北野誠

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北野 誠(きたの まこと、1959年1月25日 - )は、日本お笑いタレント。所属事務所松竹芸能。旧芸名はMAKOTO。血液型はA型。


 北野誠
本名 北野 誠(きたの まこと)
ニックネーム まこと まこっちゃん まこっさん
生年月日 1959年1月25日(50歳)
出身地 大阪府大阪市鶴見区
血液型 A
身長 171cm
方言 大阪弁
最終学歴 京都産業大学経営学部
事務所 松竹芸能
活動時期 1980年 -
過去の代表番組 突然ガバチョ!
誠のサイキック青年団
探偵!ナイトスクープ ほか
配偶者 既婚
  

目次

[編集] 来歴

[編集] 芸能界入りまで

大阪府大阪市鶴見区出身。実家は農業を営んでいる。姉が一人。

幼少時から病弱だった北野は腎盂炎を患い血尿が出る度に暗澹となり、健康面での不安から安静を余儀なくされ幼稚園を中退。小学校でも運動を止められていて体育の授業は座って見ているだけの生徒で幼稚園時代の話題がほとんど無く友人作りに苦心。内向的で大人しくウルトラQウルトラマンサンダーバードモデルガン飛行機プラモデルミニカーに夢中な子供であった。小学校低学年頃から徐々に快方に向かい。小学校4年生の時、教師の指名で学級委員長に就任。病弱な頃とは一転して快活で明るい性格になり。剣道、野球、水泳とスポーツに熱中。その後、児童会の副会長、会長を務める。

父親が大阪万博開催による畑の一部の土地買い上げをきっかけに不動産売買の会社を起業。北野家の生活も裕福になるも、父親との折り合いはあまり良いものではなく思春期には母屋から飛び出し離れで暮らすようになる。中学校3年生の高校受験勉強時「ABCヤングリクエスト(ABCラジオ)のコーナー「ABCミッドナイト寄席」に夢中となり、全校生徒を前に登場人物を教師の形態模写に代えた「狸賽」を披露して爆笑を取り、落語家を目指す事を決意。後になり「あの頃がお笑いとしてのピークだった」と述懐した。

大阪市立高等学校入学、落研に入会。笑福亭仁鶴の「ヒットでヒット バチョンといこう」ラジオ大阪の「バチョン落語大学」で「青菜」を演じ”真打ち”とバチョンバッグ獲得。高校時代は成績優秀で、推薦で京都産業大学に合格するも本人は同大学に行くつもりはなく、関関同立といった有名私立大学を受験するが結果は全滅。

京都産業大学経営学部入学、サークル「落語長屋」に入会するも体育会系の雰囲気で上下関係が厳しく、自由な落語を演じられなかった上に九州出身の先輩部員に大阪弁のイントネーションをけなされたことに激怒、ケンカし退会。それから一年あまり、無為の日々を過ごす。大学卒業間際になっても将来の展望が無かった北野は「流氷を見に行こう」と友人と北海道一周の自転車旅行に出る。この旅の中で、自分がまともな就職をする事も、家業を継ぐ事も出来ない事を自覚する。

大学在籍中の漫才ブームの真っ只中、紳助竜介の漫才に感銘を受けて高校の同級生3人で客の注目を集め実績を作りプロになる手がかりになればと「土着民SMショー」なるトリオを結成、イベント情報誌に出演をお願いする電話をかけまくり、どんな舞台でも立てるようにギターを弾いて音楽とコントの両形式でライブハウスでも活動。この時期、偶然ライブを見た城達也にライブのお笑い要素を褒められたこと(音楽要素に関する称賛はなかった)が大いに自信になる。

後にメンバーが一人抜け「誠&がっしゃん」と名を改め東野博昭と二人で漫才コンビを結成(北野はツッコミ役)。「ABCヤングプラザ」朝日放送の素人参加企画に出演、楽屋で島田紳助にプロ入りを勧められ、「素人お笑い選手権」(フジテレビ 1980年)で準優勝し、プロ入りを決意。「お笑いスター誕生!!日本テレビ 1981年)に出演し3週目で落選。この頃の漫才ネタはTV番組をネタにしたものでラジオのレポーターなども務める。プロの決意を固めるも収入は乏しくスナックのアルバイトに勤しむ。

母から反対され親類から不安定な仕事より高収入で安定している銀行への就職を勧められるも父から3年間の期限付きの許しが出て大学卒業後に芸能界入りする事を決心。しかし漫才コンビでの将来性と薄給を不安視した東野は教員になるべく脱退(現在は構成作家)を北野に申し入れてコンビを解散し、ピン芸人となる。

[編集] MAKOTO時代

1980年当時の上方芸能において「タレント」や「芸人」になるには師匠となる芸人に師事し門下生となり付き人をしながら芸を学習する徒弟制度が通例であったが、学生タレントとして二束の草鞋を履いていた北野は弟子入りの機会を逸する。弟子入り先を求めて前田五郎吉本興業の下に出向くも応対に出た弟子の柄が悪かったため、入門してしまうと「先輩後輩」の関係になる事に慄き早々に退散。松竹芸能に養成所がある事に気づき、仕事さえ取れればどこだろうと直ぐに活動が出来る利点がある事から松竹芸能を選択した[1]

コンビ解散後は、「MAKOTO」の芸名で関西ローカルで活動。加入時は吉本興業が絶大な人気を誇っており、当時の松竹芸能の社風とその所属芸人独特の雰囲気に加え、角座(旧)では古参、中堅、新人が一つの楽屋を使用、特定の師匠の指導を受けずに活動をするタレントは皆無に等しく、そのために業界の慣例が分からずに肩身の狭い思いをしたりといった苦労に見舞われ[2]、壁には昔の芸人が書いたものと思われる「シャブ打ちたい」という落書きを見て不安に駆られる。事務所独特の「居心地の良い閉塞感」から自分なりに脱却しようと桂小春団治笑福亭小つるら3人でジャンルを無視したユニット「ギャグ性感隊」を結成。年一回、新作ネタのライブを行うという形で、業界関係者の目に止まる。TV出演当初は「軽佻浮薄で大げさなそぶり」(リアクション芸)、「早口でギャグを捲くし立て、自分のボケに、自分でつっこむ」(掛け合いしゃべくりのノリツッコミ)等の芸風で、アイドルのように数十人程のファンの「追っかけ」もあったがレギュラー番組終了と同時にその追っかけ達も消滅し「ファンて、こんなもんなんや」と自分のしている仕事を冷静に見つめ、しばらく仕事が無く滅入る。

映画「ガキ帝国」に出演。1981年の公開当時、井筒和幸監督、出演者らと共に大酒を飲み、飲酒の勢いも手伝い、新宿で交通標識等を集団で破壊。北野らの目の前で井筒が後ろ手に手錠をかけられ警官の自転車の荷台に積まれて最寄の署に連行されるが、その場で警察の追及も別段無かった北野はそのまま東京を後にした。しばらくしてから、新聞記事で自身が逃走犯扱いとなっていることを知って焦り、関係者からも「映画が公開できない」と説得され、四谷署に出頭するも署の都合で留置の手続きが後回しにされ数日間待機を余儀なくされる。7日間ほど留置されるが、初犯であるなどの諸事情を斟酌して不起訴処分となる。事務所と契約する途中で微妙な時期であったため、最悪契約が破棄されることも含め、自分の行く末が閉ざされるのではないかと不安に陥ったという。不起訴になったときには安堵し、帰阪の際に丸ビルを見て落涙した。

漫才時代からの持ちネタを生かし。当時、人気だった「スチュワーデス物語」「川口浩探検隊」などのTV番組に主観や客観に基づく断定で「ツッコミ」を入れ、この芸風が後に竹内義和と出会うきっかけとなる。他の芸風として「大阪の種馬」、「浪速の竿師」などの別名も持ち、「どんな手段を講じてでも性的欲求不満を埋めたい、男性視点の野卑な恋愛攻略論」等のネタを披露した。実家において当時まだ駆け出しで無名だった生瀬勝久古田新太羽野晶紀久本雅美中川勝彦等、色々な友人知人が出入りしてたむろし、鍋や麻雀、雑談、酒盛りなどに興じる。芸人としての方向性を模索する中で、古田新太や笑福亭鶴瓶が持つ才能と彼我の差を感じて苦しむ。

1985年暮れ、北野がフグを食べに行こうと誘ったその日に、父親が焼身自殺。葬式を執り行った後、遺産と借金の整理に追われ自宅を残し土地の殆どを売却する。会社の借金を個人が弁済する義務を回避することもできたが、TVで仕事をする上で後々債権者らに難癖をつけられる事を嫌い、返済期間を1年と区切り、弁護士と母を説得して抵当に入っていた土地を手放し債権者に割り当てる。煩雑な債権処理に忙殺され北野の芸風も雑なものとなり、改編で出演番組が終了した後は新規レギュラーが入ってこず、ジリ貧状態に陥る。表情も乏しく陰鬱な雰囲気の北野に周囲も近寄らなくなり、あまりの憔悴振りに見かねたやしきたかじん嘉門達夫が、北野の起用を渋る局側を説得し自身の番組に度々ゲスト出演させる。この時期にABCの新入社員であった板井昭浩が新しいラジオ番組の立ち上げを考えている事を北野に打ち明ける。

探偵!ナイトスクープ」の企画段階で北野を起用する案もあったが没になるも嘉門達夫の推薦もあり新探偵として番組初期から中途加入する。[3]周囲が機転を効かし局長秘書が抜けた代役に北野の実母を充てたりと同番組が高視聴率番組に成長した事がきっかけで認知度も上がり、塞ぎがちだった気分も落ち着き、平常通り振舞えるようになる。

北島三郎の次男である大野誠が、ロックバンド「First Blood」のボーカル”MAKOTO”として活動を始めたのを機に、彼に芸名を譲る形で本名で活動。

[編集] 北野誠時代

1990年初頭、上岡龍太郎、やしきたかじんの後に続き、大阪を拠点に名古屋、東京と活動範囲を広げるが、東京でレギュラー出演していた番組が放送早々に、やらせ、予算削減、低視聴率、過剰演出などにより打ち切りが連続。さらに東京(全国ネット)における番組収録において、あらかじめコメントやサプライズ、ネタが事細かに書かれている台本に沿った番組進行しか出来ない場を幾度と無く目の当たりにし、自分の芸風の入り込む余地が殆ど無い事に苦慮。東京での認知度はさほど定着せず、友人知人を作るのに苦心。

1993年、ラジオ番組「誠のサイキック青年団」内で、山本リンダのヘアヌード写真集を酷評し山本側が番組に対し一億円の損害賠償を請求。同番組のパーソナリティの竹内義和と共に、マスコミ公開の中で謝罪会見をした。記者会見場に入る際に北野はドアを半分開けて「怒ってはります?」と先ず山本の顔色を伺う。ちなみのこの件で一番エキサイトしていた、山本リンダの事務所の人間がその後整形手術をしていたという暴露本を出版した。この一件を発端に「番組中に問題発言を言うかもしれない、腫れ物的扱いのお笑いタレント」として一部TV番組がコメンテーターで起用[4]。北野がゴシップ誌に記載してある他人のコメントを取り上げた場合や、共演者の発言が途中、「北野の舌禍」として擦りかえられ抗議を蒙る例も多々あり。「北野誠の発言」として一度出回った情報は本人が否定し弁証しても、そのまま放任され定着する形となり嘆く事もあった。また、その当時、些細な発言でもやしきたかじん、桂小枝等の共演者から「また、訴えられたいんか」「裁判や!」と凄まれ、北野が反論の余地無く萎縮して悔しがるパターンが一つのネタとしていくつかの出演番組で演じられていた。

一人で芸能活動を始めてからは、TVラジオの司会やコメンテーター、インタビュー、時事風俗取材、パーティーのMC、自身の番組や個人の公開イベントの企画制作及び司会、トークショー、都市伝説、怪談等のオカルト関係、株式セミナー、競馬予想、落語の高座、コラムの著述や恋愛指南、など広範囲なジャンルで活動を行う。

1995年、キダ・タローを仲人に立て35歳で結婚、一男一女を授かる。

2009年春、松竹芸能は「誠のサイキック青年団」及び関連イベント内の不適切な発言により、関係者らに対し迷惑を掛けたとして処分[5]を下し、4月28日の記者会見までに北野出演の番組を順次降板、「ごごイチ」(CBCラジオ)を最後に芸人としての既存媒体の露出は無くなる。北野も「自主的に決めた事」としてこの処分を受け止め、同年4月28日付けをもって無期限謹慎となる。

竹内義和のブログ「竹内義和のどきどきブログ」2009年5月20日においてこの不適切発言の大半は竹内自身に原因がある事を明かし、マスコミに要らぬ誤解を与え、問題が大きくなるのを回避するため結果的に北野に全責を負わせるような形になったと説明。北野と同じく竹内もメディアへの露出は自重する旨を告知する[6]

謹慎処分に至るまでの経緯と騒動及びその後を参照

[編集] 人物像

  • 歴史好きで中でも明治維新の頃の歴史を好み、名前の由来も新撰組の隊旗から命名。
  • 子供が罹る病気は一通り罹ったというほど病弱で、木造校舎が火事にショックを受け寝込み、マッチが擦れない。ひよこの時から飼育していたぴーちゃんがある日、父親の手により水炊きにされて鶏肉が食べられなくなる等、何かと脆弱な子供だった。ジョギングやストレッチなど健康に人一倍気をつけている現在でも、肋間神経痛、下痢をしやすいなど虚弱体質な一面がある。
  • プロレスや格闘技に造詣が深く、大学のゼミで「アントニオ猪木 新日本プロレスにおける経営戦略」なる卒論テーマを提出するも、あえなく講師が却下。自身もボクシング経験者である。
  • 「お笑い芸人」として活動している中、少し名が売れた途端に女性ファンが群がり、金銭を援助してもらって消えていった芸人を数多く見てきたため、零落する危機感からお金に余裕が無い時でもデートの支払いは必ず自腹を切っていた。
  • 父親の自殺はほとんど公にしてこなかったが「いつみても波瀾万丈(日本テレビ2003年)にゲスト出演した際この件に触れ、同じ境遇にある人からの感動と激励の手紙をもらう。しかし、その中に「私はこれで救われた」など宗教勧誘まがいのものも多々含まれていたため、げんなりしたという。
  • 著書やラジオでは、政治家や官僚の利権や既得権益、司法の在り方、税金、少年犯罪を憂うことも多い。
  • 業界のしきたりや慣例、上下関係や礼儀に敏感で所属事務所では後輩芸人の教育に腐心するなど、面倒見のいい兄貴肌タイプで、給料が月100万円の大台に乗った際には、「やっとお金を気にせず、後輩にメシを奢ってやることが出来る。」と語っていたが、やしきたかじんは北野を「人望が無い」と一刀両断している。
  • 近年、一時期傾倒しながら休止していた株式投資を復活させた。素人向けの株式投資本も上梓した。他に、月に1回日刊スポーツ紙面において、同紙の覆面記者と株式投資でどれだけ収益を上げられるかという対決を行っている。その後、2006年初めからの新興株下落の影響を受け、株式投資に関するコーナーを設けているレギュラーラジオ番組「ツー快!お昼ドキッ」では、その件について真剣に嘆く様子が見受けられた。投資のリスクに触れず簡単に儲かると言う論者と風潮には警告と苦言を呈し、自らの投資も収支はプラスであると語っているも時々、自失しかけるほど手酷い目に遭うことも明かしている。心情は、逐一情報を仕入れ勉強し、相場の推移と動向を常に把握、徹底的なリスクヘッジと、鉄火場博打のような売買には手を出さない事としており、競馬と同様、予想する限りは購入を勧める立場として自腹を切って売買を行う。予想が当ったときは感謝の声が寄せられるが、外れた場合は本人、購入者もろとも阿鼻叫喚の地獄絵図となり萎縮して縮み上がる。ちなみに北野に株取引を勧めて教えたたのは板東英二で、板東に勧められて株を購入するも購入した途端に下落して塩漬けになっている。
  • 無為に時間を潰すのを嫌っており、休みの日である場合も「今日は何もしない」と自分に念じてからでないと休めない。また、音楽を聴きながら掃除やストレッチしながら株取引したりと典型的な「ながら」の面があり。CM撮影での待機時間の長さに閉口してマネージャーに「ドッキリ番組だったら、その通りに演じるから正直に言ってくれ」と懇願している。移動の際もゴシップ誌、マンガ、新聞等の他、文芸、政治経済、歴史、自己啓発本、暴露本、フィクション、ノンフィクションとジャンルを問わず、かなりの読書家の面もあり。長編小説に没頭してしまい中途で本を閉じることが出来ずに翌朝のスケジュールを逆算しつつ本を閉じ、悶々とする事もあった。[7]
  • 現在の住居は東京都にあり、妻、娘、息子の4人家族である。家族との会話は少なく、北野の帰宅を喜んで迎えてくれるのは愛犬のみだったというが、近年息子とは一緒に「戦場の絆」をプレイするなど、仲がいいようである。
  • テレビにおけるお笑いタレントの一発ギャグを頻用した1ネタ数分という消費的な流行を快く思っておらず、面白くともネタの構成上どうしても1ネタ10分以上を必要とするタレントのTV出演の場が壊滅状態である事を嘆いている。

[編集] 交流のある人物

  • キダ・タロー - 御大。大阪を代表する作曲家にして、北野夫妻の仲人である。番組内では時折、お互い嫌味や悪口を言い合う姿を見せてはいるものの、あくまで番組を面白く見せるための演技である。毎年高価な牛肉を贈っており、キダ逝去の際には「形見」を狙っている。
  • 上岡龍太郎 - 「探偵!ナイトスクープ」初代局長。
  • やしきたかじん - 「たかじん ONE MAN」の名物企画「THE まいど」で共演。
  • 笑福亭鶴瓶 - 大学の先輩。「突然ガバチョ!」以来の親交。現在鶴瓶がCBCテレビで担当している「スジナシ!」の収録日が月曜とかぶる際には、北野担当の「ツー快」に飛び入りで鶴瓶が登場することがあり、その際にはフリートークが盛り上がってしまい、予定されているコーナーが飛ばされてしまうことがある。
  • 嘉門達夫笑福亭笑瓶桂雀々 - 北野とは年齢も近く駆け出し時代からの友人で現在でも公私に渡り親交がある。笑瓶とは「突然ガバチョ!」で初共演、嘉門とは「探偵!ナイトスクープ」初期メンバー。又ほぼ同時期に「MBSヤングタウン」(以下「ヤンタン」)でパーソナリティーを務めていたつながり等もあって。当時長年「ヤンタン」水曜日でメインパーソナリティーを担当していた原田伸郎(大学の先輩)は、この4人全員と1人ずつ「ヤンタン」水曜日で原田のサブパーソナリティーとして組んでいた経歴がある(雀々→嘉門→北野(当時はMAKOTO)→笑瓶の順)。一時的だが、この4人は一緒にラジオ大阪で「笑わっしょんなぁ!」と言う番組を担当していたこともある。
  • 西田敏行 - 「探偵!ナイトスクープ」現局長で酒の席に頻繁に誘われる。北野曰く「可愛い人」
  • 岡部まり - 「探偵!ナイトスクープ」現秘書。岡部がHPを立ち上げた事に「岡部まりごときが!」と対抗心を燃やす。文芸書仲間。
  • 桂小枝 - 「探偵!ナイトスクープ」を初期より共に支える探偵(リポーター)。青木君の相手もする。
  • 立原啓裕 - 同上
  • 生瀬勝久 - 同上、東京で出会った際には旧交を温める。
  • 古田新太 - 羽野、きんた・ミーノらとともに「ヤンタン」で共演。
  • 牧野恵美 - 現在牧野エミ
  • 羽野晶紀 - 北野の実家に訪問した際、北野の母親から「可愛いらしい娘やな」と、もてなされる。
  • 中橋かおり - 「ツー快」では木曜→月曜への曜日異動をはさみ、番組歴代DJコンビ最長の7年(2008年9月)に渡り、北野のアシスト役を務めた。
  • つボイノリオ - 「ツー快」の前の時間帯に放送されているCBCラジオ屈指の看板番組「つボイノリオの聞けば聞くほど」のメインパーソナリティー。北野が師と仰ぐ上岡龍太郎を介して、親交を持つようになった。たまに担当曜日である月曜日に、番組に飛び入り出演することもある。かつて、つボイが「整理休暇」と称して1週間の海外旅行に出かけた際に臨時代理を務めたこともある。
  • 森本毅郎 - 「噂の!東京マガジン」メイン司会者。
  • 石川次郎 - 北野がかつて長年レギュラー出演していた「トゥナイト2」メイン司会者。
  • 竹内義和 - 「誠のサイキック青年団」のパーソナリティ。北野は「アニキ」と慕う。
  • 平野秀朗 - 「誠のサイキック青年団」で共演。
  • 山口良一 - 「噂の!東京マガジン」を初期より共に支えるレギュラー。
  • 清水国明 - 同上、かつ、大学の先輩。北野は謹慎中、清水の自宅(河口湖)にある畑の手伝いを申し出る。[8]
  • 渡辺美里 - 「ヤンタン」で共演。得意の下ネタで渡辺を泣かせたことがある。
  • 桂小春団治 (3代目) - 大阪市立高校時代の先輩。
  • 川下大洋 - 同学年であり、食卓の大冒険で共演したことがあり、交友がある。
  • 志穂美悦子
  • 中川勝彦 - 大阪の北野の実家に泊まり、ギターやピアノを弾いて遊んだりと親交が深く、中川の音楽の方向性について互いに色々話し合っていた。当時、極秘で中川の結婚、娘である中川翔子の誕生を知っていた数少ない人間の一人。中川翔子のタレント活動を知った際には感激していた。但し墓参りに行っていないことを彼に向けて陳謝する。ヤンタンキンド館パーソナリティ。
  • 兵藤ゆき - ヤンタンキンド館パーソナリティ。
  • きんた・ミーノ - 北野の実家において音楽の話になり、北野が「食うために売れる曲を作れ」と提案するも渋り、コミックバンドなのか正当な音楽バンドなのか煮え切らない曖昧な方向性に北野が激怒し縮み上がる。
  • 風見しんご - 「しんごちゃん」と呼ぶ仲。
  • 天野こころ - 『トゥナイト2』の企画でスカウトしたAV女優、北野が命名。
主な後輩

[編集] レギュラー出演番組

[編集] 過去

テレビ
ラジオ
ドラマ
CM

[編集] 書籍・出版

  • 『変愛論 「バカヤロー」な男と「ドアホ」な女に捧げる愛のレクイエム 世紀末の定番シリーズ』 メタモル出版 1991年1月 ISBN 4895950204
  • 『なめとんか! 世紀末の定番シリーズ』 メタモル出版 1992年2月 ISBN 4895950352
  • 『北野誠の新青年計画』1~4巻 (ビデオ作品) S・C・C 1992年
  • 『微熱患者の友』メタモル出版 1993年7月 ISBN 4895950549
  • 北野誠の存在証明 どつかれたんねん』小学館 1995年5月 ISBN 4093483116
  • 『噂の定番 新装開店版 バカバカしくて誰もやらなかった噂のメカニズムをまじめに科学しました』 メタモル出版 1994年12月
  • 『失敗しないための結婚ナビゲーション』 岡部まり共著 プラザ 1999年4月 ISBN 4878921676
  • 『G1完全制覇読本〈’99〉』平井浩一共著 プラザ 1999年4月 ISBN 4878921692
  • 『おまえが言え。 ニッポン待ったなし!』 主婦と生活社 2002年3月 ISBN 4391126249
  • 『独断 これが日本だ。』青木雄二共著・幻冬舎アウトロー文庫 2003年
  • 『60分でわかる株のツボ』ヤマモト伸共著・KKベストブック 2004年
  • 不幸になるには理由(わけ)がある 正しい恋愛の掟』一条ゆかり共著 主婦と生活社 2004年 ISBN 4391129205
  • 『北野誠怪談集 おまえら行くな!』 (編集:加藤一マイクロマガジン社 (2006年) ISBN 4896372360
  • 『続おまえら行くな。―北野誠怪異体験集』 (編集:加藤一) マイクロマガジン社 (2007年)ISBN 4896372557
  • 『北野誠×竹内義和 “濃い口”トークラジオ』 (ビデオ作品)ビクターエンタテインメント 2008年8月 ASIN B001AX9ZOI
  • 『死んだら、あかん!』 メタモル出版 2009年 ISBN 489595675X

その他の出版物を参照

映画

[編集] 脚注・出典

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  1. ^ その1年後、吉本興業が吉本総合芸能学院(NSC)を設立。後年、ダウンタウンを筆頭に師匠を持たない芸人を大量に輩出することになる。
  2. ^ 北野が契約した数年後の1984年に松竹芸能は業績不振を理由に角座を閉鎖、経営方針に不満を訴えた所属タレントの解雇とそれに伴う大量離脱という事態に遭遇する。
  3. ^ 番組放送当初は上岡もロケ取材を行っていたが、違法駐車の取り締まりを取材した際に上岡が交番に突入し、警官に向かって違法駐車が放任されている現状を物凄い剣幕で一方的に怒鳴り散らしたため、大阪府警から番組にクレームが入る。上岡がロケ取材を辞める代役とし北野が起用される。
  4. ^ 「邦子がタッチ」など。
  5. ^ [[1]]. 松竹芸能株式会社. (2009年4月13日). http://www.shochikugeino.co.jp/topics/2009/04/post-247.html 
  6. ^ [[2]]. 竹内義和のどきどきブログ. (2009年5月20日). http://takeuchi2.otaden.jp/d2009-05-20.html 
  7. ^ 過去、北野が絶賛した書籍は、貴志祐介黒い家」、天童荒太永遠の仔」、村上龍半島を出よ」、桐野夏生「グロテスク」「OUT」、中島らも「ガダラの豚」等。
  8. ^ [[3]]. スポーツニッポン. (2009年5月6日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2009/05/06/02.html 
  9. ^ 北野の謹慎発表後もインターネット上おいては北野が出演する番組で視聴可能なものが存在し2009年9月までの視聴が可能になっていた。#05において次回放送の挨拶で締めておりGyaOからは番組の打ち切り、北野の降板といった告知は無いままとなっており、公式プロフィールに同番組の記載は無し。
  10. ^ 現夫人は同番組のアシスタント。
  11. ^ 出演当時は新人だった千葉麗子さとう珠緒鈴木紗理奈佐藤仁美と共演。レギュラーには事務所の後輩であるますだおかだ岡田圭右がいた。
  12. ^ 当時の株式会社モスフードサービスはフランチャイズによる全国展開を目指していて、映画とのタイアップでイメージの向上と宣伝効果を狙い、渡りに船と脚本や撮影のチェックも無く二つ返事で映画への使用を許諾。同店の息子が両親の性交を盗み見たり、通行人に「ここのハンバーガーは猫の肉」と揶揄される等シーンが同サービスから問題視されお蔵入りとなっており現在でも再上映もソフト化もされていない封印作品となっている。関係者向けの試写が行われる前は和気藹々とした雰囲気だったが、物語が進む内に同サービス社員の顔が見る見る苦い顔つきになり、まともに話しかけられる状態ではなかったと北野が回想している。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月18日 (水) 08:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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