半田屋
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 本社所在地 | 〒980-0014 宮城県仙台市青葉区本町1-9-12 |
| 設立 | 1963年3月 |
| 業種 | 小売業 |
| 事業内容 | 飲食店 |
| 代表者 | 代表取締役社長 半田英俊 |
| 資本金 | 5,387万円(平成17年9月末現在) |
| 売上高 | 直営38億6000万円 (平成17年度グループ全体) |
| 従業員数 | 正社員58名/パート533名 |
| 主要子会社 | (株)はんだフーズ(食料品卸売業) (株)きらら寿司(回転寿司店) |
| 外部リンク | http://www.handaya.jp/ |
株式会社半田屋(はんだや)は、宮城県仙台市に本社を置く、大衆食堂半田屋を運営する企業である。
目次 |
[編集] 概要
宮城県仙台市を中心に全国に直営7店、FC40店を展開している。「はんだや」時代には安さにおいて他の追随を許さず、ほとんどの店が24時間営業であったため、学生の比較的多い仙台市では「夜の学食」との異名を持つほど親しまれる。
半田屋は、仙台市できらら寿司1店とびっくりドンキー3店も営業している[1][2]。
70年代後半にはテレビの東北放送などで「うまい やすい めしのはんだや 味噌ラーメンも あ・る・よ!」や、80年代後半~90年代初頭までは男性が一心不乱にどんぶりめしを食らうというテレビコマーシャルを流していた。ラジオ等でながれていた「♪めっし~のはんだや」というフレーズを覚えている人も多い。
[編集] 「めしのはんだや」発祥
戦後間もない頃、庶民がお腹いっぱい食事をすることは夢であった。仙台駅前名掛丁の横丁(ジャンジャン横丁)に誕生した「めしのはんだや」は創業者に近い古川の協力者から仕入れた食材を使い「はんだやのメシはササニシキ100%」「安くて美味い物を心豊かにお腹いっぱい」食べることが出来る店としてカフェテリア形式で展開し、多くの仙台市民の胃袋と心を満たした。この1号店は仙台駅前店として長く営業を続け、終戦後の闇市飲食店的雰囲気を伝えており「聖地」と呼ばれていたが、再開発の影響により2008年7月26日に閉店した。
[編集] 「めしのはんだや」と「大衆食堂半田屋」
1980年代までは、店舗名が 「めしのはんだや」 ブランドのみで、伝票方式のみの精算方法をとっており、仙台市周辺のみの店舗展開であった。店内は白一色で、長テーブルと丸椅子が並び、まさに定食屋の雰囲気が漂っていた。この頃の客層は、一人暮らしする男子学生や男性肉体労働者や男性単身赴任者が中心であり、一定の支持を受けていた。その学生食堂より安い値段とボリュームあるメニューの内容と量も多く地元米使用で味も良いご飯から、愛着の表現である「えさのはんだや」「配給所」の異名でも仙台市民に愛されていた。いっぽう、郊外店は「ドライブイン食堂」のような雰囲気を醸し出しており、職業ドライバーの利用が多かったが、全体としては勃興してきたファミリーレストランにおされていた。
1990年代になり、座席数の多い郊外店の「めしのはんだや」では、カフェテリア方式の導入が始まった。店舗によっては、ファミリーレストランを意識したソファー型ボックス席を設置する等の改革が図られた。これにより、家族連れや女性などの新たな客層を開拓したが、店内はやはり白一色で、定食屋の雰囲気は残ったままであった。この頃、北海道札幌市など宮城県以外の地域へも「めしのはんだや」ブランドで出店を始め、一部ではフランチャイズ展開も開始した。
2000年頃からは、内外装にレンガや木をふんだんに使ったおしゃれな雰囲気の「大衆食堂半田屋」ブランドで中田店を皮切りに改装の出店を開始[3]。インテリアには、籐椅子やソファー型ボックス席を多用し、おしゃれなファミリーレストランの雰囲気を出し、イメージチェンジが図られた。
「めしのはんだや」ブランドでは "安い飯を大量に" をモットーとしていたが、「大衆食堂半田屋」ブランドでは、ソフトクリームやフルーツなどのデザートの拡充、ドリンクメニューの追加、大皿から自分の好きな分だけ取れるおかずの導入、一貫から選べる寿司の導入など、女性向けの "少量で多種類の食事"に舵を切った。この戦略が当たり、「大衆食堂半田屋」は、デフレの波にも乗って、"安くておしゃれな定食屋さん"として若い女性にも人気の店となり、場所によってはマクドナルドやびっくりドンキー、大戸屋などと同じ土俵で戦っている。学生層やサラリーマン層にもより入りやすい店舗となり好評である。安くお腹いっぱい食べられる定食屋の良さは失われておらず、従来の男性客層にも評判は悪くない。
店舗によっては壁に「はんだや五ヶ条」の掲示も見られた。
■はんだやは純メシやです。■
「一 オカズを持ち込む人」
「二 酔って騒ぐ人」
「三 食べ終わってもなかなか帰らない人」
「四 お勘定をごまかす人」
「五 ツケにしろと、金を払わない人」
■みんなお断り!■
「めしのはんだや」としては仙台市と札幌市のみの展開だったが、この「大衆食堂半田屋」ブランドの成功により、全国へ出店攻勢をかける事になる。この結果、現在は公式HPで「めしのはんだや」のひらがな表記店舗を確認することは出来ない。最後まで「はんだや」を冠していた六丁の目店も、2009年7月3日のリニューアルにより「半田屋」に外装を衣替えされ、すべての「はんだや」が姿を消す事となった。
[編集] 安さの秘訣
安くたくさん食べられる店という基本コンセプトで総菜は集中生産方式、大量仕入れによるコストダウンなどを図っている。しかし近年の原油価格高騰、穀物価格高騰により、飯の量を減らしたり、価格を軒並み2割以上引き上げるなどが見られる。
[編集] セルフ方式とオーダー方式
はんだやは店舗によって注文・精算方式が分かれる。まず、何を食べるかを選ぶ注文の段階では、従来からのセルフ方式店舗に加え、最近ではオーダー方式の店舗も存在する。精算の段階で分類すると、セルフ方式店舗において、伝票方式とカフェテリア方式とに分かれ、食事と精算の順序が異なる。
[編集] セルフ方式
はんだやは、従来からセルフ方式 の店舗がメインになっている。 まず、店に入ってトレーを取り、並んでいる単品のおかずから自分の好きなものをトレーにのせ、バックヤードに続く窓口のところに行く。窓口では、ご飯や麺類などの主食を注文する。ご飯はその場で盛り付けて渡されるが、麺類の場合は番号札を渡される。
この後の利用法が「伝統の伝票方式」と「現在のカフェテリア方式」とで大きく違っていた。
カフェテリア方式の店舗の場合は、そのままレジに並んで精算し、その後食事をすることになるが、 伝票方式の店舗の場合は、食べ物を取り終えた時点でお金を払わずに 空いている席に座り、そのまま食べ始めてよい。食べていると、店員が無言ですっと斜め後ろ辺りに寄って来て、食べているものを伝票に書き込む。書き終わると、伝票を斜め後ろからテーブルの上にすっと置き、店員は無言のまま立ち去る。食事がすんだら下膳口に下膳して、伝票をレジに持って行き、精算して店を出る。
「めしのはんだや」 ブランドでは、店舗によって伝票方式とカフェテリア方式とに分かれていたが、「めしのはんだや」ブランドは現在では絶滅しており古くからのはんだや好きからは伝票方式の復活望む声もきかれる。残った「大衆食堂半田屋」では、全ての店舗でカフェテリア方式が採用されている。
[編集] オーダー方式
なお、最新の半田屋には、吉野家と同じようなカウンター方式で注文をとる店舗も出来た。セットメニュー(180円、250円、350円)がメインで、ラーメン200円、そば・うどん120円、カレーライス250円などのメニューもある。「セルフ方式」は注文をとる従業員の分の人件費はかからないが、入店から退店までの時間がかかり、客の回転率がよくないという問題があった。そのため、仙台のビジネス街に出店した半田屋で、この「オーダー方式」が導入され始めている。客の回転率を高くして収益性を上げることで、三大都市圏のビジネス街でも戦えるようなデータを集めていると考えられる。「半田家」ブランドのこの食券方式は仙台駅前キララ横の失敗で絶滅したと思われていたが、滝沢ハイウエイ食堂(上下)などで復活している。
[編集] はんだやの象徴
はんだや(半田屋)には「はんだや三種の神器」ともいうべきも3つの象徴がある。この三種の神器は学生利用者が多い、はんだやならではのユーモアであるとも言われている。
[編集] 「生れた時からどんぶりめし」
はんだやは、創業以来、「生れた時からどんぶりめし」 のキャッチコピーを使用している。かわいらしい無垢な幼い女の子が、口を大きく開けてどんぶりめしを頬張る。そんなポスターにこのキャッチコピーが書かれている。店に入ると、そのポスターが上の方に掲げられており、よく目につく。これは、「大衆食堂半田屋」 ブランドでも変わらず続いている[4]。初期のポスターには、「メシはすべてササニシキ100% 心豊かにハラいっぱい お召し上がり下さい」と表示されていたが、現在では削除されている。
[編集] 「貸借は友を失う」ゲーテ
「めしのはんだや」 ブランドの店に行くと、もう一つ重要なモットーが店内のいたるところに貼ってある。それは、「貸借は友を失う ゲーテ」 だ。小さなお札くらいくらいの大きさに、達筆でその文言は書かれ、食事をしている人の目線の高さで、いくつも壁に貼ってある。が、実はゲーテでは無い。 創業者の茶目っ気と言うのが定説である。 これの金言はハムレット第一幕、第三場 59行目 フランスへ旅立つ息子レアティーズに忠告するポローニアスの台詞からとったものである。
借手にもなるな、貸手にもなるな。
借金(かり)は倹約の刃鋒(きつさき)を 鈍くし、
貸金(かし)は動(やゝ)もすれば 其元金(もと)を失ひまた其友をも失ふ。
[編集] 幻の「めし(大)」
はんだやを語る上で欠かせないのが、めしの存在である。米の名産地である宮城県に立地するチェーンである以上、顧客の米の食味に対する要求水準は高い。はんだやはあくまで宮城県産米の使用を堅持することにより、米にうるさい仙台市民・宮城県民の満足を勝ち得てきた。 はんだやは、創業した戦後まもない頃から、ご飯の盛りが多いことを店の特徴としてきた。戦後60年も経ち、グルメブームを経験した現在において、その盛り具合は異質でさえある。
- めし (ミニ) : 180g(御飯茶碗)
- めし (小) : 320g(どんぶり)
- めし (中) : 480g(どんぶり大盛り)
- めし (大) : 800g(以下参照)
実際には「めし(大)」は提供されており、例をあげれば、石川県の「野々市店」では「めし(大)」(800g)を「270円」で販売している。 「めし(大)」は、「めし(中)」の上に「めし(小)」のどんぶりをひっくり返してごはんを盛り、しゃもじで、ごはんがこぼれないように整えてから提供される。かなりのてんこ盛りである。グラムも表示されている。 また、半田屋では地方の実情に合わせ、ごはんの炊き方を替えており、石川県では「やわらかめ」にしている。
レジ近くの上の方に掲げられているメニューには、それぞれ値段が書いてある。県外の半田屋は名前通りの量を出すところがあるので、必ずしも「めし(中)」でどんぶり大盛りが食べられるわけでもない。
ところで、メニューにある 「めし (大)」 には、価格が表示されていないどころか、「とても食べられません。(中)で充分です」 と書いてある。 伝票方式の場合には「とても食えない。(中)でたくさんです。」と伝票にも印字されている。
「めし(大)」が提供されていない理由については、 開店当初の仙台本町店で、この「めし (大)」を出していた時期がある。 みそラーメンどんぶりのすりこぎ器に山盛りのご飯が出ていた。 ただし沖縄地区の店舗ではミニサイズが廃止され、大中小の3種類で販売していたが、沖縄からは撤退した。
実際には提供されることのない「めし(大)」をメニューに設定している理由について、1995年ごろ、東北放送ラジオによる電話取材に対してはんだや本部として回答している。
その理由とは、腹いっぱい食べたいという夢のためにあえて幻にしてある、というものであった。 すなわち、食糧難の時代に好きなだけめしを食うというのは人々の夢であり、(大)の量を具体的に設定してしまうことは、食えるめしの量に上限を設けることになる。そこで(大)の量をあえて未知数にすることで、その根源的な欲求に対して、実現のための無限の余地を残している、という。 ちなみに、親戚の経営する「めしのかずさや」には大盛りが存在するらしい。
[編集] 半田屋の全国展開上の戦略
「めしのはんだや」 ブランド時代は、本社のある仙台市と、札幌市のみに店舗展開をしていたはんだやだったが、仙台市内での 「大衆食堂半田屋」 ブランドの成功により全国展開を始めた。それは、直営店(7店)とフランチャイズ店(40店)の2通りでおこなっているが、出店場所に特色がある。
まず、全国展開の初期には、競輪場・競馬場・競艇場などの周辺に出店している。
などがこの例だ。ここで客層や客単価の分析が進み、競馬場等の近く以外でも出店するようになる。
次なる客層を狙い、兵庫県三木市に関西1号店を出店した。店舗は、山陽自動車道・三木小野ICから出てすぐの国道175号沿道にあった。この店舗は、オートバックスとのコラボレーションとして注目を集めた。しかし、何らかの理由で撤退に到っている。
現在は、仙台市・札幌市(アンビーレストランサービス店は倒産閉店)・広島市を核に、全国の都道府県すべてに出店するかの勢いで攻勢に出ているが、従来のロードサイド単独店以外の出店方式として、若者が集まる中心商業地や駅前に進出したり、郊外ショッピングセンター等の店子としての出店形式も取り入れている。
- シネコンとの併設例
- 郊外ショッピングセンター等の店子の例
なお、仙台のビジネス街にある店舗では、吉野家のようなカウンター「オーダー方式」を採用している店舗が、他都市のビジネス街に出店し始めるためのデータ収集を開始していたが、営業終了し高速インター店にそのデータを生かしている。
2004年に北池袋店が開店した際には、首都圏ローカルの雑誌やTBSのテレビ番組『王様のブランチ』で取り上げられるなど注目を浴びた。また、『日本経済新聞』(東北版)2006年10月18日朝刊には、東京都内に食券方式の小型店舗を展開する方針との記事が掲載された。しかし実際には、2007年6月に東京・千葉地区で半田屋のフランチャイズを行なっていた株式会社ポポラーレが、同地区での半田屋事業を見直し4店舗を閉鎖したために、2008年2月現在都内及び千葉には店舗が存在しない。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 半田屋
- ポポラーレ(東京と千葉の4店舗をフランチャイズ。2007年6月で撤退)
- サンフィールド株式会社(広島の3店舗をフランチャイズ)



