古田徳昌
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古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - )は、日本の実業家。自動車メーカー・マツダ第7代社長。元通商産業省貿易局長。
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[編集] 来歴
東京大学経済学部卒業。1952年(昭和27年)、通商産業省入省。同期には杉山和男(通産省事務次官)、並木信義(名古屋市大教授)、小松国男(通産審議官)、小島英敏(経企次官)、谷村昭一(経企次官、日商専務理事)、服部典徳(工業技術院総務部長)、倉部行雄(防衛庁装備局長)、平林勉(官房審議官)などがいる。
1987年(昭和62年)12月、マツダ社長に就任。初の会社外部出身の社長となる。 当時、貿易自由化が進み通産省でも国内メーカー再編が検討されていたため、生き残りをかけて上位3社を目指し、販売5チャンネル化を推進した[1]。その他に往年の軽自動車・キャロルをオートザムブランドで発売、高級セダン・センティア、カペラセダンの後継車・クロノス、ロードスター発売などを行った。
また任期中、日本のサッカーリーグはプロ化への向かって進められ、マツダサッカークラブもプロリーグ参加を打診されていた。当初、プロ化移行費用へ試算が出来ないなど経営的な問題から、参加に消極的であった。これに対し、野村尊敬広島県サッカー協会会長をはじめとする多くの関係者・市民が嘆願に訪れ、1991年1月22日夕刻には竹下虎之助広島県知事との会談が設けられた。県からの援助の約束を取りつけ、マツダのメインバンクである住友銀行からの後押しもあり[2]、翌23日リーグ加入の方向を正式表明した[3]。その後マツダサッカークラブを母体とするサンフレッチェ広島が誕生した。
社長退任後の1992年4月、Jリーグ・サンフレッチェ広島初代球団社長に就任。任期中、Jリーグステージ優勝も経験した。
その後は日本サイクリング協会会長などを歴任している。
[編集] 参考
- ^ 日本人社長就任 マツダトップ交代(中国新聞)
- ^ 広島サッカー向上委員会・今西和男インタビューおよび「Jリーグ開幕15周年記念 サンフレッチェ広島 レジェンド・オブ・スターズ」(Data Stadium)川淵三郎インタビューより
- ^ 田辺一蹴責任編集コラム
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年8月12日 (水) 03:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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