厚木海軍航空隊

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厚木海軍航空隊(あつぎかいぐんこうくうたい)および昭和19年2月20日に改称した第二〇三海軍航空隊(だい203かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。戦闘機の搭乗員の教育を推進するため、生徒・学生・練習生への実機練習を推進した。19年より実施部隊に転換され、フィリピン戦線・沖縄戦線で戦闘に従事した。終戦直後に厚木飛行場で勃発した「厚木事件」の首謀者である小園安名司令が指揮した第三〇二海軍航空隊とはまったく関係がない。

目次

[編集] 沿革

ミッドウェー海戦の大敗によって不足した航空母艦飛行機隊の再編を期するため、昭和13年より神奈川県高座郡大和村綾瀬村一帯に建設を始めていた厚木飛行場に着目し、航空隊を設置した。東京に最も近い海軍の航空拠点として重視され、厚木空に半年先んじて整備訓練航空隊である相模野海軍航空隊が設置された。19年2月に実施部隊へ編入されるまで、厚木を基地として訓練に従事していたが、編入後は首都防衛を担った三〇二空をはじめとした精鋭部隊に厚木飛行場を明け渡し、ついに厚木に帰還することなく各地を転戦した。

  • 昭和18年(1943年)
4月1日 第十一航空艦隊直率として開隊。

         戦闘機補充要員養成航空隊として発足。定数・艦上戦闘機48機・夜間戦闘機12機。

7月1日 第十二海軍航空隊新編、第五十一航空戦隊に編入。
10月15日 マーシャル諸島防空警戒のため、留守部隊として木更津飛行場に進出。
  • 昭和19年(1944年)
2月20日 「第二〇三海軍航空隊」に改称、実施部隊に編入。夜間戦闘機隊を廃止し、定数を艦上戦闘機36機に削減。
3月29日 千歳飛行場に進出。

         以後、北海道千島列島の防空・哨戒に従事。

5月21日 「東号作戦」発動。20機を関東各地の飛行場に派遣。24日原隊復帰。
7月10日 組織改変により、戦闘第303飛行隊・戦闘第304飛行隊を編成。月光の保有再開。
8月3日 第五十一航空戦隊で「N方面空襲部隊」を結成。

         占守島および美幌飛行場に進出、各16機体制。

9月1日 「捷号作戦」準備のため百里飛行場に進出。
9月14日 戦闘第303飛行隊をT攻撃部隊に供出。N方面空襲部隊は自然消滅。
10月13日 全機、出水飛行場に進出。
10月23日 航空総攻撃に備え、ルソン島バンバン飛行場に進出(零戦16機・月光24機。
10月24日 航空総攻撃に参加、戦果なし。
10月27日 マリンダック島上空で空中戦。
10月29日 クラーク飛行場防空戦に参加。
11月2日 第二次多号作戦上空護衛。

         以後、撤退までにフィリピン各地に出撃。16名が特別攻撃に参加して戦死している。

11月15日 第三航空艦隊第二十五航空戦隊に転籍、鹿児島県笠之原飛行場に撤退。

         戦闘第304飛行隊は第二二一海軍航空隊に移籍。以後、菊水作戦発動まで、笠之原で再編に従事。

  • 昭和20年(1945年)
2月11日 第五航空艦隊直率に転籍。沖縄戦の防空隊となる。戦闘第303飛行隊復帰
3月21日 第七二一海軍航空隊神雷隊の初出撃を護衛、神雷隊は全機撃墜。
3月26日 南九州各基地にB-29襲来。笠之原防空のため全機出撃、戦果・被害なし。
3月29日 敵艦載機部隊が南九州を強襲。笠之原防空のため全機出撃。
4月1日 沖縄の地上戦開始。奄美大島上空に進出し、制空に従事。
4月8日 「菊水二号作戦」発動。徳之島上空に進出し、制空に従事。
4月15日 第六〇一海軍航空隊と合同、計10機で沖縄中飛行場を強襲。
4月16日 敵艦載機部隊が笠之原を強襲、全力迎撃。
4月23日 三〇二空・第三三二海軍航空隊第三五二海軍航空隊雷電隊で「竜巻部隊」結成。

         笠之原飛行場は竜巻部隊が優先的に使用することになり、二〇三空の行動は制限される。

5月25日 五航艦再編、第七十二航空戦隊に転籍。
7月21日 築城飛行場に撤退。
  • 戦後解隊。

フィリピン進出を境に部隊は入れ替わっており、後半の部隊は技量・機材不足が否めず、沖縄への往復が可能な零戦隊でありながら、沖縄への直接攻撃は1回に過ぎない。沖縄戦中期以後は、竜巻部隊の基地優先使用もあいまって、ほとんど沖縄戦に関与できなかった。築城への撤退後は、本土決戦に備えた温存策が取られ、防空に追われた。とはいえ、最前線で稼動できた数少ない即戦力部隊であり、原隊である厚木に帰還することは一度もなかった。

[編集] 主力機種

[編集] 歴代司令

  • 山中龍太郎(昭和18年4月1日 - )
  • 吉富茂馬(昭和20年5月5日-戦後解隊)

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • 『日本海軍編制事典』(芙蓉書房出版 2003年)
  • 『航空隊戦史』(新人物往来社 2001年)
  • 『日本海軍航空史2』(時事通信社 1969年)
  • 『戦史叢書 海軍航空概史』(朝雲新聞社 1976年)
  • 『戦史叢書 沖縄方面海軍作戦』(朝雲新聞社 1968年)
  • 『戦史叢書 海軍捷号作戦(2)』(朝雲新聞社 1972年)
  • 『戦史叢書 本土方面海軍作戦』(朝雲新聞社 1975年)
  • 『航空戦史 雑想ノート【海軍編】』(個人サイト)
  • 『連合艦隊海空戦戦闘詳報別巻1』(アテネ書房 1996年)
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最終更新 2009年7月19日 (日) 07:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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