印旛沼事件

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印旛沼事件(いんばぬまじけん)とは、1971年(昭和46年)8月に発生した内ゲバ殺人事件。

目次

[編集] 発端

日本共産党革命左派神奈川県委員会(京浜安保共闘)(後に赤軍派と統合し連合赤軍となる)は、連合赤軍結成以前から「山岳ベース」を構築し、射撃訓練などを行っていた。

ところが、メンバーのMとHが脱走したことにより、これらの活動が警察に漏れる可能性が出て来た。特に、Mが山岳ベースをネタにした小説を書いている、という情報がもたらされたことにより、危機感が急速に高まった。

永田洋子坂口弘ら幹部は、組織防衛のために二人の「処刑」を決定した。

[編集] 概要

1971年8月3日、グループ内で飲み会をやると称して、Hを誘い出した。Hの飲み物には睡眠薬が仕込まれており(薬学を専攻していた永田が薬物を手配・調合した)寝静まったのを見計らって、Hを車に乗せた。その頃には日付も変わっていた。そして印旛沼近辺に連れ出した後、絞殺した。その後、前日に掘っていた穴に、死体から衣服を剥ぎ取って埋めた。

8月10日、Mも誘い出したが、警戒して一切飲み食いせず、早く帰ろうとしていた。そのため、「処刑執行役」全てがMを押さえつけて、タオルで絞殺した。その後、Hを埋めた地点の近くに穴を掘って、死体から衣服を剥ぎ取って埋めた。

この「処刑」によって、京浜安保共闘幹部は「殺人」という一線を踏み外したことになり、これが後に12人の同志を殺害する山岳ベース事件を生み出す温床となった。

[編集] 事件発覚

あさま山荘事件で逮捕された連合赤軍幹部の吉野雅邦の供述を元に1972年3月25日に埋められていた2体の遺体が発見された。

[編集] 参考文献

  • 椎野礼仁 編『連合赤軍事件を読む年表 事件の全貌をこの1冊に凝縮!』(彩流社、2002年) ISBN 4-88202-621-X

[編集] 関連項目

最終更新 2009年9月11日 (金) 00:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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