吉田敬

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 吉田敬
本名 同じ
ニックネーム ブツブツ よっさん
生年月日 1973年6月27日(36歳)
出身地 京都市伏見区
血液型 A型Rhマイナス
身長 173cm
方言 関西弁
最終学歴 京都市立日吉ヶ丘高等学校
出身 NSC大阪校13期
コンビ名 ブラックマヨネーズ
相方 小杉竜一
芸風 漫才(ボケ)など
立ち位置
事務所 吉本興業
活動時期 1995年 - 現在
同期 次長課長徳井義実 など
配偶者 未婚
  

吉田 敬(よしだ たかし、1973年6月27日 - )は、吉本興業所属のお笑い芸人ブラックマヨネーズのボケ担当。立ち位置は向かって右。相方は小杉竜一

目次

[編集] プロフィール

[編集] 来歴

京都府京都市伏見区において、当時京阪電気鉄道の運転士で藤波辰爾似の父親(定年退職後は不動産業を営み、自著も出版している)と、それより7歳年下で美人看護師の母親との間に長男として生まれ育った。自分より9歳年下の弟がいる。中学1年生まで家庭の事情で親元を離れ、祖父母に育てられた。

小学校3年生の頃から少年野球を始め、所属していたチームは京都府で1位、近畿で3位という成績を収めるなどの強豪で、吉田はファーストで5番打者だった。ただし、コーチが親戚のおじさんだった。

中学は京都市立藤森中学校に進学する。この中学校は倖田來未赤松真人広島東洋カープ外野手)も輩出しており、弟は倖田と赤松の友達である。

また、現在の顔のひどいブツブツは、当時中学生だった吉田がニキビに悩み、通販で「ニキビを消すローラー」を購入し顔中にローラーをかけたのがすべての始まりであり、後に吉田を一生苦しめることになる。

高校は京都市立日吉ヶ丘高等学校に進学し弓道部に所属していた。しかし、こちらでは野球と違い男子部員6名中唯一の補欠だった。また、高校の同級生に六車奈々がいる。

高校卒業後の2年間は大阪でフリーターをしていた。(パチンコ屋の店員、古紙回収業者など10件ほど仕事を渡り歩いた)

しかし、19歳の時、テレクラで知り合った「よし子ちゃん」という内田裕也似の60歳の女性と関係を持ったことで「このままやったらあかん」と思い、それをきっかけに漫才師を志す。

20歳で大阪NSCに13期生として高校時代の同級生の和田義浩と入学。「ツインテール」というコンビ名でデビューし、1年目でお笑い業界では異例の月収10万円を稼ぐ程の早出世で、花の13期生と呼ばれる同期の中でもダントツの稼ぎ頭だった。しかし、友達から相方へと急に立場が変わってしまったため和田の態度が高校時代と変わってしまい、吉田がそれに嫌気がさしたためコンビを解散してしまう。(ただし、和田は今でも放送作家としてブラックマヨネーズのライブに携わるなどしており関係はいたって良好である)

その後、実家の京都に一時帰郷するが、1998年に現在の相方となる元「関西キング」の小杉竜一と「ブラックマヨネーズ」を結成する。

2002年からラジオ番組ブラックマヨネーズのずぼりらじお」の放送が開始される。

[編集] 人物・エピソード

[編集] ブツブツ

  • 顔のブツブツにばかり目が行きがちだが、肌荒れは腹の方が酷い(金属アレルギーのため、ベルトのバックルでも荒れる)しかも本人曰く「アレルギーに負けたくない」ため、つい掻き過ぎてしまい、よく腹と指先が血だらけになっている。よって裸での出演は原則NGである。
  • 首に大きなデキモノができ、看護師の母の紹介で切除手術を行ったところ、緑の体液が飛び出し母が嘔吐した。
  • 学生時代野球をしていたところ、スライディングで顔に小石が挟まってしまい、爪で取り出せなかったため、車のミラーを見ながら爪楊枝で取り出すという屈辱的な経験をした。
  • エステに通っていたが、ある時を境に予約を入れようとすると必ず「いっぱいです」と断られるようになってしまったそうだ。
  • 吉田が顔のブツブツを目立たなくするために使用しているパフを専門家に調べさせたところ、大腸菌が混じっていたことが判明。
  • ロンドンハーツ」でドクターフィッシュを使い吉田の肌荒れを直そうと試みたが、失敗に終わってしまった。撮影後、一匹のドクターフィッシュが死んだ。
  • アメトーーク」に出演した時は、オープニングで司会の雨上がり決死隊宮迫が吉田のことをなかなか思い出せず、「誰やったっけ?」などと考え込みつつ近づいて、顔を触ったところで宮迫が「吉田!!」と驚いたように叫ぶのがお約束になってきている。これは宮迫のギャグではなく、吉田自身が考案したギャグであり、飲みの席で宮迫と一緒になったとき頼み込んで実現したと、その場で宮迫が暴露している。
  • トーク番組で、他の出演者が吉田に、「最近、肌が綺麗になったよね。」と言い、吉田が「本当ですか? 確認していいですか?」と言って、自分の顔を触った後、「ザラザラやないか!!」と言うのも、お約束になっている。
  • ABCの新社屋移転特番として放送された「パネルクイズ アタック25」特番で、司会の島田紳助に「アスファルトに10時間寝た中条きよし」と呼ばれた。中条に例えられたということで顔のベースはイケメンであるといえよう。

[編集] その他

  • ブツブツの強面で、一見怖い人と勘違いされやすいが、実際はかなり繊細な神経の持ち主で、気が弱く、心配性である。また、とても真面目で優しい性格であり、多くの後輩に「よっさん」と慕われている。コンビでMCを努めたラジオ番組「ブラックマヨネーズのずぼりらじお」のリスナーには、吉田を「兄貴」と慕う男性ファンも多かった。
  • 関ジャニ∞安田章大と仲が良く、彼からは「兄さん」と呼ばれている。
  • 同期のチュートリアルをライバル視しているという発言をするネタがある。
  • トーク中にM-1の話になると自分たちが優勝した2005年大会のことを「伝説の2005年」と自画自賛するネタがある。
  • 何やったら、チュートリアルサンドウィッチマンNON STYLEと来て前の前の前やぞ!」というネタがある。
  • コンパした時に偶然にも昔、自分が住んでいたマンションの同じ部屋に現在住んでいるという女の子が来たことがある。(吉田曰く、こんな奇跡はないと思い、その場での話は大いに盛り上がったが、結局はフラれたらしい。)
  • ブラックマヨネーズを結成した当初、一時期、スキンヘッドにしていたことがある(自身の顔つきも相成って、ボケてもほとんどスベっていたらしい。)
  • M-1グランプリ優勝当日に当時付き合っていた彼女にフラれてしまい、その影響で一時期、本気で自殺を考え、相方の小杉、弟、元彼女に当てた遺書を書いていた。
  • 先輩の陣内智則に「イタリア人並みの女好き」と揶揄されている。TSUTAYAのお笑いコーナーで女の子を待ち伏せしナンパする他、道頓堀では仲の良いイケメンミュージシャンに「凄い奴がいるから」という口説き文句でナンパさせ吉田の所まで引っ張ってくる。またこの時、女の子が驚かない場合には"リリース"する。
  • 芸人としての方向性などを決めているのは吉田であり、結成当初、吉田の細かい指示に小杉はうっとうしさを感じていたが、指示どおりにやったほうが客の反応が、良くなることに気づき、指示を受け入れるようになる。また、小杉は吉田の番組や舞台に対する意気込みを、評して「お笑い根性がある。」としている。
  • いきなり!黄金伝説。」の「海女さん0円生活」のコーナーにて、極度のカナヅチであることが判明した。よって同企画の序盤は、小杉や対戦相手のNON STYLEとは別に潜水をマスターするための別メニューを課された。また前述のアレルギーで貝類が食べられず、常時空腹に見舞われていた。
  • Hey! Say! JUMP山田涼介に「アリ地獄さん」と呼ばれている。
  • 父親が長く京阪電鉄に勤務していたにも関わらず、京阪電鉄が経営するひらかたパークのCMキャラクター「ひらパー兄さん」の座を相方の小杉に奪われた。テレビを見た父から「小杉君に似た人がひらパーのCMに出ている」と電話を受けて、立場が複雑だったと述べている。
  • 相方と違いタバコを吸う。
  • 長渕剛の大ファンであり、売れない日々は毎日長渕の曲HOLD YOUR LAST CHANCEを聴き、一人涙してたという。

[編集] 迷言

  • 「自信なかったら、顔に穴開いてきた時点で死んでるわ」

              ――――――ラジオのリスナーに「もっと自分に自信を持て」と言われて

  • 「ニキビに決まってるじゃないですか。何個ヒント出してる思ってんすか」

              ――――――ユースケサンタマリアに「顔の絆創膏どうしたんですか」と言われて

  • 「こっから音出るんやったら、僕スピーカーとして生きていきます」

              ――――――島田紳助に「イヤホンを付けたら、ほっぺたから音鳴るんちゃうんか」と言われて

[編集] 受賞歴

[編集] 映画

[編集] PV

[編集] 著書

[編集] 関連人物

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^放送室 (ラジオ番組)」(東京FM)より。

最終更新 2009年11月25日 (水) 10:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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