国地頭
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国地頭(くにじとう)は、鎌倉時代初期の文治元年(1185年)に出された文治の勅許によって設置された地頭の一形態。令制国単位で設置されて国内の公領・荘園より兵糧米を徴収し、検注権なども保持していたと指摘されている。 古くは地頭は荘園単位にのみ設置されていたとするのが通説であったが、1960年に石母田正が「国地頭」概念を提唱して以来、注目されるようになった。
国地頭は文治の勅許以前よりその原型は存在している。木曾義仲滅亡後に「鎌倉殿勧農使」として派遣された比企朝宗や源義経の伊予守任官後に源頼朝が実際の伊予国内の政務にあたらせた「地頭」の存在が知られている。
文保の勅許では、その動きを全国に拡大させ、全国の武士団や在庁官人を支配下に置こうとしたと考えられている。主に北条時政が7ヶ国の地頭になったのをはじめ、梶原景時が播磨・美作、土肥実平が三備諸国、天野遠景が九州諸国の国地頭であったと言われている。だが、兵糧米の獲得や国務への関与を巡って鎌倉政権側と朝廷が対立し、翌年3月には北条時政が国地頭を後白河法皇に返上し、源頼朝も同年6月までに国地頭を廃止して検注権のない惣追捕使が代わりに設置された。
設置期間が短期間に止まり記録が乏しいことから、具体的な内容などについては不明な点も多いとされている。
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