国民銀行
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| 国民銀行のデータ | |
|---|---|
| 統一金融機関コード | 0528 |
| 代表者氏名 | 不明 (頭取:) |
| 店舗数 | 国内38店 1998年9月末日現在) |
| 従業員数 | 33,641人 (1998年9月末日現在、単体) |
| 資本金 | 124億円 (1998年9月末日現在、単体) |
| 総資産 | 6,197億円 |
| 貸出金残高 | 4,696億円 |
| 預金残高 | 5,247億円 |
| 設立日 | 1953年6月 (国民相互銀行) |
| 所在地 | |
国民銀行(こくみんぎんこう)は、かつて日本に存在した第二地方銀行。本店は東京千代田区に置いていた。通称「こくぎん」。
目次 |
[編集] 概要
1953年6月、中小企業金融の拡充のため国民相互銀行を設立。設立当初から相互銀行であった。1954年5月21日に東急グループに入り、1974年には国際興業グループになった。
1989年第二地銀に転換して国民銀行に改称した。東急との関係から城南地区、国際興業との関係から城北地区や甲府市[1]・埼玉県鳩ヶ谷市に店舗を展開させた。東京証券取引所に上場する予定だった。
ただし、母体会社はそれぞれ大手銀行をメインバンクとしていた為(東急=三菱銀行など、国際興業=三和銀行)、国民銀行はバブル期に入ると後述の「カミパレス」絡みの融資に傾斜して行くこととなる。
[編集] 経営破綻
1998年時点で経営陣の500億円に上る不正融資と不良債権の飛ばしによって712億円の債務超過となっていたが、、同年4月9日からの取り付け騒ぎによる預金流出により、4月11日に金融再生委員会(金融庁へ統合)で「金融再生法に基づく管理を命ずる処分」となり、経営破綻した。金融整理管財人に預金保険機構が選定された初のケースとなった。
2000年8月に八千代銀行へ営業譲渡されたが、同行の営業網と重複する店舗(常盤台など)は非譲渡となった。旧本店営業部は神田支店として営業を続けている。これによって八千代銀行は預金保険機構より1835億円の贈与と共に、350億円の公的資金注入(同行初)となった。
[編集] カミパレス案件
破綻の要因として、カラオケボックス運営会社「カミパレス(ドレミファクラブ)」に対して90億円を上回る不正融資が挙げられている。同社は1980年代に石川さゆりの個人事務所が立ち上げた事業であったが、後に実業家の種子田益夫が関与することになる。もともと収益の見通しがつかない状況下で、1997年から充分な担保を設定せず、銀行頭取の承認と石川の連帯保証を得て迂回融資を行い、銀行へ損失を与えたのである。
カミパレスは同年10月に破産宣告。同年11月頃より石川の第50回NHK紅白歌合戦出場についてワイドショーなどで挙って取り上げられたが、出場となり「天城越え」を歌唱した。
この案件で、銀行旧経営陣と種子田益夫・石川さゆり(連帯保証による)らは、不良債権を承継した整理回収機構より損害賠償訴訟を提起され、2002年に東京地裁で経営陣に対しては総額20億円、2003年に種子田に約52億円、石川に2億2千万円の支払を命じられた。石川については整理回収機構が不当として控訴を行うと共に、1992年に新築した豪邸を一時期差し押さえられたが、約10億円の賠償で決着された。
破綻時の頭取は特別背任罪に問われ、2002年の1審の東京地裁で懲役2年6ヶ月の実刑判決となったが、2004年の2審の東京高裁で、懲役3年・執行猶予5年の有罪判決(実質的に減刑)が確定した。
[編集] 補足
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最終更新 2009年11月15日 (日) 06:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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