国道15号

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一般国道

国道15号標識

国道15号
総距離 29.2 km
制定年 1952年
起点 東京都中央区
主な
経由都市
川崎市
終点 神奈川県横浜市神奈川区
接続する
主な道路
記法
国道4号
国道20号
国道130号
国道131号
国道409号
国道132号
Template(ノート 使い方) ウィキプロジェクト 道路
国道15号中央通り 銀座4丁目交差点
旧京濱電気鉄道品川駅前
正面が旧京濱國道(旧東海道)で右方が改築後の京濱國道(現第一京浜国道)
京急本線鈴ヶ森高架橋
京濱國道改築と同時に建設

国道15号(こくどう15ごう)は、東京都中央区から神奈川県横浜市神奈川区へ至る一般国道である。旧東海道の東京-横浜間とほぼ同じ位置にある国道であり、明治時代の国道1号の一部に相当する。

目次

[編集] 概要

  • 総距離:29.2km
  • 起点:東京都中央区日本橋
  • 終点:神奈川県横浜市神奈川区(青木通り交差点)
  • 主な経由地:神奈川県川崎市
  • 指定区間:全線

[編集] 歴史

京浜国道

1885年(明治18年)の国道指定により、明治の『1號國道』が指定される。

明治時代の国道1号は、日本橋から神奈川までが現在でも残っている旧東海道と同じである。神奈川から高島までは、国道1号に近い経路を通り[1]、高島から国道16号を通り、初代横浜駅前から国道133号を経て横浜港[2]までの道路と同じである。通称『京濱國道』と呼ばれる。

京浜国道改築

大正時代になり、京濱國道の交通量の増大や交通事故の増加の問題に対処するため、八ツ山橋から青木橋(神奈川駅前)までのバイパス建設(一部現道改築)を着工する。

1918年(大正7年)7月に、八ツ山橋から生麦までの区間の工事が開始され、1925年(大正14年)8月3日に六郷橋と六郷橋から生麦までの区間が竣工、1927年(昭和2年)11月28日に八ツ山橋から六郷橋までの区間が竣工する。なお、その改築工事中、1919年(大正8年)と1921年(大正10年)に幅員を広くする工事変更を行っている。

生麦から青木橋までの区間は、1924年(大正13年)に改築が開始され、1930年(昭和5年)に竣工し、全線の改築が完成する。

この京濱國道の改築と同時に、京濱電気鉄道本線との鈴ヶ森での交差、京濱電気鉄道大師線との六郷橋南詰での交差は立体交差とする工事も行われたが、京濱電気鉄道本線との八ツ山橋での併用軌道、および、京濱電気鉄道穴守線海岸電気軌道との交差は、平面交差のままとなる。

しかし、その後のさらなる交通増加により、昭和初期にはこの改築でも対処ができなくなり、新しいバイパスとして『新京濱國道』を建設することになる。新京濱國道については、第二京浜国道を参照のこと。

年表
旧京濱國道
上は鶴見線国道駅跨道橋
1876年(明治9年)
『太政官達第60号』(道路ノ等級ヲ廢シ國道縣道里道ヲ定ム)にて國道、縣道、里道が指定される。この時は、道路を國道・縣道・里道のそれぞれ1等-3等に分類する等級制で現在の番号による分け方では無かった。
その後、国道の等級は、1885年1月6日の『太政官布達第1号』(國道ノ等級ヲ廢シ其幅員ヲ定ム)により廃止。
1885年(明治18年)
『内務省告示第6号』(國道表)にて、國道路線が番号を付与、指定され、「1號」(東京ヨリ横濱ニ達スル路線)、「2號」(同(東京ヨリ)大坂港ニ達スル路線)他、44路線が指定される。
1918年大正7年)7月
京濱國道の改築が開始。
1920年(大正9年)
同年施行の『道路法』に基づく『路線認定』が施行される。
国道番号の順は、1番目が東京から神宮に達する路線、2番目以降が東京から各府県庁所在地に達する路線の順とされ、「1號」(東京市ヨリ神宮ニ達スル路線)のが、現在の国道15号と同じである。
1925年(大正14年)8月3日
六郷橋から生麦までの区間の改築完成。
1927年昭和2年)11月28日
八ツ山橋から六郷橋までの区間の改築完成。
1930年(昭和5年)10月
京濱國道改築完成。
1934年(昭和9年)5月1日
「國道1號」との重複区間であった「國道36號」(東京市ヨリ横濱港ニ達スル路線)の日本橋-神奈川を経過地変更し、この年に着工した「新京濱國道」(第二京浜国道)に変更。
1934年(昭和9年)7月
蒲田区梅屋敷前・六郷郵便局前に日本初押しボタン式信号機を設置。
1952年(昭和27年)12月4日
新道路法に基づく『路線指定』で、東京都中央区(日本橋)-神奈川県横浜市(神奈川)間の一級国道15号として指定される。
1965年(昭和40年)4月1日
道路法改正によって一級・二級の別がなくなり、「一般国道15号」となる。

[編集] 通称名

  • 中央通り(日本橋 - 新橋交差点)
  • 第一京浜(新橋交差点 - 栄町交差点)
  • 青木通り(栄町交差点 - 青木通交差点)

[編集] 主な構造物

日本橋
八ツ山橋
左の石柱は2代目の親柱、鉄柱は3代目の親柱

[編集] 日本橋

中央区日本橋川に架かる、国道15号の起点ともなっている橋である。

日本橋 (東京都中央区)」も参照

[編集] 八ツ山橋・新八ツ山橋

品川区東海道本線等の鉄道線を越える、国道15号の橋である。旧東海道品川宿北端に位置する。なお、東海道新幹線上に八ツ山橋・新八ツ山橋は架かっていない。これは、東海道新幹線がトンネルで旧道直下を通す構造のためである。

八ツ山橋

初代の八ツ山橋は、1872年(明治5年)に架けられた日本初跨線橋である。なお、この橋は、木造橋であった。

1914年(大正3年)にアーチ形鉄橋に架け替えられ、1924年(大正13年)3月29日東京電車鉄道省線品川駅前から京濱電気鉄道旧品川駅前まで延伸により八ツ山橋上に軌道を敷き、1925年(大正14年)3月11日京濱電気鉄道本線高輪駅までの延伸に伴い、この軌道線の一部に乗り入れ[3]をした。

1930年(昭和5年)に既設アーチ橋(2代目)の西側に併設する形でアーチ橋(3代目)を架設し、「2つの橋」となる。その後、京濱電気鉄道本線が現在の品川駅に延伸・軌道線廃止により、1933年(昭和8年)4月1日供用の「八ツ山跨線橋」(専用軌道)へ移り、東京電車鉄道の品川駅前から北品川駅前までの廃止により、八ツ山橋は道路専用橋となる。

1985年(昭和60年)3月に4代目の橋に架け替え、現在に至る。

新八ツ山橋

新八ツ山橋は、1963年(昭和38年)5月11日に供用開始。道路拡幅により、当時の八ツ山橋の代わりとして架設される。

[編集] 六郷橋

大田区川崎市川崎区の間を流れる多摩川を越える、国道15号第一京浜の橋である。

六郷橋」も参照

[編集] 史跡

生麦事件の碑

江戸時代末期に現在の横浜市鶴見区生麦付近でおきた、当時の薩摩藩島津久光の行列に割り込んだイギリス人を殺傷した事件を記した碑がある。

生麦事件」も参照

[編集] 通過市町村

[編集] 重複区間

[編集] 接続路線

[編集] 一般国道・高速道路

[編集] 都・県道

ウィキメディア・コモンズ

[編集] ギャラリー

Wikimedia Commons(ウィキメディア・コモンズ)に国道15号の画像があります。

[編集] 脚注

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  1. ^ 当時の神奈川-高島間は、現在残っていない。
  2. ^ 道路関係法令での横浜港とは、現在の大さん橋の入口である、開港広場前交差点を指す。
  3. ^ 京濱電気鉄道本線の北品川駅-高輪駅間の一部は、国道15号と併用された東京電車鉄道の軌道線を使用していた。なお、八ツ山橋は厳密には鉄道道路併用橋で無い。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年10月18日 (日) 10:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【国道15号】変更履歴

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