吊り出し
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吊り出し(つりだし)とは、相撲の決まり手である。クレーンの愛称で知られた明武谷や、和製ヘラクレスの異名を持つ霧島が得意とした。
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[編集] 概要
両廻しを引きつけながら掴み、腰に力を入れ踏ん張って相手を吊り上げ、浮かせたまま土俵の外へ出す。相手の胴を直接掴む場合もある。太めの力士の場合、腹の上に乗せてしまうと、相手は反撃が難しくなる。吊り上げて土俵内で落として倒すのは吊り落としと呼ばれる。
なお、攻め込んでいても相手より先に土俵の外に足を出すと勇み足として負けになるが、吊り出そうとしているときは、相手の両足が地に付いていなければ、前へ踏み出した場合に限り自分の足が先に土俵から出てしまっても送り足として負けにはならない。後ろに踏み出した場合は完全に吊り上げていても負けとなる。
互いに相手を吊ろうとして土俵中央で踏ん張り合いになる場合もあり、観客も力のはいる場面である。明武谷-若浪-陸奥嵐の3者の対戦や千代の富士-若嶋津戦などはそのような展開がよく見られた。
この技で相手に勝利すると「豪快な決まり手」と評価されることが多い。
[編集] 吊りで有名だった力士
大正時代の大錦が出足から腹に乗せる吊りで「入神の域」と評され、幕内119勝中の4割近い47番を吊り出しで決めている。次いで双葉山時代の肥州山が腕力と背筋力を生かした吊りで115勝中35勝を得ている。
昭和40年代には吊りの技術が高められ、明武谷(414勝中129番)、大麒麟(473勝中128番)、玉の海(469勝中102番)、貴ノ花(578勝中93番)、陸奥嵐(375勝中89番)、若浪(351勝中81番)など、名手が輩出した。特に玉の海の寄りながらサッと吊り上げる技術は絶妙と評された。
かつては若浪、陸奥嵐や千代の富士のように、小兵であっても鍛え上げた筋肉を生かして吊りを得意とする力士が多く、一方で鏡里や北の湖のように太鼓腹を生かして相手を腹に乗せて吊る力士も見られた。また明武谷のように高い身長を活かして一気に高々と吊り上げる力士もいた。陸奥嵐などは吊り出しが相撲人生を通じて最も多い決まり手であったし、吊りを標榜する力士はかつては多かった。
しかし、平成に入ってからは、力士の大型化・重量化が進み、それに伴って腰に負担のかかるこの技が見られることは次第に減った。特に琴龍が引退した後はしばらくの間あまり見られなかったが、把瑠都が幕内に上がってから吊りをよく繰り出している。朝青龍、白鵬も稀に使う事がある。
[編集] 歴史に残る吊り出し
1990年3月場所6日目、この一番に前人未到の通算1000勝がかかっていた横綱千代の富士に、関脇だった霧島がこの技で見事「待った」をかけ、勢いに乗った霧島はこの場所13勝2敗で優勝同点の成績を残し、場所後大関に昇進した。
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月22日 (日) 08:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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