南部実長

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南部 実長(なんぶ さねなが、貞応元年(1222年) - 永仁5年9月25日1297年10月19日))は、鎌倉時代中期の御家人南部光行の三男。兄弟に行朝、実光、朝清、宗清、行連らがあり、子に実継、実光、祐光、長義らがある。八戸氏(根城南部氏)の祖。仮名は六郎三郎。日蓮の有力壇越として知られ、また甲斐国波木井(はきり)に居住したことから波木井実長とも呼ばれる。

父光行に続き甲斐国巨摩郡内に所領を有し、同郡波木井、御牧、飯野三郷の地頭職を兼ねた。文永6年(1269年)頃、これ以前より交流のあった日興の導きにより日蓮に帰依する。そして同11年(1274年)には、流罪を解かれ佐渡から鎌倉に戻った日蓮を波木井郷へ招き入れ、まもなく領内の身延山中に草庵を造営し外護の任にあたった。弘安4年(1281年)、身延の草庵に十間四面の堂宇を建立寄進し「久遠寺」と命名、また実長も出家し日円と号した。

翌弘安5年(1282年)、病により体調を崩した日蓮が常陸国湯治に出掛ける際には子息を随伴させている。日蓮入滅後、身延山には実長の師である日興が入り久遠寺の別当となったが、弘安8年(1285年)以降、教義を巡る見解の相違から実長は同じく日蓮の高弟であった日向に師事するようになり、日興はこれを契機として身延を下山することになったと云われる[1]

後代、長男実継の家系は陸奥国を地盤とする八戸氏(根城南部氏)として存続し、本拠地である甲斐国波木井郷は四男(一説には長男とも)長義の家系が継承した。

[編集] 脚注

  1. ^ 日蓮宗富士門流側の見解による。

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最終更新 2009年11月8日 (日) 08:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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