北条氏朝

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北条氏朝
時代 江戸時代前期から中期
生誕 寛文9年3月28日1669年4月28日
死没 享保20年9月30日1735年11月14日
別名 亀之助(幼名)
戒名 円成院殿即証元領大居士
墓所 東京都渋谷区広尾の祥雲寺
官位 従五位下、遠江
幕府 江戸幕府京都火消役・伏見奉行奏者番
河内狭山藩主
主君 徳川氏
氏族 後北条氏
父母 父:北条氏利、母:下山氏(寿松院)
養父:北条氏治
兄弟 氏治、氏朝
正室:内藤政親の娘
継室:相馬忠胤の娘
秋月種信の娘・竹
氏貞(長男)、民部、氏副(三男)、
娘(稲垣定享正室)、娘(安藤次由正室)、
氏従(四男)、氏比(五男)、
娘(本多慮信室)、娘(土方雄房婚約者)

北条 氏朝(ほうじょう うじとも)は、河内狭山藩の第5代藩主

寛文9年(1669年)3月28日、初代主・北条氏盛の次男・北条氏利の五男として生まれる。異母兄で第4代藩主である北条氏治に嗣子が無かったため、天和3年(1683年)3月29日に養子となる。元禄9年(1696年)、養父氏治の死去により、家督を継いで第5代藩主となった。

氏朝は藩祖・北条氏規の再来といわれるほど聡明であり、元禄5年(1692年)6月には伊東一刀斎から一刀流の免許皆伝を許されていた。また、幼少期には法雲寺で修行したとされる。このため江戸幕府にも実力を評価され、元禄16年(1703年)に京都火消役に任じられ、享保5年(1720年)に伏見奉行、享保19年(1734年)には奏者番に任じられた。藩政では陣屋の拡大などを行なっているが、幕閣に就任したことからの出費の増大などで藩財政の悪化も招くこととなり、倹約や上米を始めている。享保20年(1735年)9月30日に死去。享年67。後を長男の氏貞が継いだ。

氏朝の一代記として、北条氏朝公日記がある。

先代:
北条氏治
後北条氏(狭山藩5代)藩主
1696年 - 1735年
次代:
北条氏貞

最終更新 2008年8月6日 (水) 13:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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