博多の森の悲劇

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博多の森の悲劇(はかたのもりのひげき)は1998年に行われたサッカー「J1参入決定戦」におけるアビスパ福岡川崎フロンターレのこと。

目次

[編集] 概略

1999年Jリーグが二部制に移行することに伴い「J1参入決定戦」が行われた。このトーナメント戦の第1戦に勝利目前であった川崎フロンターレロスタイムに失点し、延長Vゴールで敗退した。

この試合はNHK衛星第1テレビで全国中継されたが(実況・和田源二、解説・山野孝義)、その劇的な試合展開が後に「Sports Graphic Number」誌上でスポーツジャーナリスト金子達仁らによるルポルタージュが発表(のちにビデオも発売)されたこともあり、多くのサッカーファンに知られることになった。

この予備戦は一発勝負で負けたら即J2行きが決定という非常に重みのある試合であった。 そのような状況でかつ劇的な試合内容であったことから、「神を見た夜」(先述の金子達仁によるルポルタージュのタイトル)、「博多の森の悲劇」等とも呼ばれ、今でも語り継がれる試合である。 なお、「神を見た夜」は主にフロンターレサイドからみたドキュメントである。

[編集] 「J1参入決定戦」への参加まで

(詳細はJ1参入決定戦を参照のこと)

[編集] 川崎フロンターレ

ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属していた川崎フロンターレは、Jリーグへの参加を希望するチーム(Jリーグ準会員)として1997年に発足したが、そのシーズンはわずか勝ち点差1で昇格の条件を果たせずにいた。雪辱を果たすべく迎えた1998年のシーズンは23勝7敗で2位となる。しかし翌年からJ1とJ2に分かれるため、上のJ1に参加するには参入決定戦を勝ち抜かなくてはならなかった。

[編集] アビスパ福岡

Jリーグに所属していたアビスパ福岡は、1997年1998年ともにシーズン最下位となった。そのためこの2年間の成績を基に決められる順位ポイントで最下位(18位)となったため、参入決定戦に参加することになった。

[編集] 試合概要

1998年11月19日
アビスパ福岡 3-2 川崎フロンターレ 東平尾公園博多の森球技場
久藤清一 24分にゴール 24分
山下芳輝 89分にゴール 89分
フェルナンド 104分にゴールデンゴール 104分
伊藤彰 17分にゴール 17分
ツゥット 61分にゴール 61分
川崎フロンターレ
GK   浦上壮史
DF アルテミリ・ペッサリ
DF 中西哲生
DF 川元正英
MF 大塚真司
MF 伊藤彰 79分に交代退場 79分
MF 長橋康弘
MF 久野智昭
MF 鬼木達
FW ヴァルディネイ・フレイタス・ダ・マッタ
FW ツゥット 88分に交代退場 88分
サブメンバー:
土居義典 79分に交代出場 79分
菅野賢一 88分に交代出場 88分
監督
ロベルト・デ・アルメイダ(ベット)


[編集] 試合経過

[編集] 前半

アビスパ福岡のホームスタジアムで行われたこの試合は、トーナメントで唯一の「一発勝負」であった。

先制したのは川崎フロンターレであった。試合開始から相手ゴールを何度も脅かしたアビスパの攻撃に対し、フロンターレのGK・浦上壮史はファインセーブを連発。チャンスを決めきれないままでいたアビスパは自陣ゴール前へのカウンター・アタックを受け、17分にFW・ツゥットからのパスをMF・伊藤彰がフリーでゴールした。

24分。フロンターレのゴール前に上がったクロスを浦上壮史はキャッチミス。こぼれたボールにアビスパの久藤清一が駆け込み同点とした。川崎側が「アビスパの選手がキーパーに接触した」としてキーパーチャージではとの抗議をするも、判定は変わることなく試合は進み、前半終了。

[編集] 後半

追加点はフロンターレがあげた。アビスパ優勢の状況で始まった後半であったが、61分フロンターレの中西哲生からのクロスがヴァルディネイを経由し、ツゥットがゴール。

その後もフロンターレの攻撃は続き、73分にはアビスパのGK・塚本秀樹をかわしたフロンターレのヴァルディネイが決定的ともいえるシュートを放つ。しかしキーパーのいないゴールにいた岩井厚裕は、そのボールを頭で処理するとクロスバーの内側に当たるもゴールラインは割らず、得点には至らなかった。

やがて3分間のロスタイムに突入すると、フロンターレは敵陣で時間稼ぎをし終了を待つ行動に出たが、アビスパの西田吉洋がフロンターレの菅野賢一(途中出場)からボールを奪い、前線に送り込んだ。

そしてアビスパの選手数人により敵ゴール前に運ばれたボールはフロンターレの中西哲生がGK・浦上壮史へバックパスすべく胸で処理したが、捕球できずに転がった球はそのままFW山下芳輝 (途中出場)の足下へ届き、これをゴールした。

ロスタイムを半分以上経過しながらそれをしのげなかったフロンターレは、そのままタイムアップを迎え、延長戦での決着となった。

[編集] 延長前半

前後半15分ずつの30分間で先に点を決めたチームが勝利という「延長Vゴール方式」であったが、仮に両チームとも無得点で終わった場合は上位リーグ所属のアビスパ福岡の勝利となる。すなわち勝利でしか残れないフロンターレに対して引き分けでも残れるアビスパという構図であった。

延長戦が始まるとフロンターレは果敢に攻めるもののチャンスを決めきれないまま試合がすすみ、そして104分にアビスパのMF・フェルナンドのグラウンダーで試合は決着した。

これによりつぎの試合にはアビスパ福岡が進出し、順位ポイント15位との対戦(ホーム・アンド・アウェー方式)に進出することになった。

[編集] その後の両チーム

この試合で敗れた川崎フロンターレは、翌1999年シーズンにJ2へ参加し、優勝と2000年のJ1昇格を決めた。 一方のアビスパ福岡は、続くジェフユナイテッド市原戦(ホーム・アンド・アウェー方式)を2戦2敗としたが、最後の座を賭けての対戦となったコンサドーレ札幌戦を2戦2勝としてJ1残留を決定した。

川崎がJ1リーグに初昇格した2000年、3月11日の開幕戦(1stステージ第1節)は再び博多の森で福岡との対戦となった。2年前の対戦での出場メンバーのうち、福岡は久永・石丸・山下の3人のみ、川崎は浦上・大塚・長橋・久野・鬼木の5人が出場した試合は、福岡が中払大介ブストス・アリエル・モントージャの2人が得点し、川崎は途中出場の鬼木が終了間際に決めたゴール(川崎にとってはJ1でのチーム史上初得点)のみで終わったため、試合は2-1で福岡の勝利に終わった。福岡に対して川崎が初勝利を挙げたのは両チームがJ2に降格した後の2002年、川崎のホームスタジアムである等々力陸上競技場で行われた8月1日のJ2第22節(通算対戦で5試合目)、博多の森球技場での初勝利は同競技場で4試合目となる9月25日のJ2第33節、いずれも2-1で川崎の勝利だった。

この試合はそれまで拡大路線をとっており、昇格したクラブが降格することが無かったJリーグにおいて初めてリーグのカテゴリーを賭けた戦いでもある。 この後にJ2が発展していきJ1では激しい残留争いが繰り広げられるという初期のJリーグの構造とは大きく変化していく日本サッカー界の転換点を最初に示す試合ともいえる。


[編集] 関連作品

[編集] 関連項目

最終更新 2009年7月11日 (土) 05:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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