吉田清治 (文筆家)
吉田清治 (文筆家)の最新ニュースをまとめて検索!
吉田 清治(よしだ せいじ、1913年10月15日 - )は、日本の陸軍軍人の経歴を持つ文筆家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。福岡県(山口県とも)出身。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。
目次 |
[編集] 概説
1947年、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選しているという経歴を持つ。
1977年、『朝鮮人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版。その中で、第二次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。1982年には第一次樺太朝鮮人裁判で朝鮮人の奴隷狩りを証言。1983年、いわゆる従軍慰安婦問題の発端となった「私の戦争犯罪」を上梓した。その後も朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行ったのは吉田のみであった為、当時、吉田は勇気ある唯一人の告白者であるとされていた。
しかし、その「慰安婦狩りを行った」という証言について、現代史家・秦郁彦(元日本大学法学部教授)が92年3月に済州島で行った現地調査では明確な裏付けが取れなかった。当時を知る島民は「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」との証言をした。同書は韓国語訳され現地の済州新聞で住民の証言をもとに論評がなされているが、「あり得ないこと」、「(このような作り話の本は)道徳性の欠如した本で、軽薄な金儲け主義的」と一蹴されている。秦は、同記事の執筆者、許栄善と面談の折、「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ答えに困窮したという。秦は調査結果を公表し[1]、『昭和史の謎を追う』(文藝春秋1993年3月)に掲載し、菊池寛賞を受賞した。
また、上杉聰は吉見義明・中央大学教授とともに、吉田と面談した。その結果、秦の論拠だけで吉田の証言を嘘と断定することはできないが、歴史証言としては採用できない、としている。[2]
1996年5月29日付の週刊新潮インタビューで、吉田は「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と偽証を認めたが、人間狩りをしたという主張は変わっていない。しかし、現実の問題として吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず、検証が不可能であるために、現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることは、ほぼなくなった。
1998年、吉田は秦氏との電話会見に応じ「人権屋に利用された私が悪かった」と反省の弁をほのめかしていた[3]。
秦はその後の調査結果をまとめ、公刊した[4]。
[編集] 主な著作
[編集] 吉田証言の実地調査を行なった人物
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 産経新聞(92/4/30),「正論」92年6月号
- ^ 「慰安婦」は商行為か?---「慰安婦」問題の真実--- 上杉聰 1996年
- ^ 『諸君!』1998年11月号 秦郁彦「『空想虚言症』の記憶にさいなまれる『朝日新聞』」
- ^ 『慰安婦と戦場の性』(新潮選書1999 ISBN 4-10-600565-4
最終更新 2009年10月25日 (日) 09:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【吉田清治 (文筆家)】変更履歴

