吹石徳一
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 和歌山県日高郡みなべ町 |
| 生年月日 | 1953年4月2日(56歳) |
| 身長 体重 |
178cm 76kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手 |
| プロ入り | 1974年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 1976年 |
| 最終出場 | 1988年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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監督・コーチ歴
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この表について
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吹石 徳一(ふきいし とくいち、1953年4月2日 - )は、和歌山県出身のプロ野球選手(内野手)・指導者、スカウト。現在東北楽天ゴールデンイーグルスのチーフスカウト。
妻との間に2男1女。このうち長男は智辯学園高校で甲子園出場経験があり、次男もノンプロの全国大会で完封したことがある野球一家である。長女は女優・タレントの吹石一恵。
目次 |
[編集] 来歴・人物
南部高校から社会人野球の日本新薬を経て、1974年のドラフトで近鉄バファローズから4位で指名されプロ入り。背番号は25で、引退まで近鉄に在籍してこの背番号をつけていた。内野はどのポジションでもこなせる器用さがあったが、控え選手としての活躍が多かった。俊足・堅守の内野手として、特に守備に定評があり、内野手にアクシデントがあった時に登場する玄人受けする選手であった。
1980年の日本シリーズ第2戦で逆転の3ランホームランを放つ。翌1981年のシーズンはレギュラーを獲得し規定打席にも到達した(このシーズンの成績は打率.245、10本塁打、48打点、13盗塁)。1980年、1985年のシーズンも100試合以上に出場し、それぞれ12本塁打を放つ活躍をしている。控えが多かったにもかかわらず、生涯通算1000試合超の出場を果たしている。1988年10月19日のダブルヘッダー「10.19」では、負傷欠場していた金村義明に代わって三塁手として出場。第2試合の7回表には、一時勝ち越しとなる本塁打を放つなどの活躍を見せた。このシーズン終了後に現役を引退。
引退後も近鉄にとどまり、守備走塁コーチやスカウトなどを歴任したが、球団合併により2004年シーズン終了をもって退団。2005年からは楽天に所属し、近畿地方担当スカウトとして活動していた。2007年3月、楠城徹編成本部スカウト部長が西武時代の不祥事による責任問題から解任・編成本部付(3月12日付)となったことに伴い、楠城の後任として3月27日付でチーフスカウトに就任、現在に至る。
同年代(1953年度〔同年4月2日〜1954年4月1日〕生まれ)の日本プロ野球選手には梨田昌孝、中畑清、真弓明信、若菜嘉晴、羽田耕一、藤瀬史朗、田尾安志、落合博満らがいる。また、梨田・落合をはじめとする1953年(昭和28年)生まれの選手で構成された親睦会「二八会(にっぱちかい)」のメンバーでもある。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 死 球 |
三 振 |
打 率 |
順 位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976 | 近鉄 | 48 | 28 | 8 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 2 | 4 | .143 | |
| 1977 | 28 | 12 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 2 | .167 | ||
| 1978 | 74 | 29 | 3 | 7 | 0 | 0 | 1 | 10 | 1 | 6 | 1 | 0 | 3 | 9 | .119 | ||
| 1979 | 95 | 99 | 14 | 19 | 3 | 0 | 3 | 31 | 10 | 4 | 4 | 0 | 6 | 20 | .192 | ||
| 1980 | 109 | 249 | 35 | 62 | 8 | 2 | 12 | 110 | 36 | 6 | 14 | 4 | 14 | 31 | .249 | ||
| 1981 | 126 | 412 | 47 | 101 | 13 | 1 | 10 | 146 | 48 | 13 | 13 | 4 | 25 | 25 | .245 | 34 | |
| 1982 | 82 | 139 | 17 | 26 | 3 | 0 | 3 | 38 | 13 | 3 | 2 | 2 | 7 | 13 | .187 | ||
| 1983 | 67 | 132 | 18 | 28 | 6 | 0 | 2 | 40 | 20 | 4 | 5 | 2 | 8 | 13 | .212 | ||
| 1984 | 86 | 189 | 25 | 47 | 7 | 0 | 5 | 69 | 20 | 5 | 9 | 0 | 9 | 19 | .249 | ||
| 1985 | 103 | 263 | 33 | 64 | 9 | 0 | 12 | 109 | 29 | 8 | 17 | 2 | 17 | 30 | .243 | ||
| 1986 | 86 | 82 | 12 | 19 | 4 | 0 | 2 | 29 | 7 | 1 | 5 | 0 | 4 | 15 | .232 | ||
| 1987 | 60 | 76 | 5 | 15 | 0 | 0 | 0 | 15 | 4 | 1 | 5 | 1 | 2 | 13 | .197 | ||
| 1988 | 56 | 114 | 10 | 30 | 5 | 0 | 2 | 41 | 10 | 1 | 5 | 0 | 4 | 9 | .263 | ||
| 通算:13年 | 1020 | 1854 | 229 | 424 | 58 | 3 | 52 | 644 | 200 | 57 | 80 | 17 | 102 | 203 | .229 | ||
[編集] 背番号
- 25 (1975年 - 1988年)
- 81 (1989年 - 1999年)
[編集] 記録
- 通算1000試合出場 1988年9月18日(日本プロ野球史上278人目)
[編集] エピソード
- 1999年11月21日に大阪ドームで行われた読売ジャイアンツとのOB戦では、始球式に娘・一恵が背番号25のユニフォーム姿で登場。ナインの計らいで吹石も捕手として登場(始球式には他に吉井理人と近鉄ファンの書家榊莫山も登場したが、近鉄の捕手が有田修三と梨田昌孝だけと不足した為もある)し、一恵のボールを受けた。
- 「10.19」決戦でのダブルヘッター第2試合の7回、一時は勝ち越しとなるソロホームランを放つとダイヤモンドをガッツポーズで駆け回った。普段地味な働きをしてきただけにこの光景にベンチにいた首脳陣・選手・スタッフたちは感動して涙を流す者もいたことが関係者から語られている。テレビ中継では当時ヘッドコーチの中西太らが涙をこらえているシーンが流れた(中西は吹石の野球姿勢を評価しており、1000試合出場を達成のときにはコメントを述べた)。
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年11月20日 (金) 08:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【吹石徳一】変更履歴

