南野知惠子
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| 生年月日 | 1935年11月14日(74歳) |
|---|---|
| 出生地 | 旧満州、黒竜江省チチハル市 |
| 出身校 | 大阪大学医学部附属助産婦学校卒業 |
| 学位・資格 | 看護師 助産師 英国看護師資格 |
| 前職 | 大学教授 |
| 所属委員会 |
厚生労働委員会委員 決算委員会委員 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 比例区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 所属党派 | 自由民主党(町村派) |
| 党役職 | 総務会副会長 |
| 会館部屋番号 | 参・議員会館341号室 |
| ウェブサイト | 泣こよっかひっ飛べ |
南野 知恵子(のおの ちえこ、1935年11月14日 - )は、日本の政治家。参議院議員。元法務大臣(第2次小泉内閣・第3次小泉内閣)。日本ユネスコ国内委員会委員。
目次 |
[編集] 概要
満州国チチハル市生れ、鹿児島県育ち。法務大臣の退任直前、千葉・高知連続殺人事件で死刑が確定していた者に対して、死刑執行を命令した。性同一性障害者性別取扱特例法の成立に尽力した。
[編集] 略歴
- 1935年11月:満州に生まれる
- 1954年3月:鹿児島県立甲南高等学校卒業
- 1957年3月:国立鹿児島病院附属看護学校卒業
- 1958年3月:大阪大学医学部附属助産婦学校卒業
- 1963年:英国留学
- 1966年:帰国
- 大阪・鹿児島での病院勤務ののち、大阪大学医療技術短期大学部講師・東海大学医療技術短期大学助教授・山口大学医療技術短期大学部教授を歴任
- 1988年:日本赤十字看護大学教授
- 1992年7月:参議院議員通常選挙(比例代表)で初当選
- 1995年8月8日:労働政務次官に就任(-1996年1月11日)
- 1998年7月:参議院議員通常選挙(比例代表)で再選
- 2001年5月1日:厚生労働副大臣に就任(-2002年1月8日)
- 2004年7月:参議院議員通常選挙(比例代表)で三選(15万2685票)
- 2004年9月27日:法務大臣・内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)に就任*(-2005年9月21日)
- 2005年9月21日:法務大臣・内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当)に再任(-2005年10月31日)
- 2005年12月24日:自由民主党鹿児島県支部連合会会長に就任(-2006年6月11日)
[編集] 発言
- ハンセン病を「らい病」と古い呼称で表現したこともあった。
- 法務大臣在任中、国会答弁では内容が二転三転したり、答えに窮して「何分専門家ではないもので」などと述べることもあり、また、国会答弁・記者会見に当たっては即答を避け質問の度に官僚側に相談するという場面が多く見られた(看護師であり本来は厚生族)。
[編集] 著作
(単行本)
- 『「解説」性同一性障害者性別取扱特例法』日本加除出版、2004年9月。
- 『詳解改正DV (ドメスティック・バイオレンス) 防止法 』ぎょうせい、 2004年12月。
- 『詳解DV (ドメスティック・バイオレンス) 防止法』 ぎょうせい、2001年10月。
- 『泣こよっかひっ飛べ : 看護の道から政治の道へ』自由民主党東京都参議院比例区第六十八支部、 1998年5月。
- (共著)『アクティブバースの考え方と展開 』メディカ出版、1992年10月。
- (共著)「出生時および出生直後の母子の看護」『母子の看護 』 日本看護協会出版会、1991年8月。
- (編集企画)『出産と看護 : 妊娠から産褥まで』金原出版、1989年2月。
(論文)
- 「優生保護法の一部改正について 」『看護』49(1)、1997年1月。
- 「出生直後新生児の取り扱い(正常新生児)--助産婦・看護婦の立場から」『産婦人科治療』47(2)、1983年8月。
- 「周産期の看護--とくに保健指導を中心に」『産婦人科治療』42(3)、1981年3月。
- 「欧米各国における助産婦のうごきとそのありかた」(共著:竹村 喬)『産科と婦人科』46(5)、1979年5月。
- 「母乳栄養推進のための保健指導 (乳房とその疾患の治療)」『産婦人科治療』36(6)、1978年6月。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 泣こよっかひっ飛べ(公式サイト)
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最終更新 2009年10月17日 (土) 13:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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