南紀白浜温泉
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| ♨南紀白浜温泉 | |
|---|---|
| 温泉情報 | |
| 所在地 | 和歌山県西牟婁郡白浜町 |
| 交通アクセス | 鉄道:JRきのくに線白浜駅(特急停車駅)から明光バス10分、南紀白浜空港は駅よりも温泉街に近い バス:大阪駅、なんばから直行バス(阪和自動車道経由)も運行 車:阪和自動車道南紀田辺ICから自動車 |
| 泉質 | 塩化物泉、炭酸水素塩泉 |
| 泉温 | 32〜85 °C |
| 外部リンク | 南紀白浜温泉(白浜観光協会) |
南紀白浜温泉(なんきしらはまおんせん)、もしくは白浜温泉(しらはまおんせん)は和歌山県西牟婁郡白浜町にある温泉である。温泉として非常に歴史が古く、日本三古湯のひとつに数えられる。古い文献では牟婁の湯と呼ばれていた。広義での白浜は温泉郷であり、さらに湯崎、大浦、古賀浦などさらに5つの温泉地に細分できる。海岸沿いに温泉施設、宿泊施設が広がっており、西日本有数のマリンリゾートとしても発展している。
目次 |
[編集] 白浜と南紀白浜
地元自治体名としても知られる「白浜」という名称だが、歴史的由来としては浅いものである。柳田國男の「海上の道」論にいう黒潮文化圏の例証として房州の白浜町(南房総市)とともに名が挙げられることもあるが、房州の白浜の史料上の初出が平安時代の『和名類聚抄』や『延喜式』にあるのに対し、紀州の白浜の名が初出するのはようやく大正年間のことである[1]。
1940年(昭和15年)の白浜町制施行前の当地域は瀬戸鉛山村(せとかなやまむら)といい、「牟婁の湯」として知られていたのは鉛山地区(湯崎地区)にあった温泉であった。第一次世界大戦後の1919年(大正8年)、鉛山地区に対抗して独自の温泉場を作る試みが地元有志の手で始められ、3年後の1922年(大正11年)に瀬戸と鉛山のほぼ中間の白良浜付近にて源泉を掘り当てることに成功し、このころに「白浜」という温泉名が作られた(『白浜町史 本編下巻一』)[2]。このとき、白浜の名の根拠となったのは、鉛山湾に面した白良浜である[3]。白良浜はケイ酸含有率90パーセント以上の石英砂からなり、ガラスの原料として移出されていたこともあった[4]。白良浜の白い砂は古くから知られており、歌枕として使われたり、白いことの形容として使われたこともした[5]。
この後、白浜の名は、当時の商船会社が「白浜温泉」の名で温泉の宣伝に努めたことや、温泉開発にあたった会社が1923年(大正12年)にあらためて白浜温泉自動車株式会社を名乗ったことに加えて、1929年(昭和4年)の昭和天皇の白浜行幸によって全国に報じられたことで、定着がすすんでいった[2]。このように観光開発が主導して作られ、広められた名であったために、白浜を駅名や町名として採るにあたっては、旧来の鉛山地区との対立から、大きく難航した[6]。
また、「南紀白浜(温泉)」という呼び名もこうした観光上の要請から使われ始め、定着したものである。「南紀」とは本来は紀伊国(廃藩置県後の和歌山県全域と三重県の一部)を指す地域区分である[7]。南紀地域内での地域区分としてさらに紀南があり、白浜は紀南に含まれる。地理学者の山口恵一郎は、「南紀」が広く流通し始めたのは、戦後の観光ブームに即したものであるとしており[8]、これがさらに昭和40年代頃には南紀と紀南が互換的に使用されるようになっていった[9]。
[編集] アクセス
- 鉄道:JRきのくに線白浜駅(特急停車駅)から明光バス10分、南紀白浜空港は駅よりも温泉街に近い。
- バス:大阪駅、なんばから直行バス(阪和自動車道経由)も運行。
- 車:阪和自動車道南紀田辺ICから自動車。
[編集] 泉質
[編集] 効能
胃腸病・神経痛・リウマチなど
※ 効能は万人に効果を保証するものではない。
[編集] 温泉街
白浜温泉は京阪神から一泊旅行に適した温泉場のひとつで、京阪神方面からの客が多い。南紀白浜空港もすぐ近くなので、遠方から訪れることもできる。白良浜沿いには大規模なホテルが林立しているが、温泉街には民宿や旅館などもある。ほとんどの宿泊施設は浴室に温泉を引いているが、温泉施設のみの共同浴場や料亭・オートキャンプ場の中に温泉を併設したとした施設も見られる。大きなホテルや旅館では有料で温泉のみの利用もできる。
[編集] 名産
太平洋や紀伊水道に面しているので海産物は豊富であるが、特に近隣のすさみ町ではイセエビの水揚高が日本一(自治体単位)であることから、イセエビ料理が名物になっているほか、クツエビ(セミエビ)も知られている。また、クエの水揚げも多く、古くから天然のクエを自慢とする宿もある。
[編集] 共同浴場
- 松の湯
- 公民館のような建物の中にあり、窓から景勝の円月島を眺めることができる。地元の人も多く利用する共同浴場。
- 白良湯
- 白良浜の砂浜から出たところにある共同浴場。夏は多くの海水浴客で賑わう。
- しらすな
- 白良浜の砂浜の中にある露天風呂。男女混浴なので夏は海水浴客が水着のまま利用し、冬は足湯に利用される。白良浜の中にあるので夏は海水浴客で大変賑わう。
- 牟婁の湯
- 日本書紀や万葉集に詠われた古い源泉である。
- 崎の湯
- 太平洋に面した開放感あふれる露天の岩風呂。658年(斉明4年)に斉明天皇と中大兄皇子が入湯したと言う由緒ある湯。紀州藩主時代の徳川吉宗も入湯した。波を間近に感じながら入れる温泉だが、天候が悪くなり波が高くなると入湯禁止になる。
- 綱の湯
- 耐震性の低さによる危険性から2005年9月末で一旦閉鎖されたが、新築し2008年6月に開業。
[編集] その他の施設
- 長生の湯
- 白浜温泉パーク草原の湯
- 山肌に作られた温泉施設。海を展望できる風呂(絶景かな温泉)と草木に囲まれた風呂(草原の湯)に大きく分かれ、どちらも露天と内湯がある。絶景かな温泉は入り口よりエレベータでさらに高い所へ向かう。「27種類の露天風呂」としているが、これは男女の湯船一つ一つに名前を付けたもので、一人で27種類の温泉に入れるわけではない。また、中には入浴禁止になっている湯船もある。別料金で家族やカップル向けの貸し切り風呂も利用できる。温泉以外に料亭や宿泊施設も併設している。
- 千畳の湯グランパス
- 「オートキャンプ場グランパス」の中の温泉。オートキャンプ場の利用者が多い。
- とれとれの湯
- 料亭「いただき亭」の中にある温泉。料理と温泉が楽しめる。
温泉街にある温泉神社では、6月に献湯祭が行われる。その際、一部共同浴場に無料で入浴することができる。
[編集] 近隣の観光地
白浜の由来である白良浜は白くさらさらな砂浜。毎年ゴールデンウィークに海開きを行い、夏の海水浴シーズンは多くの海水浴客で賑わう。近くには千畳敷・三段壁・円月島などの景勝地や、南紀白浜アドベンチャーワールド・白浜エネルギーランドなどの施設や名勝がある。
[編集] 歴史
それ以後、貴族(江戸時代は紀州藩主)から庶民まで、たくさんの人が白浜温泉を楽しんでいる。もっとも、牟呂の湯として古くより名を馳せていたのは湯崎地区のみである。今日に見る大規模な温泉街が作られたのは1920年(大正9年)のボーリングからで、以後は大浦、古賀浦地区などにも温泉地が展開され、国鉄紀勢本線の開通に伴い、飛躍的に観光客が増加した。
戦後は団体観光客向けの歓楽温泉として発展するが、1975年(昭和50年)頃から南紀白浜アドベンチャーワールド、白浜エネルギーランドの開園に伴い、家族向けのレジャー温泉地へと変化を遂げている。
[編集] 温泉湧出の謎
なお、白浜温泉は日本列島を覆うどの火山帯にも属しておらず、火山が周辺にないのに温泉が湧き出ていることが、不思議とされてきた温泉でもある。ところが近年の調査で、白浜、有馬などの一帯の高温を噴き出す温泉は火山性の温泉ではなく、太平洋から潜り込んだプレートから滲出した高温の地下水が滞留しているものであることが核燃料開発機構より研究報告された[10]。
[編集] 位置情報
[編集] 脚注
- ^ 桑原[1999: 331-332]
- ^ い ろ 桑原[1999: 332]
- ^ これとは別に「白浜」という小字がある。だが、田辺湾に面した凹地で、白良浜からは1.5キロメートルほど離れている上、瀬戸地区のはずれである[桑原 1999: 333-334]。
- ^ 桑原[1999: 332、334]
- ^ 桑原[1999: 334]
- ^ 桑原[1999: 333]
- ^ 小池[1986]
- ^ 渡辺ほか[1967]
- ^ 桑原[1999: 303-305]。この種の南紀と紀南の混同は昭和40年代半ば以降のもので、すくなくとも大正年間には見られなかった[桑原 1999: 305]
- ^ 2004年4月28日読売新聞記事より。
[編集] 文献
- 桑原 康宏、1999、『熊野の集落と地名 - 紀南地域の人文環境』、清文堂 ISBN 479240486X
- 小池 洋一、1986、『和歌山県の地理』、地人社 ISBN 4885010551
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 南紀白浜温泉(白浜観光協会)
- 白浜温泉旅館協同組合
最終更新 2009年5月9日 (土) 05:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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