名鉄岐阜市内線
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| 名鉄岐阜市内線 | |
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新岐阜駅前駅に停車中のモ510形
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| 路線総延長 | 7.6 km |
| 軌間 | 1067 mm |
| 電圧 | 600V 架空電車線方式 (直流) |
岐阜市内線(ぎふしないせん)は、岐阜駅前駅から忠節駅まで、および徹明町駅から長良北町駅までを結んでいた名古屋鉄道(名鉄)の軌道線。全線が岐阜県岐阜市内を走行していた。2005年4月1日に全線が廃止された。
目次 |
[編集] 概要
岐阜市街地内を走る路面電車で、全線がほぼ道路上を走る併用軌道となっていた。JR岐阜駅北口から名鉄岐阜駅の西側を経て、徹明町 - 千手堂間は徹明通り、千手堂 - 忠節間は忠節橋通りを通っていた。
運賃は全線均一制で、直通する揖斐線など運賃計算キロが設定されている他の名鉄線に跨って利用する場合は両方を合算していた。
[編集] 路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。
- 路線距離(営業キロ):
- 岐阜駅前 - 忠節間 3.7km (2005年廃止)
- 徹明町 - 長良北町間 3.9km (1988年廃止)
- 軌間:1067mm
- 駅数:20駅(起終点駅含む)
- 複線区間:全線複線
- 電化区間:全線電化(直流600V)
[編集] 経路図
| 停留場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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[編集] 運行形態
忠節支線は廃止直前時点でおおむね5 - 15分(日中は15分)間隔で運行されていた。モ510形・モ520形の揖斐線直通急行の運転開始後、この急行電車に加えモ560形・モ570形による忠節までの電車が走っていた。朝夕は直通急行の設定がなく、モ570形が急行として走るものもあった。しかし、そののち市内線の区間運転は減便されていき、モ780形・モ770形の投入によって、廃止前の1998年改正のダイヤでは朝の一部を除き、全列車が揖斐線と直通運転を行うようになった。従って、市内線区間でも15分おきとなり、市内電車としての運転間隔とはお世辞にも言えなくなった。揖斐線の急行列車も市内線区間では各駅停車とされていた。それ以前の市内線(忠節支線)の急行は新岐阜・徹明町・千手堂・西野町・忠節に停車していた。一部を除きワンマン運転を実施していた。
長良線は廃止前には曲線通過の関係上ほぼ小形のモ550形の独擅場(一部モ560形も入っていた)で、長良北町までのほか、伊奈波通折り返しのものもあった。夏の花火大会の時には、夕方から全列車を伊奈波通折り返しとし、モ550形のほか、モ570形やモ590形といった大型車も駆り出され花火見物客輸送に活躍した。
[編集] 歴史
「美濃電気軌道」も参照
美濃電気軌道によって、後の長良線の一部を含む柳ヶ瀬(後の岐阜駅前) - 今小町(後の大学病院前)間が1911年(明治44年)に開業したが、忠節方面へは1925年(大正14年)になってから開業した。
岐阜駅前停留場付近は岐阜駅や新岐阜駅の移転などにより何度か付け替えられ、忠節駅付近も揖斐線忠節駅移転により細かい延伸を繰り返している。
[編集] 廃止表明まで
この路線を敷設した美濃電気軌道が名古屋資本の名鉄に合併されたことや、車社会の進展などの理由で、岐阜市は長年市内線に敵対的だった。市議会は1967年に路面電車廃止決議を可決させた。この決議は現在でも有効である。
また、道路が狭いことから、通常は道路交通法で禁止されている軌道敷内の自動車の通行が許されていた。このため交通渋滞に巻き込まれて電車が岐阜駅前停留場まで行けず、新岐阜駅前停留場で運転が打ち切られることがしばしばあった。また、やはり道路が狭いことから自動車の通行の障害になるため、岐阜駅前停留場を除き、停留場の安全地帯を設置できず、乗降客は常に自動車の危険にさらされていた。また、安全地帯を設置した場合、路線バスなどの大型車両の通行が不可能なため認められなかったともいわれる。しかし、広島電鉄宇品線など、これより狭い道路でも安全地帯が設置されている路線はある。行政、あるいは利用者となる住民が、鉄道利用にどれだけ重きを置いていたかの違いが、両線の待遇に現れたと言えよう。
また、岐阜市内線の一部として徹明町停留場から長良橋通りを北上し長良北町停留場に至る通称長良線が走っていた(本来、岐阜市内線は岐阜駅前 - 長良北町間が本線で、これに対し徹明町 - 忠節間を忠節支線という)。しかし、長良線はぎふ中部未来博覧会開催の際に交通の邪魔になるという理由で、1988年に廃止された。岐阜市の車優先行政は一貫していたといえよう。このほか、長良北町駅からは高富線、千手堂駅からは鏡島線が延びていたが、いずれも1960年代に廃止されている。
一体的に運営されていた区間の廃止(1999年4月1日美濃町線新関 - 美濃間、2001年10月1日谷汲線全線、揖斐線本揖斐 - 黒野間。谷汲線以外は市内線乗り入れ)が続く一方、1997年にはモ780形、2000年には美濃町線系統にモ800形と、相次いで600V線区用の新車を投入。サービスの向上を図った。
しかし、2003年1月24日、ついに名鉄は600V電化区間からの全面撤退に向け周辺自治体と協議すると表明。岐阜市はようやく存続の可能性を探るため、10月14日から11月28日まで、「路面電車交通社会実験」を行った。主要停留所に仮設の安全地帯を設置し、軌道敷内の自動車通行を禁止することで、利用者がどれだけ増えるかを見極めようというものだった。しかし、利用者には好評だったが、その減少を止めることはできなかった。また、ドライバーからは渋滞を招くとの不満もあがった。さらに、岐阜県警は安全地帯設置、軌道敷内自動車通行禁止のいずれも消極的だった。
岐阜駅前 - 新岐阜駅前間は、主要地方道岐阜停車場線の整備に伴い、2003年12月1日から廃止日前日の2005年3月31日まで休止された。なお、新岐阜駅は2005年1月29日に名鉄岐阜駅と改称されたが、新岐阜駅前停留場の名称は変更されなかった。
[編集] 廃止表明
この結果を受け、2004年に名鉄は岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を正式に表明。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。日本国内の路面電車の廃止は、2000年の西日本鉄道北九州線以来である。
名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なった。継続に対して署名運動が行われ、岐阜市内線・揖斐線・美濃町線の周辺地域から、7万人強もの署名が集まり提出されている。新聞などでは岐阜市長はこの行動に、継続に対して前向きに検討すると回答した、と報道されている。また沿線の自治会連絡協議会や沿線高校からも鉄道存続の陳情や要望がなされていた。しかし、その後に路線継続に対して反対する市民団体が現れ、600人弱の署名を提出することがあった。一時は、岡山電気軌道のほか、フランスからもコネックス(CONNEX - 現在のヴェオリア・トランスポール社)が支援検討を表明、打診していた。
存続活動団体は路面電車の維持のため、並行する区間のバスの廃止を主張するなどの提言を行った。鉄道は大量輸送に向いており、自家用車はもとより、大型バスよりも効率がよいという理由である。しかし、「バス利用者が乗り換えを強いられる」「移動のための道具でしかない路面電車ありきで地域住人、利用者のことを犠牲にしたもの」という批判もあった。その後、岐阜市と岐阜バスは幹線系と支線系の乗換えを岐阜大学病院前で行う路線再編を行った。またコミュニティバスの路線バスとの接続を岐阜バスは求めており、廃止後3年たった2008年には「バス利用者が乗り換えを強いられる」のは路面電車に関係なく実現していて、この批判は単に路面電車反対派の的外れな批判だったことが明らかになった。
存続活動団体は2004年6月9日、黒字転換は可能との試算を発表した。その内容は自治体が鉄道資産を所有する上下分離(維持管理費用は自治体負担)と前提とした上で鉄道従事者の給料を3分の1に引き下げ、利用者が25%増加した上で自治体が赤字補填を毎年2億7000万円行うというものだった。また支援を表明していた岡山電気軌道も6月28に運行会社になった場合の試算を発表した。だが、椿洞の産廃問題を抱えた財政再建が至上課題だった岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に公共交通へ財政支援は支援はできないとして、同年7月27日存続断念を発表した。
[編集] 廃止後の動き
沿線自治体は中部運輸局や名鉄へ代替交通の確保を名鉄中心に検討を要請していたので、代替バスの運行事業者の一般募集は11月になった。結局名鉄系列の岐阜バスから12月に提案があり最終的に岐阜バスが代替交通を担うことになった。
廃止後当初は、積み残しを発生するなどトラブルや乗り継ぎの不便さ運行時間の遅れもあったが、廃止前の路面電車の利用者のバス転換率は56 - 60%となった。他都市の同様な事例の転換率が30 - 50%の状況なので、おおむね良好な利用状況になった。しかし、通勤時間帯の自動車の道路通行量は5%増加し、渋滞長・渋滞時間ともに西側方面(揖斐線沿線)では悪化、美濃町線沿線の東側方面も渋滞解消時間は早くなったが最大渋滞長は長くなった。また他の都市の事例よりは良好な転換率とはいえ、転換しなかった40 - 44%の鉄道利用者は公共交通離れを起こしたという事実は明確である。[要出典]
また、細江茂光岐阜市長の資金管理団体の代表者が岐阜バスの相談役(当時。元社長)であり、「今まで名鉄でやろうと思ってやれなんだことがやれるものか、やれるもんならやってみよ。」と路線存続に反対していた。このことから、市長が路線存続に消極的だったのは、岐阜バスへの配慮があったからではないのかという指摘もされている[1]。細江市長は、資金管理団体代表者について「社長を退任しておられまして、まあ人格、識見も大変すぐれた方」と答弁した。
岐阜市は公共交通充実を目標に掲げ「環境モデル都市」に応募したが、一次選考で落とされている[2]。
路面電車存続運動を継承する形で2005年、関市でイオンなどが入居するショッピングセンターを運営するサン・ストラッセが600V電化区間への参入を表明。岡山電気軌道に運営運行業務を委託する形の、新しい鉄道会社の設立を目指していたが、廃線前に検討した上下分離方式を前提としているため、自治体は乗り気でなかった。そして名鉄は資産譲渡先は自治体に限るとの態度で相手にしようとしなかった。
岐阜県は復活計画に具体性が無いこと、冬季のレールの凍結が道路交通の障害となることなどを理由として、9月6日から順次、県管理区間の道路の軌道撤去を始めた。主要交差点は2006年内に、その他も2009年3月までに撤去を完了する予定。また岐阜市も市道区間の軌道撤去を始めた。
施設の撤去が進む中、サン・ストラッセは軌道事業の申請を取り下げた。
[編集] 年表
- 1911年(明治44年)2月11日 美濃電気軌道が柳ヶ瀬(後の岐阜駅前) - 今小町(後の大学病院前)間を開業
- 1911年(明治44年)10月7日 今小町 - 本町間が開業
- 1912年(明治45年)8月28日 本町 - 長良橋間が開業
- 1913年(大正2年)8月21日 国鉄岐阜駅移転に伴い、駅前(後の岐阜駅前)停留場を移転
- 1915年(大正4年)11月20日 長良橋 - 長良北町間開業。長良軽便鉄道(後の高富線)と接続
- 1925年(大正14年)6月1日 徹明町 - 千手堂間が開業。前年開業の鏡島線と接続
- 1925年(大正14年)12月11日 千手堂 - 忠節橋間が開業。北方線(後の揖斐線)とは徒歩連絡
- 1930年(昭和5年)8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。岐阜市内線となる
- 1930年(昭和5年)9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更
- 1935年(昭和10年)8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更
- 1948年(昭和23年)8月1日 忠節橋停留場を忠節駅(2代目)前の後の早田停留場の場所に移転
- 1952年(昭和27年)5月1日 岐阜駅前停留場を移転
- 1953年(昭和28年)7月1日 忠節橋(後の早田) - 忠節間が開業
- 1954年(昭和29年)12月21日 揖斐線が経路変更され忠節駅(3代目)で接続
- 1967年(昭和42年)12月17日 揖斐線直通の急行を運転開始
- 1988年(昭和63年)6月1日 徹明町 - 長良北町間3.9kmが廃止
- 2003年(平成15年)12月1日 岐阜駅前 - 新岐阜駅前間が休止
- 2005年(平成17年)4月1日 岐阜駅前 - 忠節間3.7kmが廃止され全廃
[編集] 駅一覧
- 岐阜駅前 - 忠節間(2005年廃止)
- 岐阜駅前駅 - 新岐阜駅前駅 - 金宝町駅 - 徹明町駅 - 金町駅 - 千手堂駅 - 本郷町駅 - 西野町駅 - 早田駅 - 忠節駅
- 徹明町 - 長良北町間(長良線、1988年廃止)
- 徹明町駅 - 岐阜柳ヶ瀬駅 - 市役所前駅 - 大学病院前駅 - 伊奈波通駅 - 本町駅 - 材木町駅 - 公園前駅 - 長良橋駅 - 鵜飼屋駅 - 長良北町駅
- 駅名は廃止時点のもの
- 軌道上の駅は、安全地帯やホームのないものに対して、実際は『駅』と称さずに『電停』と称していた。
- 岐阜駅前 - 新岐阜駅前間は2003年から休止
[編集] 接続路線
廃止時点
それ以前の接続路線
[編集] 脚注
- ^ 2005年6月16日岐阜市議会、堀田信夫(共産)の質問と細江市長の答弁参照 平成17年第3回定例会(第5日目)
- ^ 名古屋や豊田 通過 環境モデル都市“一次選考” 中日新聞 2008年6月16日
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月4日 (水) 19:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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