厳罰化

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厳罰化(げんばつか)とは、一般にはを重く厳しくすることをいう。

目次

[編集] 概説

狭義には現行の刑罰をより重いものとすることをいう。広義にはこれまで制裁が明確に課されなかった行為を犯罪として処罰の対象とすることを意味する。[要出典]

近年の日本では、統計上減少傾向にあった少年犯罪(ただし近年は反転傾向が見られる)や殺人・強姦などの凶悪犯罪、そして、交通事犯に関して厳罰化(2001年少年法改正、2004年刑法改正)が進められている。一方、統計上増加傾向にあり、警察業務、矯正業務を煩雑化させている万引きといった比較的軽度な犯罪については罰金刑の導入など軽罰化が行われている。[要出典]

近年の厳罰化の事例としては飲酒運転に対する刑罰の強化があり、そこで一定の効果が見られたように(犯罪白書)、抑止すべき犯罪を防止するためには厳罰化が最も効果的な手段であるが、犯罪を防止するための手段は他にもある(例:貧困対策などの社会政策)。ただし、社会政策には、厳罰化と比べて、効果が間接的、副次的、遅効的、高コストであるという難点がある。[要出典] なお、ルポライターの藤井誠二は、被害者側の立場・視点から、近年の厳罰化傾向を「適正化」と呼称している[1]

違法行為の発生頻度は、(違法行為の発生頻度)=(犯罪の摘発確率)×(量刑水準)によって定式化でき、犯罪の摘発確率と、その量刑水準を掛け合わせることによって表される、違法行為の代償の期待値と、違法行為の発生頻度は(負の)相関関係にある。すなわち、違法行為が適切に取り締まられ、また、その抑止に必要十分となる量刑が科される社会にあっては、違法行為は少なくなり、国民一般の生命・身体・財産が違法行為により侵害されるリスクは低くなる。対して、違法行為を行っても取り締まられる確率が低く、また、量刑水準が犯罪抑止に必要十分な水準に満たない社会では、違法行為の発生頻度は高くなる。[要出典]

そのため、違法行為が頻発し、国民一般の生命・身体・財産が違法行為により侵害される危険が高まっている時には、摘発確率を上げるか、量刑水準を上げるか(厳罰化)、あるいはその両方を行うことが最も合理的かつ効果的な対処法となる。ただし、当局の予算・人員は強い制約にさらされているというのが、国際的に共通した事情であり、強い予算制約にさらされている、圧倒的少数者に過ぎない当局が摘発確率を上げることにはおのずと限界があり、国際的に、治安の悪化に対しては、厳罰化を行うことで、平和に暮らす国民一般の生命・身体・財産が不幸にして犯罪によって侵害される事態の増加に歯止めをかけている。[要出典]

法というものは有体物と異なり、実体のないものである(法令集は法律そのものではなく、法律が印字された媒体に過ぎない)。その、実体なき法というものが社会の中で一定程度遵守されることの基礎は実は非常に危ういものである。違法行為が起訴され、その抑止に必要な量刑が科されること、それが絶えず繰り返されることを通じてのみ、法は実効的に存在することができる(法確証の原理)。しかし、それは翻せば、法が犯されたとしても、違法行為の抑止に必要となる量刑が科されなければ、違法行為を抑止するために存在するはずの刑事法から抑止力が失われ、むしろ法が違法行為を容認、助長することになる(負の法確証効果)。

かつての日本では、運動家、活動家による要人に対するテロが頻発した時代があったが、要人に対する暗殺行為が行われても、「気持ちはわかる」「処罰するのはかわいそうだ」といった嘆願が寄せられるということがしばしば見られた。その結果、「寛大な刑罰」が科されるということがしばしば行われたが、そのことは結果として、「この程度のことはどうせやったとしても大したことにはならない」というモラルハザードを同時に生み出すこととなった。被告人の中には、違法行為を取り締まるのはおかしいと、違法行為を犯しているにも関わらず、違法行為の取り締まりを行う側に責任をなすりつける者さえ現れる始末であった。量刑を引き下げ過ぎれば、負の法確証効果によって法は無化し、違法行為の抑止力は容易に失われるが、それは、直近の振り込み詐欺の増加においても指摘されていることである。

違法行為の代償の期待値と犯罪の発生率は趨勢的に負の相関を示すことが知られているが、日本社会においては、失業率や貧困と、犯罪の間にも相関があることが知られている。それを踏まえて、重罰化と社会政策をどのように組み合わせて、国民一般が犯罪に巻き込まれにくい社会を作っていくかが現在の日本社会が直面する一つの課題である。

[編集] 日本における厳罰化・重罰化の背景

[編集] 政府による施策

日本の刑法は諸外国と比較して殺人などの凶悪犯罪の刑罰が軽すぎるという批判が根強かった。下記の表を見ても殺人で3年の量刑を定めているのは日本だけであった。2004年から下限が5年以上に改正された。

各国の殺人罪量刑表
刑罰
日本 3年以上の有期刑・無期刑・死刑(2003年まで。2004年以降は5年以上)
韓国 5年以上の有期刑・無期刑・死刑
台湾 10年以上の有期刑・無期刑・死刑
イギリス 無期刑
フランス 30年の有期刑・無期刑
ドイツ 5年以上の有期刑・無期刑

2003年12月18日、日本政府は犯罪対策閣僚会議において、「世界一安全な国、日本」の復活を目指すとして、「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」を策定した。この計画の中で、政府として、治安水準の悪化と国民の不安感の増大があることを認識しつつ、治安回復のための基盤整備の一環として、凶悪犯罪等に関する罰則について、法定刑・有期刑の上限の引上げを含めた整備をおこなうことを明らかにした。

[編集] 近年のハイペースな死刑言い渡しと死刑執行

2007年は高裁最高裁が被告人に死刑を言い渡した回数は延べ47回であり、資料が残っている80年間の中で最も多い回数となっている[2]。また、死刑囚に対する死刑執行も最近はふたたび多くなっている。

[編集] 被害者・被害関係者の感情

刑事司法手続きにおいて、これまで、犯罪被害者・遺族などの関与が軽視ないしは無視されてきたといわれ、犯罪被害者の声が法廷の場で取り上げられるようになったことは適正化と評価できるが、犯罪被害者が公の場で自らの被害を訴えると嫌がらせが行われたり、社会の意識という点で解決すべき問題もある。[要出典]

刑事裁判は被告人・弁護人と、検察官・被害者の主張・立証を受けて、いかなる主張に分があるかということを見極め、最終結論を出すことが求められている。証拠の信憑性を吟味しつつ、裁判官が被告人・弁護人、検察官・被害者の主張の中から当を得た主張を選び出し、結論を出すことが求められている(刑事手続法の基礎理念)。[要出典]

評論家の芹沢一也は、1995年に地下鉄サリン事件阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)がおきて、PTSD(心的外傷後ストレス障害)といった多大な被害をうけた人の精神的な苦痛に注目が集まったことも厳罰化に影響したと指摘している[3]

藤井誠二は、「遺族は怖い」、「いいすぎだ」と社会からマイナスイメージをもたれるのを恐れるあまり自然な感情の発露を躊躇する被害者・遺族がいまだに多いと指摘している。犯罪被害者が感情を発露する自由は最大限尊重されるべきで、日本はまだまだ犯罪被害者によるストレートな感情の発露には不寛容ではないかという[4]。実際、光市母子殺害事件の遺族である本村洋は、マスコミに対して「この手で加害者を殺してやりたい」と素直な気持ちを表明したところ、「殺人予告のようで言い過ぎだ」と批判する「人権派」もいたという。藤井は、「人権派」は、政治家を殲滅せよなどと叫んでいる過激派に、まず、先に抗議すべきであると主張している[5]

一方、芹沢は、被害者の声が持つ社会的な効果を、当事者ではない「代弁者」や、その声を受け取った上で思考を開始する「言論人」は慎重に考えるべきで、被害者の声が受け取られようによっては国民の権利や自由を侵す可能性があると指摘している[6]が、それと同様に、加害者・被告人の主張を過度に汲み取ることは、犯罪の増加をもたらし、落ち度なき一般国民の生命・身体・財産が、違法行為によって不当に侵害される可能性の増大をもたらすことにも同時に留意する必要がある(性犯罪における、「仕事で疲れていて襲ってしまった」「スカートが短いのが悪い」というような主張)。[要出典]

被害者や被害者遺族に対する捜査情報の開示はいまだにほとんどおこなわれておらず、また、新設された保証金も適用が極めて限定的で、金額も自賠責保険にも満たない少額だとの批判が多い。このような被害者救済の不十分さは被害者・被害者遺族を被告人を厳しく処罰する方向へと駆り立てることとなっている可能性もある。[要出典]

犯罪被害者によっては、被害経験、被害感情の強さから事態を合理的・客観的にとらえられなくなるケースもあることは事実であるが、事態を客観的に捉えられない、あるいは、捉えようとしないといったことは一部の犯罪被害者だけに限った話ではなく、被告人側にも往々にして見受けられることであり(各種の刑事裁判参照)、どういった主張・立証に合理性があるかを裁判官が交通整理することが求められている。[要出典]

被害者・関係者の司法手続きへの関与が重視される風潮の中で、被害者が被告人に対し重罰を要求する姿勢がテレビや新聞、雑誌で報道されるにつれて厳罰化方向に世論が動いてしまうという説もあるが[7]、そもそも、刑事裁判の評決は証拠資料に接していない有権者一般による国民投票で行われている訳ではない(刑事訴訟法)。刑事裁判の評決及び量刑水準の判断は、全ての主張及びその主張を裏付ける証拠の信憑性を吟味した裁判官によって、同一被告人による再犯抑止、他の犯罪者による同種犯罪の抑止の観点から以後の犯罪抑止に必要十分となる量刑が科されることが求められている。なお、世論が厳罰を求めているから、厳罰を科すべきでないということになるかと言えば、そうではなく、一般予防、特別予防の観点から厳正なる措置が求められると裁判官に判断された場合には、厳罰が肯定されるのは当然のことである(刑事法の制度趣旨が法益侵害の抑止、犯罪抑止にあることは、刑法学説における二大潮流いずれの立場においても共通である)。[要出典]

検察は被害者・遺族感情を重視する傾向に動いており、2001年に発生した附属池田小事件では大阪地検の早川幸延検事は目に涙を浮かべながら遺族に対し「絶対に死刑にする」といい、それを聞いた遺族は「検事に冷たいイメージを持っていたが、人間味を感じた」といったという。また、裁判では、同地検の大口奈良恵検事は「この男の心臓をつかみ出して踏み潰してやりたい気持ちを押しとどめている」、「私が死んだら一旦地獄へ行き、もう一度こいつを殺したい」といった遺族の肉声を極力論告に盛り込んだという[8]

しかし、その一方で、重い処罰を求めて遺族が危険運転致死傷罪の適用を望んでも起訴の段階で見送られるケースがあったことも事実である。2007年2月、国道46号のトンネルで大型トラックが軽乗用車と衝突し、2人を死亡させた事故では、遺族は危険運転致死傷罪の適用を強く訴えたが、大型トラックの運転手は業務上過失致死傷罪で起訴された。そして、広島の母子強姦殺人事件で、弁護士界内部からさえ批判が上がったように、弁護人の弁護活動のあり方自体に対しても批判があることも事実である。近代刑事司法においては、被害者などの思いを検察官が主張するのは制度として予定されていることであり、それは犯罪被害者の刑事裁判への参加に否定的な弁護士からもまさに指摘されている通りである[9]

そして、被害者参加制度が拡充されている現在においてもなお、被告人、弁護人、検察官の中で被害者の主張を法廷に載せる役割を担えるのは基本的に検察官しかいないということには留意する必要がある。そして、刑事裁判においては、検察官、被告人、弁護人のいずれが何らかの主張をしたとしても、それは合理性のある限りにおいてしか裁判官には採用されず、判決が下される前に、どのような主張に合理性があるか判断する権限は裁判官にあるということにもまた注意する必要がある。刑事裁判においては、何らかの主張がなされることと、その主張が判決に採用されるかどうかは全くの別問題であり、刑事司法システムは、検察官・被害者と、被告人・弁護人双方がそれぞれの主張を自由に提示した上で、その当否について裁判官による審査を経て最終判断がなされているが、そこでの発話者いずれにも最終的な判断権限(判決決定権)が与えられていないということが自由な発話権を保障する基礎となっている。[要出典]

法学者の浜井浩一は、被害者の再発見で刑事司法が厳罰化に向かっているが、被害者の再発見は、いずれは開けなくてはならなかった「パンドラの箱」だったのかもしれない、最後に残るのが真の希望であることを期待したいと述べている[10]

  • 2001年名古屋保険金殺人事件の被害者遺族の原田正治は犯人の死刑に反対する嘆願書を法務大臣に提出したが、死刑は執行された[11]
  • 2006年、両親を殺害した15歳の少年に14年の懲役刑が下された(遺族は少年自身)。1980年、20歳の成人が両親を金属バットで殺害した事件(神奈川金属バット両親殺害事件)では懲役13年の実刑判決だったので、同様の犯罪にもかかわらず、当時の成人よりも重い判決が言い渡されたことになる。
  • 2008年1999年に起こった光市母子殺害事件の犯人である1999年当時18歳の元少年に対し、広島高裁(差戻控訴審)で死刑判決が下された。

[編集] メディアの影響

犯罪報道」も参照

厳罰化の背景として指摘される、国民の治安に対する不安感の増大には犯罪報道の影響も要因とする説もある[12][13]。法学者の前田雅英が2001年に行った「交番・駐在所の活動に関する世論調査」によると、犯罪に遭う不安を感じる理由について最も多かった回答が「テレビや新聞で犯罪の報道をよくみるから」の54.1%であった[14]。また、2004年9月に内閣府から発表された「治安に関する世論調査」では、治安に関心をもったきっかけとして、「テレビや新聞でよく取り上げられるから」と回答した者が83.9%と最も多く、2位の「家族や友人との会話で話題になったから」の30.0%を大きく引き離し[15]、犯罪報道が国民の治安意識に大きな影響をあたえていることがわかる[16]

1995年のオウム真理教事件[13]、1997年の神戸連続児童殺傷事件を発端にしてワイドショー番組でも盛んに事件報道がおこなわれるようになったという。いわゆるワイドショーなどのテレビ番組において視聴率の取りやすい番組では報道内容がセンセーショナルになり過ぎているとの指摘である。[17][18]。これまでの報道番組の事実解明重視型の報道とは大きく異なっており[19]、実際の治安状況とは乖離した社会不安を煽っているという[20]モラル・パニック体感治安の悪化)。

藤井誠二は、1997年に、高校生の息子をリンチ殺人でうしなった両親らによる「少年犯罪被害者当事者の会」が結成されたころから犯罪報道が変わってきたと指摘している。彼らが、被害者の声に耳を傾けてほしい、被害者にとってはとても理不尽な少年法を改正してほしいと訴えため、マスコミは「被害者」を発見し、ここから被害者報道が増えてきたという[21]。また、1990年代後半、第二次世界大戦後から続いてきた加害者の人権を重視する左翼的言説、朝日新聞的な言説が衰退してきたことも被害者重視報道に転換した要因とする説もある[22]

上記のような、「メディアが根拠のない不安を煽っている」というメディア批判もあるものの、現実には、昭和の安定期に比べ、犯罪件数は1.4倍となっている(犯罪統計)。「殺人件数などは低下傾向にあり、そのことを報道するメディアはほとんどない」という主張もあるが、歴史的に見た際の、一人当たりの経済水準・生活水準の向上や、人口の高齢化など、凶悪犯罪を減らす方向で働く因子があるため、趨勢的には殺人件数自体が減少することはむしろ当然である。その上、実際には統計的情報はメディアの中でも報道されており、それは簡単に確認することができる。そして、2008年には過去最悪を記録した街頭での無差別殺人をはじめ、振り込め詐欺や街頭での引ったくりなど、人々の社会に対する信頼感を毀損する犯罪が現実に増加していることも事実であり(犯罪白書)、「実体的には治安の悪化は生じていないのに、マスメディアが根拠のない不安を煽る中で、国民が根拠の無い不安を抱いている」という主張は実証的には棄却されざるをえない。[要出典]

  • 山口県光市で起きた母子殺人事件のテレビ報道で放送倫理・番組向上機構(BPO)から、「報道が一方的だ」「遺族(被害者)側に偏って、弁護側を悪とみなしている」として勧告が出されている[23]
  • 「この手で殺したい」、「極刑を望む」といった遺族の声を繰り返しながら肯定的にアナウンスする弊害は大きく、死刑の制度の問題として論じるべきことが感情の領域に持っていかれて、「こんなひどいことをした奴は死刑で当然」という声に覆われてしまうとの批判がある[7]が、同様に、加害者側に過度に肩入れする言説が存在することもまた事実である(京教大集団強姦事件参照)。

[編集] 警察・検察の思惑

共産主義勢力の急速な縮小や、暴力団の摘発も現状が限界であり、組織縮小の懸念のあった警察や、冤罪事件や裏金問題などの不祥事で批判の集中していた検察が、「世直し」的なイメージの浸透、権限や威信回復をはかるために存在意義を強調したという説もある。[24][25]

[編集] 厳罰化の事例

  • 危険運転致死傷罪
  • 少年法の刑事罰対象年齢の14歳以上への引き下げ
  • 刑法2004(平成16)年12月、刑法・刑事訴訟法の改正案が成立
    • 重大事件に対する有期懲役刑の上限を現行の20年から30年に延長
    • 集団性的暴行罪などの新設
    • 殺人などの死刑にあたる罪の公訴時効期間を15年から25年に延長
    • 殺人罪の下限を3年から5年に引き上げ
  • 割れ窓理論 − 軽犯罪でも厳しく取り締まり重大犯罪の発生を防ぐ。実際にニューヨークの犯罪多発地帯で取り入れられ、日本でも新宿歌舞伎町札幌ススキノといった歓楽街のある地区の治安の維持のために取り入れられている。
  • 共謀罪の制定の動き
  • 市民有志による繁華街などの見回りの増加またはそのような市民団体・NPO法人の増加、または地方自治体が旗振り役となって自警団的団体の設立の醸成や要請

[編集] 厳罰化のジレンマ

日本では危険運転致死傷罪が制定され、さらに飲酒運転の処罰の厳罰化に伴い、飲酒運転に起因する死亡事故は激減し、2005年(平成17年)には10年前の半数にまで減少した。 一方で、交通事故を起こした運転者が危険運転致死傷罪による厳罰を恐れたためにひき逃げや「飲み直し」による飲酒運転の証拠隠滅が増加したという指摘[26]や、銃刀法の改正による違法拳銃所持の厳罰化によって拳銃の隠し方が以前より巧妙になり、拳銃の摘発が難しくなっているとの指摘[27]がある。

[編集] 厳罰化のメリット・デメリット

[編集] メリット

  • 罪をより深く自覚させる(特に、交通事故犯罪の厳罰化にとっては効果的であるとされる)
  • 再犯を防止する
  • 犯罪を予防・抑止する
  • 低コストで即効性がある
  • 被害者がいる場合は被害者感情、遺族感情を鎮める
  • 社会的結束を強化するとの説もある[28]

[編集] デメリット

社会の懲罰意識が司法の厳罰主義をもたらし[29]冤罪のダメージが増すとする説もある。『A』など旧オウム真理教に関するドキュメンタリー作品を発表しているドキュメンタリー監督の森達也は、オウム真理教事件で元教祖の麻原彰晃に死刑を言い渡すのは共同共謀正犯の拡大解釈が必要なほど難しいのに、麻原を極刑に処せということが社会の暗黙の了解事項になっていると指摘している。それに疑問を挟もうものなら「被害者や遺族の苦しみを知れ」や「許せない」などの激しい口調にかき消されるという[29]。仮に、冤罪と認められ無罪となっても一生白い目で見続けられる可能性がこれまで以上に高くなるとの説もある。痴漢の厳罰化によって、一部の女性がこのことを悪用して無実の男性に痴漢犯罪をでっち上げてその男性の将来を失わせ、「警察にばらされたくなかったら示談金をよこせ」という恐喝をおこなう場合があるとの説もある。

社会の不寛容が固定化するという説もあるが[30]ただし、その主張を裏付ける実証的根拠が本文の中で示されている訳ではない。芹沢一也は、地域のセキュリティ意識が高まり、社会保障が後退した結果、刑務所は痴呆老人や知的障害者、精神障害者といった社会的弱者で一杯になってしまっていると指摘している[31]和歌山毒物カレー事件の加害者の自宅の塀には「メス豚」、「死んでしまえ」といった罵詈雑言がスプレーで落書きされては消しを繰り返したり、参議院議員の鴻池祥肇長崎男児誘拐殺人事件について親を引き回しの上打ち首にしろという発言をし、多くの人が賛同したりするなど怖い社会になっているという説もある[32]

  • 悪質な交通死亡事故の厳罰化(自動車運転過失致死傷罪[33]の適用のように)犯罪全体の厳罰化が進むと、殺人傷害などの凶悪犯罪との量刑のバランスが取れなくなってくるという説もある。
  • 処罰感情が満たされる一方で、犯罪被害者への権利保障や情報公開の必要性が隠れてしまうという説もある。
  • 国際基準に照らして、釣り合いがとれなくなるという説もあるが国際的水準に照らすと日本の量刑水準は重いとは言えない(現在日本と犯罪人引渡し条約に締結しているのは米、韓二国のみ。参考:仏96、英115、米69、韓25)
  • 犯罪者の自首に対する意欲が薄れる(分かりやすく言えば「捕まりたくない」)
    •  特に性犯罪者は「再犯率が高い」ことから、アメリカの様にICチップを性犯罪者の体内に埋め込みGPSで監視すべきという議論が出されており、一部団体から反発がある
  • 厳罰化を逆手にとって「死刑になりたい(自殺の延長上という考えから)」「刑務所に入りたいから(ホームレスや低所得者が雨風をしのげて三食が出される、という考えから)」という理由で強盗や殺人などの凶悪犯罪を起こす人間が出てくる可能性も指摘される。

[編集] 刑罰の軽減化事例

近年の厳罰化とは逆に軽減化された刑もある。強盗致傷罪は2004年の刑法一部改正により、無期又は7年以上の懲役から無期または6年以上の懲役に軽減された。

改正前は酌量減軽(刑法66条、68条)しても下限が3年6月であり執行猶予を付けることができなかったが(25条)、改正により酌量減軽後の下限が3年となり執行猶予を付けることが可能となった。

[編集] 諸外国の厳罰化

アメリカでは、1971年、リチャード・ニクソン大統領が「麻薬との戦争」を提唱して以来、刑事施設への収監者が激増した。また、麻薬犯罪に対する刑期の延長および厳罰化の掛け声にのって各州で制定された三振法(スリー・ストライク法)の施行も後押しした[34]

レーガン政権の新自由主義によって労働者の生活が不安定となり、社会不安が拡大し、「厳罰主義」をとなえる政治家が国民に支持されるようになった。彼らは厳罰化による刑期の延長や刑事施設の増設で利益をうける集団の意をうけ、次々と厳罰化法案を成立させていった[35]

一方、麻薬で厳しく取り締まられるのは黒人などの有色人種が多く、黒人の麻薬使用者は白人より重い刑を言い渡されることが多いと指摘されている[36]

[編集] 脚注

  1. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 29-30頁。
  2. ^毎日新聞』2008年2月1日。
  3. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 25頁。
  4. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 64-66頁。
  5. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 65頁。
  6. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 67-68頁。
  7. ^ 森達也 『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う』 朝日出版社(原著2008-01-10)、p. 103。ISBN 9784255004129
  8. ^ 読売新聞社会部 『ドキュメント検察官…揺れ動く「正義」』 中央公論新社中公新書〉(原著2006-09-25)、初版、pp. 5-7。ISBN 9784121018656。2009-07-19閲覧。
  9. ^ 小寺一矢 (2006-11-29). "法制審議会諮問第80号(刑事手続において犯罪被害者等の権利利益の一層の保護を図るための法整備)についての意見書PDF". 意見書・声明 p. 3. 大阪弁護士会. 2009-11-07 閲覧。
  10. ^ 「日本の治安悪化神話はいかに作られたか」 24頁。
  11. ^ 藤井誠二は100家族以上の被害者遺族を取材した経験から、原田のように加害者が生きて償うことを認める遺族に会ったことはなく、例外中の例外であると断言できると主張している。藤井誠二 『殺された側の論理…犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」』 講談社(原著2007-03-06)、初版、p. 217。ISBN 9784062138611。2009-06-21閲覧。
  12. ^ 『ご臨終メディア』 142-145・151-157・170-178頁。
  13. ^ 『ご臨終メディア』 169-170頁。
  14. ^ 前田雅英 (3 2001). "(3)不安を感じる理由についてPDF". 交番・駐在所の活動に関する世論調査. 社会安全研究財団. 2009-11-07 閲覧。
  15. ^ 大臣官房政府広報室 (7 2004). "ア 治安に関心を持ったきっかけ". 治安に関する世論調査. 内閣府. 2009-11-07 閲覧。
  16. ^ 「日本の治安悪化神話はいかに作られたか」 17頁。
  17. ^ 『ご臨終メディア』 160-162頁。172-173・176-177頁。
  18. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 26-27頁。
  19. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 27頁
  20. ^ 『ご臨終メディア』 174-176頁
  21. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 20頁。
  22. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 26-28頁。
  23. ^ 放送倫理検証委員会 (2008-04-15). "第04号 光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見". 委員会決定. 放送倫理・番組向上機構. 2008-09-20 閲覧。
  24. ^ 産経新聞特集部 『検察の疲労』 角川書店(原著2002年7月)。ISBN 4043548036
  25. ^ 魚住昭 『特捜検察の闇』 文藝春秋(原著2001年5月)。ISBN 4163574409
  26. ^急増するひき逃げ〜飲酒運転“厳罰化”の死角〜」『クローズアップ現代』2006年4月17日放送、日本放送協会
  27. ^身近に潜む拳銃〜市民に迫る脅威〜」『クローズアップ現代』2007年5月31日放送、日本放送協会。
  28. ^ 『ご臨終メディア』 170-172頁。
  29. ^ 『ご臨終メディア』 163-164頁。
  30. ^ 香山リカ 『なぜ日本人は劣化したか』 講談社〈講談社現代新書〉(原著2007-04-20)、pp. 114-121。ISBN 9784061498891
  31. ^ 『重罰化は悪いことなのか』 42頁。
  32. ^ 『ご臨終メディア』 170-171頁。
  33. ^ 自動車運転過失致死傷罪の新設で他の事故との刑罰のバランスが崩れるという批判もある。『「刑法の一部を改正する法律案(自動車運転過失致死傷事犯関係)」に対する意見書日本弁護士連合会、2007年4月20日。
  34. ^ 『監獄ビジネス』 142-143頁。
  35. ^ 『監獄ビジネス』 148-149頁。
  36. ^ 『監獄ビジネス』 149頁。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

最終更新 2009年11月7日 (土) 04:34 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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