国立医薬品食品衛生研究所
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国立医薬品食品衛生研究所(こくりついやくひんしょくひんえいせいけんきゅうじょ、National Institute of Health Sciences: NIHS)は日本の厚生労働省の施設等機関の一つ。
〒158-8501 東京都世田谷区上用賀1-18-1
03-3700-1141(代表)
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[編集] 概要
国立医薬品食品衛生研究所は、医薬品、医療機器、食品、化学物質についての品質、安全性、有効性についての調査・研究を実施する機関である。
調査・研究によって得られた結果は、安全性に関する国内外の情報とともにデーターベース化されており、厚生労働省の薬事行政や他の研究機関での研究などに活用されている。
このように、国立医薬品食品衛生研究所の業務は、すべて国民生活に密接に関係しており、その成果は国民生活に還元される。換言すれば、科学技術の進歩によって生み出されたものを、真に国民の利益にかなうよう調整する役割、つまり、科学技術と人間との調和を保つための役割を担っている。 このような研究分野は、レギュラトリーサイエンスとよばれ、国立医薬品食品衛生研究所はこのレギュラトリーサイエンスの活発な展開を目指して日々の業務を遂行している。
なお、1874年に設立された東京司薬場を源流としているため、日本国内で「最も古い国立試験研究機関」[1]とされている。
所内には日本薬局方を創設したアントン・ヨハネス・ゲールツの記念碑がある。
[編集] 沿革
[編集] 前身組織
日本薬局方の父でもあるオランダ人アントン・ヨハネス・ゲールツから初代衛生局長長與專齋への粗悪な輸入薬品の検査・取締りを行う司薬場(薬品試験所)の開設の提言をうけ、1874年に医薬品試験機関として、官営の東京司薬場(日本橋馬喰町、後に神田和泉町へ移転)が発足。1885年の半官半民の大日本製薬合資会社(後の、大日本製薬、現在の大日本住友製薬)設立には所長を務めた長井長義が初代社長として関与し、1891年まで所員を派遣するなど、日本における製薬産業の確立に関係が深い。1887年に東京衛生試験所と改称。1914年、第一次世界大戦の影響により、医薬品の輸入が途絶えたため、重要医薬品の製造を開始し、多くの医薬品の国産化に成功した。その結果、それまで輸入に依存していた日本の製薬産業の近代化の基盤が確立された。
1922年に、春日部に薬用植物栽培試験場が設けられ、試植研究等が開始された。1938年に厚生省の発足に伴い、厚生省の所管となった。1946年に、戦災により被災した神田和泉町から旧陸軍衛生材料廠跡地の現在地に移転し、1949年に、国立衛生試験所と改称され、大阪衛生試験所は大阪支所となった。
1978年には毒性部、薬理部、病理部、変異遺伝部からなる安全性生物試験研究センターが設置され、近代的な動物実験施設と共に、日本における安全性試験研究の中心的役割を果たす責務が課せられることとなった。1980年に、春日部の薬用植物栽培試験場が筑波に移設され、筑波薬用植物栽培試験場となり、内容の強化とともに、北海道、伊豆、和歌山及び種子島の各試験場との研究連絡をはかる体制が確立した。
[編集] 設立
1997年、厚生省の機関だった国立衛生試験所が改組され、国立医薬品食品衛生研究所が設立された。
国立衛生試験所と同様、医薬品・食品の安全性の試験研究業務を担うとともに、新たに医薬品の承認・審査業務が附加された。それにともなって医薬品医療機器審査センター(港区虎ノ門)が新設された。
2001年に行われた中央省庁再編にともない、厚生省は労働省と統合され厚生労働省となり、国立医薬品食品衛生研究所は同省の施設等機関として位置づけられた。
[編集] 組織再編
2002年には厚生労働省の施設等機関の再編の一環として、国立感染症研究所、国立公衆衛生院(現在の国立保健医療科学院)からの一部組織移管などにより組織形態の見直しを行い、遺伝子細胞医薬部、食品衛生管理部、医薬安全科学部が新設、化学物質情報部が安全情報部に改組され、伊豆薬用植物栽培試験場が廃止された。
2005年には機能の一部が独立行政法人に移管されることとなった。医薬品等の承認審査業務を行っていた医薬品医療機器審査センターは独立行政法人医薬品医療機器総合機構に、細胞バンク部門、大阪支所(支所長のもとに、庶務課・薬品試験部・食品試験部・生物試験部の一課三部が置かれていた[2])、全国4ヶ所の薬用植物栽培試験場[3]は独立行政法人医薬基盤研究所に、それぞれ移管された。
現在、1983年の首都機能移転に関する閣議決定に基づき、東京都世田谷区上用賀から東京都府中市の米軍基地跡地への移転が計画されている。
[編集] 不祥事
1983年9月、薬品部長(当時)である江島昭が贈収賄容疑により逮捕された。
2008年12月、薬理部長(当時)である中澤憲一が地下鉄内での盗撮により、東京都迷惑防止条例違反で現行犯逮捕された。[4]。
2009年7月、毒性部長である菅野純が厚生労働省の科学研究費補助金事業として総額約3千万円の公費助成を受けてまとめた内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)ビスフェノールAの健康影響についての報告書に、少なくとも46カ所もの数値集計ミスがあったことが報道された[5]。
[編集] 業務
[編集] ICSCの翻訳
国際化学物質安全性計画が1988年から作成を開始した「国際化学物質安全性カード」(ICSC)について、国立医薬品食品衛生研究所が日本語版を作成している。
[編集] 共同研究
多数の分析用試料を同一条件で均質に同時粉砕できる多試料粉砕機の開発を昭和薬科大学、独立行政法人食品総合研究所、安井器械との共同研究で実施している[6][7]。
[編集] アガリクスの発癌性
国立医薬品食品衛生研究所がアガリクスについて調査したところ、キリンウェルフーズが販売する「キリン細胞壁破砕アガリクス顆粒」に発癌促進作用があることが判明した。2005年2月13日、厚生労働省はキリンウェルフーズに販売停止と回収を要請し、内閣府食品安全委員会に販売の可否を諮問した[8]。キリンウェルフーズも厚生労働省の要請を受け入れ、当該商品の販売を停止し消費者から商品の回収を行った。なお、国立医薬品食品衛生研究所は当該商品以外のアガリクス製品に対しても同時に調査しているが、それらには癌プロモーター作用は見られなかった。
[編集] 組織
- 総務部
- 薬品部
- 生物薬品部
- 生薬部
- 遺伝子細胞医薬部
- 療品部
- 環境衛生化学部
- 食品部
- 食品添加物部
- 食品衛生管理部
- 衛生微生物部
- 有機化学部
- 機能生化学部
- 代謝生化学部
- 安全情報部
- 医薬安全科学部
(安全性生物試験研究センター)
- 毒性部
- 薬理部
- 病理部
- 変異遺伝部
[編集] 歴代所長
(心得、事務取扱を含む)
- 永松東海 1875年3月~1876年1月
- 柴田承桂 1876年2月~1876年5月
- 島田泰夫 1876年5月~1881年4月
- 辻岡精輔 1881年4月~1884年5月
- 後藤新平 1884年5月~1885年7月
- 長井長義 1885年7月~1886年10月
- 田原良純 1886年11月~1891年4月, 1895年7月~1922年3月
- 中濱東一郎 1891年4月~1894年11月
- 西崎弘太郎 1922年3月~1932年3月
- 衣笠豊 1932年3月~1941年7月
- 松尾仁 1941年7月~1948年9月
- 近藤龍 1948年9月~1953年3月
- 田中穣 1953年3月~1953年5月
- 刈米達夫 1953年5月~1965年12月
- 石館守三 1965年12月~1970年11月
- 川城巌 1970年11月~1976年11月
- 下村盂 1976年11月~1984年4月
- 鈴木郁生 1984年4月~1987年3月
- 谷村顕雄 1987年4月~1991年2月
- 内山充 1991年2月~1995年3月
- 寺尾允男 1995年4月~2000年3月
- 首藤紘一 2000年4月~2002年3月
- 長尾拓 2002年4月~2006年6月
- 外口崇 2006年7月~2006年8月
- 西島正弘 2006年9月~現在
[編集] 関係者
[編集] 脚注
- ^ 「沿革」『国立医薬品食品衛生研究所』国立医薬品食品衛生研究所。
- ^ 旧国立医薬品食品衛生研究所大阪支所を紹介する非公式ページ
- ^ 薬用植物資源研究センターについて
- ^ 厚労省の研究所幹部逮捕 スカート内を盗撮容疑(共同通信)
- ^ 国立研部長がずさん報告書 厚労省から3千万円補助金(北海道新聞)
- ^ 多数の分析用試料を同一条件で均質に同時粉砕:多試料粉砕機の開発(安井器械)
- ^ Quantitative Detection System for Maize Sample Containing Combined-Trait Genetically Modified Maize (Analytical Chemistry)
- ^ 『アガリクスを含む製品について』。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 国立医薬品食品衛生研究所 - 公式ウェブサイト。
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最終更新 2009年8月16日 (日) 12:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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