因幡国
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因幡国(いなばのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陰道に位置する。現在の鳥取県東部にあたる。因州と呼ぶこともある。延喜式での格は上国、中国。
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[編集] 沿革
古くは稲葉と書き、稲葉国造の領域であった。7世紀に因幡国が成立した。
室町時代は因幡山名氏の一族が因幡国の守護を務めたが、周辺の但馬や伯耆の山名家と比べて、守護家の支配基盤は脆弱であった。そのため、但馬惣領家が家督争いに介入するなど政情が不安定な部分もあった。また、八上・八東といった因幡南部には独立性の高い奉公衆系の国人が多数存在しており、これらの国人の一部は文明年間~長享年間にかけて2回に渡る反乱を起こしている。(毛利次郎の乱)
戦国時代も因幡山名氏の支配が続くが、因幡山名氏の勢力が内紛などで衰えたため、因幡は織田・毛利の争乱の地となる。また、毛利氏と手を結んだ武田高信が勢力を拡大したが、一国を支配する大名までには成長しきれなかった。羽柴秀吉により鳥取城が陥落してからは因幡一国は織田氏の支配下に置かれた。
江戸時代初期は複数の大名に分割されたが、その後は明治維新まで池田氏が鳥取藩32万石の大名として因幡を支配した。
[編集] 国府・一宮など
国府は法美郡(法味郡)にあった。現在の鳥取市国府町中郷にあった。遺跡が発掘され、現在は史跡公園に整備されている。
延喜式神名帳には、大社1座1社・小社49座41社の計50座42社が記載されている。唯一の大社は法美郡の宇倍神社(鳥取市、旧 岩美郡国府町)で、名神大社に列し、一宮となっている。二宮以下は不詳である。総社は、『時範記』によれば国府の近くにあったようだが、現存しないものとみられている。宇倍神社境内社に「国府神社」があるが、これは大正時代の改称である。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
- 1329年~? - 海老名維則
[編集] 室町幕府
- 1336年~1346年 - 吉良貞家
- 1350年~? - 今川頼貞
- 1363年~1364年 - 山名時氏
- 1365年~1370年 - 山名氏冬
- 1370年~? - 山名氏重
- 1392年~1400年 - 山名氏家
- 1412年~1453年 - 山名熈高
- 1453年~1459年 - 山名熈幸
- 1461年?~1466年 - 山名豊氏
- 1479年~1488年 - 山名豊時
- 1488年~1489年 - 山名政実
- 1491年~1494年 - 山名豊時
- 1504年~1506年 - 山名豊重
- 1513年~? - 山名豊頼
- 1521年~? - 山名豊治
- 1527年~1546年 - 山名誠通
- 1546年~1560年 - 山名豊定
- 1560年~1561年 - 山名棟豊
- 1561年~? - 山名豊数
- 1563年~? - 山名豊弘
- ?~? - 山名豊国(豊数の死後就任)
- 1550年~1561年 - 尼子晴久
[編集] 因幡守
- 新発田重家
- 織田因幡守
- 織田達広

