千宗室 (15代)
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千 玄室(せん げんしつ、1923年4月19日-)は茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。斎号は鵬雲斎。本名は宗興。現在は大宗匠・千玄室と称する。「玄室」と言う名は、千家4代目の仙叟宗室が宗室襲名前に玄室と名乗っており、この事に因んで12代直叟宗室が隠居した際に玄室を名乗った事に由来する。
妻は登三子。長男は現家元16代玄黙宗室。父は14代碩叟宗室(通称・淡々斎宗室として知られる)。姉は茶道家・冠婚葬祭評論家の塩月弥栄子。
宝塚造形芸術大学大学院教授・池坊短期大学客員教授であり、伝統芸術研究領域における指導に当たっている。
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[編集] 受章歴
- 1973年11月、藍綬褒章。
- 1980年11月、紫綬褒章。
- 1989年11月、文化功労者として顕彰される。
- 1994年4月、勲二等旭日重光章。
- 1997年11月、茶道界としては初の文化勲章授与。
- 1998年4月、フランス・レジオンドヌール勲章オフィシエ章。
- 同年5月、タイ王国・ディレクナポーン勲章
[編集] 略歴
- 1923年4月19日、裏千家14代家元碩叟宗室の長男として産まれる。
- 1943年、学徒動員により第14期海軍予備学生として海軍に入隊。舞鶴の海兵団から土浦の航空隊に転属し、士官になるための基礎訓練を受ける。徳島の航空隊に転属になり、海軍少尉に任官。
- 1945年、特別攻撃隊(通称・特攻隊)に志願。
- 同年10月、終戦に付き除隊。同志社大学法経学部経済学科に復学。
- 1946年、同志社大学卒業。
- 1949年6月、大徳寺管長後藤瑞巌老大師につき得度。斎号鵬雲斎を授く。
- 1950年、ハワイ大学に修学。
- 1959年、日本青年会議所会頭に就任。
- 1964年、父宗室死去により千利休居士15代裏千家今日庵家元宗室襲名。
- 2002年12月、長男に家元継承。玄室に改名。
- 2006年11月1日 源氏物語千年紀のよびかけ人となる。
[編集] 人物
- 同年生まれ(学年は宗室が1年下)の俳優である西村晃と特攻隊で同じ隊に所属していた。特攻作戦の実行が近づいたため徳島から串良海軍航空基地に移動する日、飛行訓練後に自分達が乗る飛行機の機体の傍で手持ちの道具と配給の羊羹で5人の隊員全員と茶会を催した事は、戦後西村の述懐・自身の著作や講演などで広く知られる。西村は出撃したが機体故障の為引き返し、また宗室自身は出撃する事が無かった為、同隊ではこの2人のみが生還した[1]。1997年に西村が死去した際、故人の遺言に従って葬儀委員長を務めた。
[編集] 著書
- 『一椀からピースフルネスを』(淡交社)
- 『茶の精神』(講談社)
- 『好日』(近代出版社)
- 『千玄室が語る茶の楽しみ』(ランダムハウス講談社)
- 『茶のこころ世界へ』(日本放送出版協会)
- 『千玄室対談集 国を想う―京都、日本、そして世界へ』(淡交社)
- 『千玄室対談集 道を拓く―ひとすじの道に生きる』(淡交社)
- 『生かされている喜び』(淡交社)
- 『時代の証言者〈15〉「茶のこころ」千玄室』(読売新聞社)
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
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最終更新 2009年11月8日 (日) 08:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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