和田一浩

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和田 一浩
中日ドラゴンズ #5
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基本情報
国籍 日本
出身地 日本の旗岐阜県岐阜市
生年月日 1972年6月19日(37歳)
身長
体重
182cm
90kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 外野手
プロ入り 1996年 ドラフト4位
初出場 1997年4月30日
年俸 2億8000万円(2009年)
2008年から3年契約2年目
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
五輪 2004年
WBC 2006年
オリンピック
男子 野球
2004 野球

和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、岐阜県出身の中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手外野手2001年までは捕手登録)。

ニックネームは同姓の和田勉にちなんだベンちゃん(ベン)、もしくはビッグベンなど。

目次

[編集] 経歴

[編集] 西武時代

1996年度のドラフト西武から4位指名され、捕手として入団。 ルーキーイヤーの1997年は、主に代打として17試合に出場し、プロ初安打・初打点を記録した。 1998年は、正捕手伊東勤の厚い壁のため、捕手だけでなく外野手としても出場機会を増やし、外野手で9試合にスタメン出場した。この年プロ初本塁打を記録した。

1999年は、伊東、中嶋聡に次ぐ3番手捕手としてなかなか出場機会に恵まれず、代打要員に留まったが、シーズン終盤には1番左翼手として起用された。

2000年には、打撃が認められて出場機会が増え、規定打席未満ながら3割を打った。9月9日には4番も任され、9番以外のすべての打順でスタメン出場した。守備位置は捕手9試合、一塁手15試合、外野手18試合、指名打者12試合と、徐々に捕手から外野手へとシフトしていった。

シーズン前、同僚の中嶋聡が捕手らしい番号を欲しており、当時背番号22だった和田は当時中嶋がつけていた1ケタの番号5を譲ってもらった。

2001年は、東尾修監督に「次世代を担うバッテリー」として松坂大輔と開幕戦でスタメン起用され、その後も松坂と7回にわたってバッテリーを組んだ。打撃も好調で一気に16本塁打、規定打席未満ながら打率.306を打って注目を集めた。守備位置はまだ捕手と外野手で一定せず、打順も2番と4番以外すべてに起用され、本格的にレギュラー獲得とはいかなかった。

2002年、新たに監督に就任した伊原春樹の勧めでこの年から外野手一本に絞り、5番左翼手のレギュラーに定着した。初めて規定打席に到達し、打率.319、本塁打33本、81打点と、定着1年目から中軸打者として申し分のない成績を残し、4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。しかしレギュラーとして迎える初めての日本シリーズでは15打数無安打と不振だった。指名打者部門で初のベストナインを受賞。

2003年は、前年よりさらに成績を上げ、打率.346、30本塁打、89打点を記録。自己最高の出塁率.428、長打率.632を叩き出した。また柴田博之が出場する際には中堅手右翼手としても起用された。この年から4年連続で外野手部門でベストナインを受賞する。

2004年は、アレックス・カブレラの開幕出遅れで、6月まで4番を任された。打率.320、30本塁打、89打点の成績で、3年連続3割30本80打点を達成。5月30日函館市千代台公園野球場での北海道日本ハムファイターズ戦で芝草宇宙から本塁打を放ち、通算100本塁打を達成。この年からパ・リーグで開催されたプレーオフでは、第1ステージ第3戦北海道日本ハムファイターズ戦で、横山道哉からサヨナラホームランを放ち、チームを勢い付ける。 後に移籍することになる中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、打率.310、4本塁打、6打点で12年ぶりの日本一に貢献し、優秀選手に選ばれた。

2005年は、春先は絶不調であったが後半戦からは打率.370と一気に追い上げ、シーズン打率.322で初の個人タイトルとなる首位打者を獲得。同時に153安打で最多安打のタイトルも獲得した。パ・リーグの右打者による首位打者獲得は1993年の西武・辻発彦(打率.319)以来12年ぶり。4年連続30本塁打には3本届かなかった。

2006年3月ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出された。しかし尿管結石を発症するなど体調を崩し、1次リーグでの代打起用のみに終わった。

シーズンでは6・7月に不調に終わり打率が伸びず、後半巻き返したが打率.298で惜しくも5年連続打率3割はならなかった。本塁打も19本に終わった。しかし自己最高の95打点を記録し、5番打者としてチームに貢献した。チームメイトの赤田将吾と並んでリーグ最多補殺を記録。

2007年は、9月8日日本ハム戦で吉川光夫から安打を放ち、通算1000本安打を達成。前年より打率を上げてリーグ3位の打率.315を記録した。本塁打はレギュラー定着後最低の18本、打点は前年の約半分の49(9月半ば頃まで打率.239の細川亨より打点が低かった)に終わった。この年は走者が詰まっている場面(一塁・一塁二塁・満塁)では打率.224と低迷し、リーグ3位の22併殺打を記録した(逆に走者なしでは.353と好調であった)。

この年初取得したFA権を行使し、12月9日中日ドラゴンズとの入団交渉の末、地元の岐阜に最も近い球団という事もあり、本人曰く「幼いころからのあこがれの球団」である中日への移籍を数分で即決した。なお、背番号は西武時代と同じ"5"が内定し、3年契約となる。なお、それに伴う人的補償で岡本真也投手が西武に移籍した。

[編集] 中日時代

2008年、中日入団1年目も、西武時代と同じく5番を任される。序盤は不振であったが徐々に調子を上げていく。また、主砲であるタイロン・ウッズが不調の時には4番も務めた。この年通算1000試合出場を達成。2年連続3割を打つなど活躍したが、得点圏打率は.275とチャンスでは期待されたほどの成績を残せなかった。契約更改の際、「2009年シーズンはチャンスでもっと打っていきたい」と発言している。

2009年は、前年3割を打ったにもかかわず「ぜんぜんダメでしょ。自己ベストより1本でも1厘でも1打点でも上にいきたい」と春季キャンプで打撃改造を行い、オープンスタンスの幅や足の上げ方を変えた。昨年主砲のウッズ、中村紀洋が退団したため主砲として期待され4番に座る可能性もあったが、開幕はいつもの5番でスタートし、開幕戦1試合2本塁打と最高のスタートを切った。4月25日の対巨人戦でプロ通算200号本塁打を西武時代の同僚豊田清から放った。6月21日平野佳寿から先制の満塁本塁打を打った打席で通算4000打数に到達し、通算打率にランクイン。この時点で川上哲治落合博満をも上回る通算打率.315で、歴代6位・日本人右打者最高となった。6月には打率.415、6本塁打、15打点の成績で、2度目の月間MVPをチームメイトの川井雄太とともに受賞した(川井の投げる日は3試合連続本塁打、打率4割と相性が良かった)。交流戦では打率4割、7本塁打(ともに2位)と打ちまくった。7月15日には4年ぶりの20本塁打と自己最多ペースで本塁打を量産し、9月15日には10回表に永川勝浩から決勝の3試合連続本塁打を打った。打率.302で7度目の3割をマークし、29本塁打、87打点、出塁率.382と前年より大きく成績を上げ、打撃主要部門すべてでリーグトップ10に入った。守備面でも元捕手の強肩を生かした堅実な送球で12補殺を記録し、2年連続セ・リーグ最多補殺に輝いた。また、この年初めてシーズン全試合に出場(144試合)した。

[編集] プレイスタイル

独特の打撃フォームから弾き出す安定した打撃が特徴。2009年6月21日の対オリックス戦で通算打率ランク算出の最低ラインとなる4000打数に到達したが、その時点での通算打率.315は日本人右打者としては最高打率であり、三度の三冠王を獲得した落合博満(現中日監督、同じく右打者)をも上回る。率だけでなく広角に長打も打てる強打者でもあり、2005年は全27本の本塁打のうち8本を右方向へ放ち、右打者の右方向への長打率でリーグNo.1になっている。西武在籍時は、5番に和田がいることで相手バッテリーが4番カブレラとの勝負を避けられない場面が多かった。

バットを上段に構えて上下に揺らし、極端なオープンスタンスから左足を大きく上げ、全身を回転させるようにしてバットを背中の後ろまで一気に振り抜く独特のフォームによるフルスイングが持ち味。一見非常に粗いフォームでありながら、バットコントロールが巧く、三振は少ない。スイングの後、腰が落ちたような形になるので、左方向への長打を打ったのに三塁線へのファウルボールを打ったように見えることもある。最後まで振り切るフォームであることとあまり足が速くない事により併殺打が多い。

2009年度は打撃改造に伴って構え方が変化、和田特有の極端なオープンスタンスは見られなくなった。オープンスタンス自体は維持しており、更にバットの振り方も従来とさほど変化していないため、安定した打撃は健在である。

独特の打撃フォームも手伝って、右方向への打球が非常に良く伸びる。テレビ画面上で見ると、一見詰まった当たりに見えてもスタンドまでぐんぐんと伸びていくのが特徴である。和田によると流し打ちというと通常、力を加減してボールに合わせるイメージであるが、流し打ちをする時も「右に引っ張る」と言う意識をもつことで、引っ張った時と同じ力で打てるようになったといい、プロ入りしてから数年かけてこれができるようになったという。打撃開眼については金森栄治の指導が大きかったと語っており、金森の打撃理論を理想的に実践しているため金森自身も和田の打撃を最高傑作と語っている。

捕手出身として考えれば特別強肩というわけではない。しかし捕手出身だけあって捕球してから投げるまでが速く、コントロールが正確であるため補殺は多い(肩が強くないという印象が強いため、和田のところに打球が飛ぶと走者が本塁へ突入するということも一因ではある)。和田のスローイングに関して、谷繁元信は「上品な球」と表現している。[1]しかし守備範囲は狭く、打球を見失うようなプレーがまれに見られることもある。そのため、西武在籍時には指名打者で出場することも少なくなかった。中日時代はT.ウッズ放出後に、一塁へのコンバート案が浮かび上がったこともある。

レギュラー定着後、7年で3割以上を6度記録など華々しい記録をもっているが、シーズン100打点を記録したことは1度もない。原因としては故障などでフル出場した年が無いことと、前打者であるカブレラがホームランバッターであるためランナーが既にホームランによって帰されている場面があった事が挙げられる。得点圏打率は年によってややムラがある事も特徴。2006年シーズンは100打点にはとどかなかったものの19本塁打で95打点であった。しかし、その年は和田がレギュラー定着後、唯一打率3割(.298)を切った年でもある。逆に、翌2007年シーズンは打率.315、18本塁打を記録したものの、49打点と前年からほぼ半減させてしまっている。

[編集] 人物

週刊ベースボールに「和田勉」と誤植されたことがあった。

県立岐阜商業高校の同級生にはシドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子がいる。ただ、和田と高橋は高校時代は互いに面識こそあったものの会話をしたことは一度もなかったという。母校では和田と高橋尚子、高木守道の3人をまとめて“ビッグ3”と呼ばれている。2004年11月23日、地元の岐阜メモリアルセンターでこの3人のトークショーが行われ、イベントは大盛況のうちに終わった。

捕手としての出場は2002年以降はないが、「捕手陣に故障者が出た場合、捕手として起用するかもしれない」と中日首脳陣に言われたことがある[2]

2009年からスタートした自身のブログによると、今までパソコンではソリティアでしか使用したことがないらしい[3]

ヒーローインタビューでは余程のことがない限り、長嶋茂雄ばりの「んー、そうですねー」というくだりから始められる。

若い頃から髪が薄いが、本人はそれほど気にしている様子も無く時々ネタにしているほどである。タイムリーヒット等を打った後の攻守交替時に守備位置につく際に外野席から「和田コール」が起こったときも、威勢よく帽子を取って応えている。

小さい頃から、大のドラゴンズファンだったという。07年オフのFA移籍により、憧れの球団に入ることができたということになる。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1997 西武 17 22 21 2 4 1 0 0 5 2 0 0 1 0 0 0 0 4 0 .190 .190 .238 .429
1998 36 57 51 8 17 2 0 3 28 8 3 1 2 0 4 0 0 11 3 .333 .382 .549 .931
1999 20 53 48 5 13 2 1 0 17 3 3 0 1 1 3 0 0 8 1 .271 .308 .354 .662
2000 55 189 170 20 52 10 0 1 65 24 9 2 0 3 15 0 1 17 6 .306 .360 .382 .742
2001 82 236 206 36 63 7 2 16 122 34 5 5 5 2 23 2 0 23 6 .306 .372 .592 .965
2002 115 472 439 64 140 25 2 33 268 81 5 3 2 3 27 3 1 74 14 .319 .357 .610 .968
2003 126 540 468 87 162 34 5 30 296 89 8 5 0 3 66 1 3 46 10 .346 .428 .632 1.060
2004 109 473 394 79 126 21 1 30 239 89 6 2 0 4 71 12 4 59 14 .320 .425 .607 1.032
2005 129 542 475 80 153 32 3 27 272 69 3 3 0 5 60 5 2 66 17 .322 .397 .573 .969
2006 131 566 484 72 144 34 2 19 239 95 3 3 0 4 78 9 0 84 14 .298 .392 .494 .886
2007 138 548 501 74 158 23 1 18 237 49 7 1 0 2 42 2 3 65 22 .315 .370 .473 .843
2008 中日 136 560 520 60 157 34 4 16 247 74 1 2 0 4 34 0 2 71 16 .302 .345 .475 .820
2009 144 592 517 73 156 24 4 29 275 87 5 2 0 5 68 2 2 56 16 .302 .382 .532 .914
通算:13年 1238 4850 4294 660 1345 249 25 222 2310 704 58 29 11 36 491 36 18 584 139 .313 .383 .538 .921
  • 2009年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績

年度 捕手
試合数 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 捕逸 阻止率
1997 14 42 6 1 2 .980 7 5 2 1 .286
1998 18 57 6 0 2 1.000 2 2 0 0 .000
1999 8 42 1 0 0 1.000 2 2 0 0 .000
2000 8 20 2 1 1 .957 5 4 1 0 .200
2001 25 128 10 2 2 .986 12 8 4 3 .333
通算 73 289 25 4 7 .987 28 21 7 4 .250
年度 外野 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1998 13 10 0 0 0 1.000 -
1999 7 5 0 0 0 1.000 -
2000 19 24 1 2 1 .926 15 102 14 1 8 .991
2001 45 52 3 0 1 1.000 1 0 0 0 0 -
2002 62 92 4 1 0 .990 -
2003 120 195 9 4 3 .981 -
2004 107 173 2 0 0 1.000 -
2005 128 251 5 3 1 .988 -
2006 122 213 10 2 1 .991 -
2007 102 195 8 3 1 .985 -
2008 135 228 11 3 2 .988 -
2009 144 216 12 2 3 .991 -
通算 1004 1654 66 20 13 .989 16 102 14 1 8 .991

[編集] タイトル・表彰

  • 首位打者:1回 - 2005年(.322)
  • 最多安打:1回 - 2005年(153安打)
  • ベストナイン:5回 - 2002年(DH部門)、2003年 - 2006年(外野手部門)
  • JA全農Go・Go賞:2006年9月強肩賞、2007年7月好捕賞、2008年9月強肩賞、2009年9月強肩賞
  • 日本シリーズ優秀選手賞:1回 - 2004年
  • 埼玉県彩の国スポーツ功労賞」- 2004年(アテネオリンピック野球日本代表としての、8番指名打者で出場したキューバ戦の本塁打などで貢献した銅メダル獲得の功績を評価されて)
  • オールスターゲーム出場:4回 - 2003年(オールスター新人賞を獲得)、2004年、2005年(第1戦でオールスター優秀選手賞を獲得)、2008年(第1戦は代打出場で1安打1打点を記録、第2戦は5番左翼手で先発出場、5打数2安打2得点を記録)

[編集] 個人記録

[編集] 初記録

[編集] 節目の記録

[編集] 背番号

[編集] 出演番組

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年11月28日 (土) 09:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【和田一浩】変更履歴

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