原田泳幸
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原田泳幸(はらだ えいこう、1948年12月3日 - )は、日本マクドナルドホールディングス株式会社、日本マクドナルド株式会社代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)。長崎県佐世保市出身。元アップルコンピュータ株式会社代表取締役社長兼米国アップルコンピュータ社副社長。妻はシンガーソングライターの谷村有美。2005年6月に「原田永幸」から「原田泳幸」を自称(戸籍上の名前は永幸のまま)。これは1994年春頃、アップルコンピュータ在籍時での発言「泳げる頃にはNewtonの日本語版が見られるでしょう」に由来する。
なお、故郷の佐世保市にある佐世保バーガーの人気店「Stamina本舗 Kaya」は実弟が経営しているが、日本マクドナルドとの関連は無い。
マクドナルドから社長として迎えるという打診がありヘッドハンティングされた事で、アップルを退社したがアップルの主力製品マッキントッシュコンピュータは略称がマックであった為、この移籍はマスコミから「原田氏、マックからマックへ転身」等と報道された。
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[編集] 概要
日本マクドナルドを短期間で建て直した経営者として、評価は高い[1] 一方で批判も多い。「結論は最初から決まっていて、人の意見は聞くふりだけ」、「現場の声を聞かない。店長の残業代金不払い訴訟(「名ばかり管理職」問題)は、その結果」、「マクドナルドは踏み台。外食産業でのFC拡大は一時的に利益を大きくさせても、長期的には企業体力を落とす事例があるのにあえて強行するのは、利益拡大時にマクドナルドを切り捨てて次の場所に自分を売り込むためではないか」、などの指摘がある[1]。
[編集] 学歴
- 長崎県立佐世保南高等学校卒業
- 東海大学工学部通信工学科卒業
[編集] 職歴
- 1972年 日本NCR(株)入社
- 1980年 横河ヒューレット・パッカード(株)入社
- 1983年 シュルンベルジェ・グループ入社 取締役マーケティング部長、取締役ATE事業部長
- 1990年 アップルコンピュータ・ジャパン(株)(当時)入社 マーケティング部長
- 1993年 同社 ビジネスマーケット事業部長 兼 マーケティング本部長就任
- 1994年 同社 取締役マーケティング本部長就任
- 1996年 米国アップルコンピュータ社 ワールドワイドコンシューマーマーケティング/SOHO担当バイス・プレジデント就任(米国本社勤務)
- 1997年 アップルコンピュータ(株)代表取締役社長兼米国アップルコンピュータ社副社長就任
- 2004年 日本マクドナルドホールディングス(株),日本マクドナルド(株)取締役副会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)就任
- 2005年 日本マクドナルドホールディングス(株),日本マクドナルド(株)代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)
[編集] 著書
- 『とことんやれば、必ずできる』(かんき出版)
- 『ハンバーガーの教訓―消費者の欲求を考える意味』(角川oneテーマ21)
- 『日本マクドナルド社長が送り続けた101の言葉』(かんき出版)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月15日 (日) 11:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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