四位洋文
四位洋文の最新ニュースをまとめて検索!
| 四位洋文 | |
|---|---|
2009年10月18日 京都競馬場にて
|
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 鹿児島県姶良郡牧園町 |
| 生年月日 | 1972年11月30日(36歳) |
| 身長 | 160.0cm |
| 体重 | 50.0kg |
| 血液型 | B型 |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | 日本中央競馬会 |
| 所属厩舎 | フリー |
| 初免許年 | 1991年 |
| 免許区分 | 平地 |
四位洋文(しい ひろふみ、1972年11月30日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手。栗東所属でフリー。血液型はB型、鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身。叔父に、元騎手の四位満教(しい みちのり)がいる。
目次 |
[編集] 来歴
1991年に古川平厩舎からデビュー。同期には藤田伸二らがいる。初騎乗は1991年3月2日、中京競馬第2競走のキリシマミズキで、16頭立ての13着だった。初勝利は同年5月19日、京都競馬第8競走で、サンラブホーラーに騎乗してのものであった。同期の藤田が1年目から重賞を勝利するなどの華々しい活躍をしていたのとは対照的に、デビューから3年間はあまり目立った成績は挙がらなかった。
4年目の1994年にゴールデンジャックで桜花賞トライアルの4歳牝馬特別を制して重賞初勝利。本番の桜花賞では13着に敗れたものの、続く4歳牝馬特別に勝利し、優駿牝馬(オークス)では2着に入るなどの活躍を見せた。この頃から成績も伸びてきて、関西リーディングの上位に名を連ねるようになる。
1996年にはイシノサンデーで皐月賞を制し、GI初勝利。同年に古馬牝馬に開放されたエリザベス女王杯ではダンスパートナーに騎乗してこれを制した。
2001年には騎手を引退した的場均の後を受けアグネスデジタルに騎乗、マイルチャンピオンシップ南部杯、天皇賞(秋)、香港カップを制した。特に天皇賞(秋)はテイエムオペラオーを破る快挙だった。この年は、98勝を挙げ関西リーディングに輝いている。また、アグネスデジタルでは2002年にフェブラリーステークスを、2003年には安田記念を勝利した。
2006年2月18日の東京競馬第10競走の勝利で、JRA通算1000勝を達成した。
2007年5月27日、第74回東京優駿(日本ダービー)をウオッカで勝利し、日本ダービー初制覇。これは、クリフジ以来64年ぶりとなる牝馬による日本ダービー勝利という快挙であった。また、同年10月21日、第68回菊花賞をアサクサキングスで勝利し、三冠競走の全てに勝利した(史上17人目)。また同一年の日本ダービー・菊花賞を異なる馬で制覇したのも国営競馬・中央競馬を通じ、現行の3歳クラシック路線が整備されて以降、史上初となるものであった。
2008年5月11日の第13回NHKマイルカップおよび同年6月1日の第75回東京優駿をディープスカイで制覇した。特に東京優駿は前年のウオッカに続く2年連続制覇(史上2人目)であり、かつ牡馬と牝馬の双方での制覇は国営競馬・中央競馬を通じて史上初となるものであった。
[編集] 成績
[編集] GI及びJpnI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)
(斜字は交流GI、太字は海外GIを指す)
- 1996年
- 皐月賞 - イシノサンデー
- エリザベス女王杯 - ダンスパートナー
- 1998年
- 2001年
- マイルチャンピオンシップ南部杯 - アグネスデジタル
- 天皇賞(秋) - アグネスデジタル
- 香港カップ - アグネスデジタル
- 2002年
- フェブラリーステークス - アグネスデジタル
- 2003年
- 安田記念 - アグネスデジタル
- 阪神ジュベナイルフィリーズ - ヤマニンシュクル
- 2006年
- 阪神ジュベナイルフィリーズ - ウオッカ
- 2007年
- 2008年
- 2009年
以上JRA・GI13勝(うちJpnI4勝)(海外GI1勝、交流GI1勝)
[編集] 年度別成績
| 年 | 勝利数・連対率 | 備考 |
|---|---|---|
| 1991年 | 10勝 (.150) | |
| 1992年 | 24勝 (.192) | |
| 1993年 | 27勝 (.147) | |
| 1994年 | 56勝 (.195) | 重賞初制覇 |
| 1995年 | 64勝 (.247) | |
| 1996年 | 71勝 (.242) | GI初制覇 |
| 1997年 | 64勝 (.242) | |
| 1998年 | 85勝 (.288) | |
| 1999年 | 85勝 (.246) | |
| 2000年 | 101勝 (.249) | |
| 2001年 | 98勝 (.277) | 関西リーディング 海外GI初制覇(香港) |
| 2002年 | 85勝 (.231) | |
| 2003年 | 73勝 (.193) | |
| 2004年 | 74勝 (.239) | |
| 2005年 | 78勝 (.210) | |
| 2006年 | 64勝 (.213) | 1000勝達成 |
| 2007年 | 62勝 (.183) | |
| 2008年 | 50勝 (.182) |
以上JRA1171勝、重賞56勝(2008年終了時点)
[編集] 表彰歴
- JRA優秀騎手賞 - 2000年、2001年
- JRAフェアプレー賞(関西) - 1999年-2004年、2007年
[編集] エピソード
- 妻は、元エンドレスギャルズ(9期)の鈴木美帆子。
- 幼い頃からポニーの競馬に騎乗していた。
- 競馬学校入学以前、すでに乗馬では全国区の活躍をしていた。
- その苗字をもじった応援幕がパドックに掛けられる。
- 競馬雑誌『サラブレ』にて「ジョッキーズ・トーク」なる自らのコーナーをもち、対談とエッセイを執筆している。
- 若手に対して面倒見がよく慕われており、1000勝達成時のセレモニーでは松岡正海・藤岡佑介の両騎手が看板持ちを務めた。
- 横山典弘と仲が良くサラブレや週刊Gallopで対談を行っている。
- 2001年の香港カップをアグネスデジタルで制した時の馬上インタビューで「ラストコーナー、(中略)グッドフィーリング…」と発言。英語が話せないにもかかわらず頑張って単語を並べて話したが、翌日の競馬関係者の話では「騎手も英語の勉強をしないといけませんね」と苦笑された。
- 2006年の宝塚記念では枠番4・馬番4・4番人気のダイワメジャーに騎乗して4着になり、名前の一部分(四位)も含め全て4づくしという結果となった。
- 1999年の函館開催にて、四位の出馬投票を忘れた菊池憲太に対し、教育的指導と称して一方的な暴行を加えていたことが発覚。後日JRAから処分を受けている。
- 1月から2月の京都競馬と相性が良いのか、平安ステークスを1999年から、日経新春杯を2002年からそれぞれ3連覇している。この他にも京都記念を4勝、京都金杯を2勝などを挙げている。
- 2008年1月から週刊プレイボーイで連載(ウオッカはストレートで)を始めた。
- 2008年のNHKマイルカップ制覇後、検量室前で両手を上げガッツポーズした際、鞍上から振り落とされ右手関節を捻挫。最終第12競走が後藤浩輝に乗り替わりとなった。
- 2008年の東京優駿(日本ダービー)表彰式後の勝利騎手インタビュー中に、「しーい、しーい」とコールをしつこく連呼する観客に対し「うるせぇよおい!」と一喝。JRAは「マナーの悪い人を制裁する意味合いがあった」と説明している。
- 2008年8月30日札幌第1競走で斜行し、騎乗停止4日の処分を受けた。なお、この斜行によって落馬した小林徹弥は右鎖骨遠位端粉砕開放骨折と診断された。
- 2009年5月24日レッドディザイアで挑んだ第70回優駿牝馬(オークス)で1万回騎乗を達成。「僕を育ててくれた両親に感謝の気持ちを伝えたいですね」とのコメントを残す。
- 大の競艇好きであり、競艇選手の田中信一郎と親交が深い。
[編集] テレビ出演
- さんまのナンでもダービー(テレビ朝日)
- ジャンクSPORTS(フジテレビ)
- 武豊TV!(フジテレビ739)
[編集] 連載
- 週刊プレイボーイ「ウオッカはストレートで」→「めざせ!ダービーV3」
|
|
|
最終更新 2009年11月26日 (木) 09:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【四位洋文】変更履歴


