南長野

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南長野(みなみながの)


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南長野(みなみながの)は長野県長野市の市街地西部にある地域(大字)。

以下の町が属しているが、長野市街地内の町(通称名)については住所表示の際に「大字南長野」を省くことが多く、郵便番号もそれぞれ単独で与えられている[1]。また、町名(通称名)のほか「幅下」「十念寺裏」といった小字があるが、これらは原則用いない(省略する)ことが長野市の慣例となっている。つまり、後町小学校近くの住所を例にとると以下の3通りの表し方がある。

  • 長野市大字南長野西後町*** - *
    - 慣例による(大字を省略しない)表記
  • 長野市西後町*** - *
    - 慣例による(大字を省略した)表記。最も一般的
  • 長野市大字南長野字十念寺裏***番地*
    - 登記などに用いる表記

しかしながら、例えば長野県は長野県庁の住所を「大字南長野字幅下」と表記しており(慣例に従うならば「大字南長野妻科」または「妻科」)、混乱に拍車をかけている[2]

目次

[編集] 概要

長野県庁本館(妻科

南長野は、長野市街地を構成する3大字の一つである。

西端を裾花川が流れ、南端に信越本線長野新幹線が通り、長野駅が置かれている。地域のほぼ中央を昭和通り国道19号)が東西に横切り、西端を県庁通り国道19号県道)、東端を中央通り県道・市道)が南北に通る。地域内には裾花川から分かれた鐘鋳川(鐘鋳堰=かないぜき)・北八幡川・南八幡川・古川・計渇川(けかちがわ)・宮川といった用水が曲がりくねりながら流れ、市街地と善光寺平に潤いをもたらしている。

北は大字西長野大字長野、東は大字鶴賀南千歳一丁目、南東は信越本線を隔てて大字栗田、南西は中御所一丁目大字中御所、西は裾花川を隔てて大字平柴と接する。

古くは、北国街道(善光寺表参道)に沿った石堂町後町などは善光寺町の一部として町場化していたものの、それより西の現在の県町妻科などはまだ農村であった。しかし明治に入り、1874年(明治7年)に(旧)長野県庁が西長野に置かれると、隣接する当地域も次第に市街地化し、旭町県町といった町が新たに発足した。さらに1888年(明治21年)には、当地域の南端に長野駅が開業し、末広町が新たに発足。長野市の市街地・繁華街は善光寺周辺から徐々に南進していった。

現在の南長野は、1913年(大正2年)に妻科へ移転した長野県庁を中心に県庁通り沿道が官庁街となっている一方、長野駅を中心に中央通り沿道に繁華街が広がる。しかし繁華街は次第に東に接する鶴賀南千歳町など)へ移りつつある。

前述の通り地域内には6つの用水が曲がりくねりながら流れているが、その多くは暗渠となり、その上が小路になっている。そのため、碁盤目状の区画の善光寺周辺に対して、当地域(特に南部)では曲がりくねった小路が入り組み、町の区画が複雑になっている。こうした入り組んだ小路・路地、また町の中を流れる小川を観光資源とする構想があり、2008年(平成20年)には第6回全国路地サミットが長野市内で開かれた。

[編集] 沿革

旧南長野町の歴史
長野市南長野の歴史

[編集] 県町

県町(あがたまち)は、長野県庁の東に広がる町。郵便番号380-0838

町の西縁を県庁通りが南北に通る。北端を通る官庁通りの地下には鐘鋳川(鐘鋳堰=暗渠)、町中央部には中沢川(開渠)がともに東西に流れる。

北は旭町長門町、北東は諏訪町、東は西後町、南は南県町、西は妻科と接する。

県庁通り沿いなどは官公庁・各業界の会館・企業の支社・中小の事業所などが多いが、一歩入れば閑静な住宅街である。

旭町などとともに、明治期に新たに起立した町である。

地区内の人口は、148世帯 287人(平成21年1月1日現在)[3]

[編集] 交通

町内に公共交通機関は走っていないが、中央通り県庁通りを走る路線バスが利用できる。

[編集] 周辺

THE SAIHOKUKAN HOTEL(犀北館)

[編集] 北石堂町

北石堂町(きたいしどうちょう)は、JA長野県ビルを中心に広がる町。郵便番号380-0826

町の中心部を錦町通りが東西に横切り、東部を中央通りが南北に貫く。北端の南石堂町との境から町中央部にかけてを古川(開渠)、西部の岡田町との境付近を計渇川・宮川(一部暗渠)が南北に流れる。

北は南県町新田町、東は南千歳町、南東は南千歳一丁目、南は南石堂町、西は岡田町と接する。

西部の特に中央通り沿いには中小の商店やagainなど商業施設が集まり賑わいを見せるが、東部(山王地区)は閑静な住宅街となっている。

江戸時代には石堂町(いしどうちょう)と呼ばれ、善光寺町のうち松代藩領 妻科村に属していた。のち、南石堂町を分けて現在に至る。石堂町という町名は、刈萱山西光寺ゆかりの刈萱上人の子・石堂丸(石童丸)にちなむ。

地区内の人口は、236世帯 496人(平成21年1月1日現在)[3]

[編集] 御祭礼屋台

弥栄神社上西之門町)御祭礼で屋台巡行をする御祭礼町20町の一つである。1926年(大正15年)に新たに御祭礼町に加わった。

1929年(昭和4年)制作で、1964年(昭和39年)に「登竜」「降竜」の彫刻を施した本屋台を有する。

[編集] 交通

[編集] 路線バス

中央通り上に川中島バス長電バスぐるりん号かるかや山前停留所があり、市内バス路線のほとんどが利用できる。

[編集] 周辺

[編集] 新田町

新田町(しんでんちょう)は、新田町交差点(中央通り昭和通り)の西に広がる町。郵便番号380-0835

町の中心部を昭和通りが東西に横切り、東縁を中央通りが南北に通る。町の中央部を南八幡川、北部の西後町との境を北八幡川が流れるが、ともに暗渠である。

北は西後町、西は問御所町、南は北石堂町、東は南県町と接する。

市街地のほぼ中央部に位置し、各方面からの街道が交差する当地は、問御所町などと併せて長野銀座と呼ばれ、かつては新田町交差点を中心に2つの百貨店と1つの大型スーパーが立地するほどの活況を見せた。しかしそのいずれも移転・閉店し、現在ではTOiGOもんぜんぷら座を軸に再開発を進めている。

江戸時代には、善光寺町のうち松代藩領 妻科村に属していた。慶長年間末期の裾花川の流路変更により、川の跡に新たに成立した枝村であった[4]。流路変更前の裾花川の川筋は、概ね現在の北八幡川・南八幡川に相当する。

地区内の人口は、110世帯 195人(平成21年1月1日現在)[3]

[編集] 御祭礼屋台

弥栄神社上西之門町)御祭礼で屋台巡行をする御祭礼町20町の一つである。1926年(大正15年)に新たに御祭礼町に加わった。

1924年(大正13年)制作で、1994年(平成6年)に復元された踊り屋台を有する。かつては底抜けの囃子屋台もあった。

[編集] 交通

[編集] 路線バス

昭和通り上に川中島バス昭和通り停留所のりば4・のりば5、中央通り上に川中島バスぐるりん号昭和通り停留所のりば3がある。詳細は昭和通り (長野市)#路線バスを参照。

[編集] 周辺

[編集] 末広町

末広町(すえひろちょう)は、長野駅の北に広がる町。郵便番号380-0825

北東は南千歳一丁目、南東は栗田北中、西は南石堂町と接する。

1888年(明治21年)の長野駅開業に伴い新たに開かれた町の一つで、町域の半分近くが長野駅善光寺口ロータリーで占められている。飲食店や商店がひしめく活気ある町である。その分人口は少なく、3世帯 5人と市内の町の中で最低レベルである(平成21年1月1日現在)[3][5]

[編集] 交通

[編集] 鉄道

JR長野電鉄長野駅があり、以下の路線が利用できる。

[編集] 路線バス

長野駅善光寺口ロータリー。左がウェストプラザ

長野駅善光寺口ロータリーから市内を走るほとんどのバス路線が利用できる。詳細は長野駅#バスを参照。

[編集] 周辺

  • 長野駅
  • ウェストプラザ長野(長野駅前A-2地区再開発事業)
  • 長野駅前A-3地区再開発事業(建設中)
  • ホテル池紋

[編集] 諏訪町

諏訪町(すわちょう)は、長野市立図書館の南東に広がる町。郵便番号380-0844

北は長門町西町、南東は西後町、西は県町と接する。

善光寺にほど近い、官庁通り南側の小さな町で、閑静な住宅街である。

地区内の人口は、67世帯 141人(平成21年1月1日現在)[3]

[編集] 交通

町内に公共交通機関は走っていないが、中央通りを走る路線バスが利用できる。

[編集] 周辺

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[編集] 妻科

妻科(つましな)は、長野県庁の北に広がる町。郵便番号380-0872。また妻科地区のみ一部の小字にも郵便番号が振られており、幅下380-0837である。

町の東縁を県庁通りが通り、西縁を裾花川が流れる。

北は新諏訪町西長野町、北東は旭町、東は県町南県町、南は岡田町、西は裾花川を隔てて大字平柴と接する。

東部の県庁通り沿いには官公庁や県関連施設が軒を連ねるが、西へ向かうほど山裾の閑静な住宅地といった風になる。

江戸時代には妻科村の本郷であり、1881年(明治14年)に妻科村が南長野町になるにあたってこの町の区域に限って妻科と呼ばれるようになった。地名の由来は諸説あるが、段丘を意味する「しな」と隅を意味する「つま」から来るといわれており、その名の通り裾花川河岸段丘に位置する[4]

地区内の人口は、624世帯 1,328人(平成21年1月1日現在)[3]

[編集] 交通

[編集] 路線バス

県庁通り上に川中島バスぐるりん号議員会館前停留所・県庁前停留所のりば1・2、また長野県庁内に高速バス長野県庁停留所があり、以下の路線系統が利用できる。

[編集] 周辺

長野県庁本館(正面)と県議会議事堂(左)

[編集] 西後町

西後町(にしごちょう)は、長野市立後町小学校を中心に広がる町。郵便番号380-0845

町の東縁を中央通りが通り、南縁を寿町通りが通る。町中央部には中沢川(暗渠)が東西に流れる。

北西は諏訪町、北は大門町、東は東後町権堂町問御所町、南は新田町、南西は南県町、西は県町と接する。

町域の多くを寺院の敷地や学校の敷地が占め、中央通りから一本入ると落ち着いた空気が漂う。

江戸時代には、現在の東後町と併せて後町(ごちょう)と呼ばれており、善光寺町のうち町年寄の治める「八町」の一つであった。後町は長野村と妻科村にまたがっており、のち長野村後町が東後町となり、妻科村後町が西後町となった。町名は、鎌倉時代信濃国の後庁(御庁=国衙)が置かれていたことに由来する[6]

地区内の人口は、157世帯 299人(平成21年1月1日現在)[3]

[編集] 御祭礼屋台

弥栄神社上西之門町)御祭礼で屋台巡行をする御祭礼町20町の一つである。1758年(宝暦8年)に御祭礼町に加わった。

1873年(明治6年)制作の総ケヤキ造りの本屋台を有する。このほか1925年(大正14年)制作の踊り屋台も有するが、近年は曳行されない。

[編集] 交通

町内に公共交通機関は走っていないが、中央通りを走る路線バスが利用できる。

[編集] 周辺

[編集] 南県町

南県町(みなみあがたまち)は、長野県庁の東に広がる町。郵便番号380-0836

町の中央を昭和通り、北部を寿町通りが東西に横切り、西縁を県庁通りが通る。南端の北石堂町との境には古川(開渠)が流れる。

北は県町、北東は西後町、西は新田町、南は北石堂町、南西は岡田町、西は妻科と接する。

昭和通り以北には、長野県庁と向かい合うようにして信濃毎日新聞本社ビルがそびえるほか、各業界の会館などが集まる。昭和通り以南は閑静な住宅街であり、旧長野赤十字病院(現 日本赤十字社長野県支部)がひっそりと佇む。

旭町などとともに、明治期以降に起立した町の一つである。

地区内の人口は、242世帯 523人(平成21年1月1日現在)[3]

[編集] 交通

[編集] 路線バス

昭和通り上に川中島バス県庁前停留所のりば3・4があり、以下の路線系統が利用できる。

[編集] 周辺

[編集] 南石堂町

南石堂町(みなみいしどうちょう)は、長野駅の北西に広がる町。郵便番号380-0824

町の中央を中央通りが南北に貫き、ターミナル通りが東西に横切る。南縁に信越本線が通る。町西部を計渇川(一部暗渠)・宮川(暗渠)が南北に、北端の北石堂町との境の一部を古川(暗渠)が東西に流れる。

北は北石堂町、東は南千歳一丁目末広町、南東は栗田北中・南西は中御所一丁目、西は岡田町と接する。

ターミナル通り以北には、飲食店や商店が多く軒を連ねる。以南はだんだんと住宅が多くなっていく。また町北西部(山王地区)は、閑静な住宅街である。

江戸時代には石堂町(いしどうちょう)と呼ばれ、善光寺町のうち松代藩領 妻科村に属していた。のち、北石堂町を分けて現在に至る。石堂町という町名は、刈萱山西光寺ゆかりの刈萱上人の子・石堂丸(石童丸)にちなむ。

地区内の人口は、384世帯 697人(平成21年1月1日現在)[3]

[編集] 御祭礼屋台

弥栄神社上西之門町)御祭礼で屋台巡行をする御祭礼町20町の一つである。1926年(大正15年)に新たに御祭礼町に加わった。

1934年(昭和9年)制作の踊り屋台を有する。

[編集] 交通

[編集] 鉄道

JR長野電鉄長野駅があり、以下の路線が利用できる。

[編集] 路線バス

長野駅善光寺口ロータリーから市内を走るほとんどのバス路線が利用できる。詳細は長野駅#バスを参照

また、中央通り上に川中島バス長電バスぐるりん号千石入口停留所、ターミナル通り上に川中島バス末広町停留所がある。

[編集] 周辺

長野市の金融街となっているターミナル通り

[編集] 脚注

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  1. ^ 長野市街地においては、大字(長野・南長野・西長野・鶴賀・中御所)を省いた住所表示が半ば慣例化しており、郵便番号も個々の町名に対して与えられている。
  2. ^ 分かりづらい! 長野市の複雑な住所表記(MSN産経ニュース、2009年1月30日)
  3. ^ 長野市各町別人口及び世帯数 - 長野市ホームページ
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年 (ISBN 4040012003
  5. ^ 最下位は箱清水の住居表示未施行の一角と、西和田の住居表示未施行の一角(各3人)。こうした変則的なものを除けば、末広町が最下位である。
  6. ^ 都市を解読する -長野祇園祭から長野びんずるまで(1)- - 阿久津昌三 (1993). 信州大学教育学部紀要 80, 103-115

最終更新 2009年8月26日 (水) 09:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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