嘉手納幼女強姦殺人事件
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嘉手納幼女強姦殺人事件(かでなようじょごうかんさつじんじけん)とは、1955年9月3日にアメリカ占領下の沖縄の嘉手納村(現嘉手納町)で発生した強姦殺人事件。
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[編集] 事件の概要
1955年9月4日、アメリカ軍の軍人が嘉手納村の通信基地付近の原野で、乱暴されたと思われる幼女の遺体を発見した。幼女は石川市(現うるま市)の6歳の幼稚園児であることが判明。遺体は下腹部から肛門にかけて刃物で切り裂かれていた。
遺体に茶褐色の毛髪が付着していたことから外国人犯罪と断定、米軍の捜査機関と琉球警察は合同捜査を展開した。
目撃者の情報から、エイサー見物していた幼女を白人男性が連れ去ったことが分かり、慎重に捜査を進めた結果、アメリカ軍はH軍曹(当時31歳)を逮捕し、9月9日に公表した。
[編集] 反響
琉球立法院は「鬼畜にも劣る残虐な行為」と抗議決議をし、米軍は厳罰に処罰するべきとの声明を発表した。
しかし逮捕発表翌日の9月10日、具志川村の農家宅に米兵が押し入って小学2年生の少女を拉致、暴行する事件が発生した。これらの事件に衝撃を受けた住民たちによって全沖縄組織「子どもを守る会」が結成され、9月16日に石川市で開催された住民大会で裁判の公正を訴える声明を発表した。
[編集] 裁判
同年12月6日、米軍軍法会議はH軍曹に死刑判決を言い渡した。しかし、アメリカ本国での第二審では無期懲役に減刑。その後、懲役45年となった。
[編集] その他
当時は、米軍による土地の強制接収と基地建設が本格化した時期だったこともあり、この事件は沖縄住民の反米感情を高める大きな一因となった。特に沖縄における米兵犯罪の歴史を語る上で欠かせない事件として現在も県民に広く記憶されており、1995年の少女暴行事件や、2008年の米兵強姦容疑事件においても、先述の「子どもを守る会」は中心的存在として抗議運動を行っている。
[編集] 参考文献
- 沖縄県警察史編さん委員会編『沖縄県警察史 第3巻(昭和後編)』2002年
[編集] 関連項目
最終更新 2009年9月11日 (金) 05:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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