右田ヶ岳城

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右田ヶ岳城
山口県
通称 右田ヶ嶽城、右田城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 右田氏
築城年 鎌倉時代末期
主な城主 右田氏、南方就正
廃城年 不明(安土桃山時代末期?)
  

右田ヶ岳城(みぎたがたけじょう)は、周防国佐波郡右田(現在の山口県防府市)にあった山城。

[編集] 沿革

鎌倉時代末期に、大内氏の庶流・右田氏が築城し、代々在城した。

1555年(弘治元年)に、陶晴賢厳島の戦いで討死し、同年より毛利氏が周防・長門国への侵攻を開始した(防長経略)。その際に城主であった右田隆量は、野田長房と共に籠城したが、毛利元就の勧告に従い降伏して、毛利氏に仕えた。

後に毛利氏家臣の南方就正が城番として入城し、1569年(永禄12年)の大内輝弘の山口乱入(大内輝弘の乱)では、就正がこの城より出撃し、輝弘を撃退した。

その後の歴史は不明だが、江戸時代初期には廃城となっていた。

[編集] 概要

右田ヶ岳の山頂に築城されており、頂上は東・中・西の3つに分かれている。西部に本丸があり、その東下に二の丸がある。大内氏の本拠・山口防衛の要衝であり、急峻な右田ヶ岳により天然の要害となっていた。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月9日 (金) 12:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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