされていた[2]。この考えはヨーロッパ全体や北米等では広くは受入れられず、主にナチズムの元となった。

北方人種に属する人々は「色素脱落すなわちブロンドの形質を持ち、メラニン色素が極めて少ないので、皮膚頭髪虹彩の色が薄い。皮膚のメラニン色素を殆ど欠くため皮膚色が極めて薄く、血液が透けて見えるので薄桃色を呈する。毛髪はいわゆる金髪であるが、南に行くほど濃色になり、明るい褐色を呈する傾向がある。虹彩の色は青・緑・灰色である。顔は細長く、頭を上から見ると幅が狭く前後に長い。また身長が高い。身体的にも筋肉質である」などとされた。古代ローマが栄えた時代のゲルマン人も主に北方人種であり、彼らは170-180cmあったとされた。フランスの人類学者アンリ・ヴァロワは「北方人種の男性の平均身長は173-186cm、女性は163-175cmで、人類中でも高身長の範疇に属する。スカンディナヴィア南部からヨーロッパ北岸を通ってイギリスに分布する北方人種の一群にはクロマニョン人への類似が認められる」などとした。

上述されている通り多分に人種イデオロギーな思想を含んでいる分類であり、その妥当性を主張する理論は矛盾や破綻、牽強付会に満ちている部分が多かった。一例として挙げられるのがハンス・ギュンターによるアウグストゥス論で、彼は全ての歴史的資料を無視してアウグストゥスが北欧人の末裔であると主張した。その最大の理由は「アウグストゥスが公平であったこと」である。これは彼らにとっての理屈である「北欧人や北欧系中欧人が最も優秀なヨーロッパ人」に対する一般的で率直な反論である、ヨーロッパ文明の父祖たる古代ギリシャ古代ローマにそれらの人々が(少なくとも彼らが同時に主張したアルプス人種地中海人種に比べて)殆ど関係していないという意見に窮した結果、導かれた奇妙な学説であった。また同様の理由から逆に北方人種は地中海人種から枝分かれして成立したとする理論も主張されたが、両者共に信憑性は薄い。

アメリカの移民規正法を主導した優生学者グラントの人種図。今日的には全く信憑性を失っている理論ではあるが、20世紀初頭まではこうした意見が優生学と共に大きな権威を持っていた。
  1. ^ William Z. Ripley, The Races of Europe: A Sociological Study, New York: D. Appleton and Co., 1899.
  2. ^ Gregor, A James (1960). "Nordicism Revisted". Phylon: 352-360.

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最終更新 2009年10月30日 (金) 01:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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