吐蕃
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吐蕃(とばん)は
- 7世紀半ばにチベット高原を統一し、842年に崩壊したチベットの古代王朝に対する唐代以降の中国における呼称。(→吐蕃王朝を参照)
- 唐代より清代にかけての中国文献において、チベットの全域を著わす地域概念として、もしくはその時々のチベットの支配勢力の代名詞として使用された用語。
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[編集] チベットの古代王朝としての呼称
古代チベット王朝の同時代に中国を統治していた唐王朝は、この王朝に対し「吐蕃」、または「蕃」、「大蕃」の呼称を使用していた。その後の中国歴代王朝でもこの王朝に対する呼称のひとつとしてこの呼称がながくもちいられた[1]。
日本の東洋史における学術用語としても、この王朝を指す名称として、「吐蕃」、「吐蕃王朝」[2]、「飛吐蕃王国」[3]、「吐蕃帝国」[4]等、「吐蕃」という用語で、またはこの語を冠した呼称が用いられる例が多い。
[編集] 地理的用語としての呼称
中国では、チベットの古代王朝が滅亡したのちも、チベットの全域をさす地域呼称として「吐蕃」という用語が使用されつづけた。
たとえば『元史』[5]の「宣政院」の条では、チベット西部が「ガリー三域(納里速古魯孫)」[6]、中央チベットがウーツァン(烏思蔵)」[7]、東部チベットが「ド・カム(朶甘)」[8]と地域区分されているが、これら3地域の総称として「吐蕃」という用語が使用されている。
また『西蔵記』[9]は、ガリーとウー、ツァン、カム地方の西部からなる「西蔵」について、「西吐蕃也」と記している(詳細は西蔵を参照)。
「呉三桂の乱」を描いた『庭聞録』[10]では、ダライラマの命令でジャン王(麗江に本拠をおいてチベット南部を支配していたナシ族の領主)を降伏させたグシ=ハン王朝の第三代ダライ=ハンとその軍勢に対し、「吐蕃」の呼称が使用されている[11]。
[編集] 関連項目
- 吐蕃王朝(とばんおうちょう)
- 大西蔵区(だいせいぞうく)
- 大蔵区(だいぞうく)
[編集] 註
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