国鉄キハ20系気動車

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静態保存されているキハ20 467(碓氷峠鉄道文化むら、2007年4月9日)
キハ20 32

国鉄キハ20系気動車(こくてつキハ20けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1957年に開発した一般形気動車である。

1965年までに系列合計で1,100両以上が製造され、日本各地で広く使用された。

なお、「キハ20系」の呼称は国鉄の正式系列呼称ではなく、同一の設計思想によって製造されたキハ20形・キハ21形・キハ22形・キハ25形・キハユニ25形・キハユニ26形・キハ52形の各形式、およびこれらの改造による派生形式群を趣味的・便宜的に総称したものである。

目次

[編集] 開発の経緯

本系列が開発された1950年代中期の時点では、国鉄では普通列車用気動車としてキハ10系(当時はキハ45000形など)が製造されていたが、これらは当時の一般的な20m級客車と比較して小車体断面で居住性がよくなく、また乗り心地の点でも問題があった[1]

これは、当時国鉄で気動車用として利用可能であった最大のディーゼル機関であるDMH17の出力では通常車体断面の20m級車体とした場合、重量過大に伴う出力不足で十分な走行性能が得られなかったがゆえの苦肉の策であり、そればかりか当時の車体設計手法では小車体断面化だけでは出力不足を補いきれず、客室内の各座席の座り心地を犠牲にした軽量化、あるいは乗り心地が悪いことを承知の上での軽量設計台車の採用など、ありとあらゆる手段を講じてようやく実用性能が得られている状況であった。 しかし、1955年ナハ10形軽量客車の完成で一変する。スイス流の準モノコック構造車体とプレス鋼板による溶接組立台車の導入により、十分な強度を維持したままで従来比3/4と大幅な軽量化が可能となり、これにより、非力な既存エンジンのままでも大型車体を備える気動車の製造が可能となったのである。

こうして、10系客車の設計ノウハウを有効活用する形で、翌1956年に大断面車体を備える20m級気動車の第1陣として準急形気動車であるキハ55形(当時はキハ44800形)が製造され、ここに初めて電車・客車と同等の車体を備える気動車が実現した。

その後、キハ55形の成功を受ける形で普通列車用気動車についても大型車体へ移行することが決定され、同形式に準じた設計で新開発されたのが本系列である。

[編集] 形式一覧

キハ20系形式一覧
形式 車体
形状
バス窓 二段窓(除キハ22) 備考
白熱灯車 蛍光灯車
キハ20形 両運転台 1 - 103
(1957年)
201 - 484
(1958年)
501 - 522
(1964年)
本州以南用
キハ25形 片運転台 1 - 75
(1957年)
201 - 253
(1958年)
301 - 314
(1963年)
本州以南用
キハ21形 両運転台 1 - 84
(1957年)
- - 北海道用
キハ22形 両運転台
デッキ付き
本形式はすべて
一段上昇・小型・二重窓
1 - 170
(1958年)
201 - 343
(1963年)
北海道用
キハユニ25形 片運転台 1 - 6
(1958年)
- 7
(1962年)
7のみキハ22形と同様デッキ付き
一段上昇・小型・二重窓
北海道用
郵便荷物二等合造車
キハユニ26形 片運転台 - 1 - 41
(1958年)
42 - 59
(1963年)
本州以南用
郵便荷物二等合造車
キハ52形 両運転台 - 1 - 56
(1958年)
101 - 156
(1962年)
横型エンジン
本州以南用
2個エンジン車
キユニ21形 両運転台 1・2
(1969年)
- - 北海道用
キハ21形からの改造


(表内の年度は各番台の製造初年度)

[編集] 構造

TR49形台車 写真はキハ11形に装着のもの。(佐久間レールパーク、2006年9月)

[編集] 初期形(バス窓車)

当初は、キハ10系と同様に機関としてDMH17B形ディーゼルエンジンを搭載し、防振ゴムブロックを枕バネに使用するDT19C(駆動台車)・TR49A(付随台車)ウィングバネ式台車を装着した[2]

車体は先行するキハ55形の設計が踏襲され、柱や梁だけではなく側板なども強度を分担する準張殻構造となり、キハ10系より大型化されて客車並みの大断面となった。また客ドア位置が車体中央寄りに配置され、ラッシュ時の客扱いに配慮している。座席も車体幅拡幅を受けて準急形に準じたゆとりのあるものとなった。客室内を通る排気管のキセはキハ55 1 - 46などと同様に大型のタイプである。暖房装置は燃焼式の温風暖房である。

客室窓は10系のそれを踏襲して、上段がH断面ゴムによる構体直接固定、下段が上昇式の俗にいう「バス窓」である。しかし、キハ10系とは異なり窓下のウィンドウシル(補強帯)は廃され、平滑な外観となった。

初期車竣工当初の車体塗色は、当時の気動車標準色である濃い青(青3号)+窓周りが黄褐色(黄かっ色2号)のツートーンであった。また当系列においては前面幕板部の塗色が前照灯部分に回り込むように塗装されていることが他系列には見られない特徴となっている。

[編集] 改良形

1958年からは機関を180psのDMH17Cに変更して走行性能を改善し、台車は従来のDT19で使用されていた硬い防振ゴムブロックに代えて複列コイルばねを枕ばねに使用して揺動特性を改善したDT22A(駆動台車)・TR51A(付随台車)に変更することで大幅な乗り心地の向上が実現した。

また窓枠が2段上昇式に変更され、より近代的な外観となり客室内では排気管キセが小型化されて見通しがよくなった。

この際、派生形式として寒冷地向け仕様のキハ22形・郵便荷物合造車のキハユニ26形・そしてエンジンを2基裝架する勾配線区向け強力型のキハ52形が新たに設計された。

なお、このグループの初期車は室内灯として白熱灯を装備して製造されたが、バス窓の初期形を含むその多くが後年に環形蛍光灯仕様に改造されている。


[編集] 塗色の変遷

1959年9月から一般形気動車は、外板色をそれまでの青系から、朱色4号の地色に、窓周りをクリーム4号とした新塗色へ移行した。

新塗色で落成した号車
キハ20 268 ~
キハ22 35 ~
キハ25 233 ~
キハ52 15 ~
キハユニ25 7
キハユニ26 9 ~

この他、一部の車両では準急列車への増結を目的として準急色に塗り替えられた車両もあった。

1970年代後半からは朱色(朱色5号)一色のいわゆる首都圏色への塗り替えが行なわれている。

[編集] 形式別詳説

両数・番台区分は上記「形式一覧」を参照。

[編集] キハ20形

キハ20形の基本形式。暖地(本州以南)用の両運転台、1エンジン型。1957年から1965年に製造された。0番台は初期形のバス窓車、200番台は改良形構造。最終期に製造された500番台では室内灯が蛍光灯になり、暖房装置も温水式となり、台車もDT22C・TR51Nに変更されている。

ローカル線向けの簡易郵便荷物車として0番台を改造した600番台が2両、200番台を改造した650番台が1両存在した。これらは客室の一部分が郵便荷物室兼用となっており、その部分はロングシートとなっていて、仕切り用のアコーディオンカーテンが取り付けられていた。

[編集] キハ21形

キハ20形に寒冷地仕様を盛り込み、北海道用として1957年に製造された形式である。外観上は客用扉下部の明かり窓がないこと以外、キハ20形0番台と似通っている。寒冷地向けの装備として、客室窓を二重窓としたほか、運転台にはデフロスタを取り付け、床下機器にも耐寒装備が施されている。しかしドア位置はキハ20形と同じでデッキがなく、冬季の客室内温度の維持に問題があることが指摘された。そのため、1957年に84両が製造されたのみで、翌1958年からは耐寒・耐雪性能の強化が盛り込まれたキハ22形が製造されることとなった。

製造当初は道内各地に配置されたが、キハ22形の増備が進むにつれて、温暖な道南地方で使われるようになった。1984年1月末には全廃されている。

改造としては、暖房能力の不足を解消するためキハ22形と同様の温水暖房への改造、さらに1975年頃にはドア付近にガラスの簡易仕切り(片開き扉+パーティション、1車両あたり4か所)が設けられた車両も出現した。また、ロングシートへ改造され100番台となったものが3両、キユニ21形へ改造されたものが2両ある。このうちキユニ21形への改造は、キハ20系のなかで唯一、形式変更が伴った例である。

[編集] キハ22形

キハ21形は北海道の酷寒地での防寒性能が不満足であったことから、北海道用向けの耐寒仕様車として完全に新設計されたものである。1958年から製造開始された。

車体両端にドアを配置してデッキ付きとし、側窓は小型の一段上昇式二重窓として保温性を高めている。暖房装置はエンジン冷却水利用の温水暖房として強化し、かつ放熱フィンを大型化して効率を良くした。床は雪が融けて濡れた時の滑りにくさや雪靴・雪下駄の金具への対策から木張りとされ、保温性向上のため本州以南向けの標準車に比べて50mm厚くされた。そのため、客室窓・乗務員用扉・運転台窓・貫通路扉(幌枠高さは標準車と同じ)・尾灯の位置もキハユニ25 7を除く20系他車よりも高い。

室内色も暖色系の薄茶色4号とされ、車端部がロングシートであること、窓側に肘掛けがないこと、洗面所がないことを除けば、準急形キハ55系に遜色ない水準であった。

床下機器のカバーリングや冷却水による保温をはじめ、補器類に至るまで徹底した耐寒・耐雪措備が施され、北海道の酷寒地での実用上も十分な耐寒能力が確保された。本形式のスペックは、以後の北海道用車両における耐寒設計の基本となった。

他のキハ20系中期車と同様、座席や室内灯(白熱灯→蛍光灯20W直管→蛍光灯40W直管)などが製造途中で改良された。屋根上の通風器は初期の車両では6個であったが、後の車両では7個、9個と変更され、客車用のガーランド形通風器を装備した車両も存在する。最終の設計変更では外ハメ式の尾灯やハニカムコア構造の客用ドアも採用されたが、すでにキハ52形100番台で採用されていた横型機関は本形式では採用されなかった。

しかし現場での信頼は厚く、北海道向け次世代車のキハ24・46の仕様が具体化していた1960年代中期でも新型の採用には消極的で、本形式の駆け込み増備が図られたという。

1960年代から1970年代に北海道のローカル列車の多くは本形式が投入されていた。また、循環急行「いぶり」、函館本線の「らいでん」「せたな」や羽幌線の「はぼろ」など道内のローカル急行にも数多く使用され、これらは「遜色急行[3]」としても特に注目された。

1980年(昭和55年)に、200番台のうちの5両が苗穂工場釧路車両管理所で簡易郵便荷物車に改造され、600番台となった。車内の排気管立ち上がり部付近に完全なる仕切りが設けられ、郵便荷物室として使用される前位側(便所と反対側)の室内はロングシートとなった。室内には郵便区分棚が設置され、窓には保護棒が追加された。改番はされていないが、1も600番台とほぼ同じ仕様に改造されている。

本形式は北海道内での使用を前提に設計された車両であるが、キハ21形共々一部は東北北部でも使用されていた。地方私鉄や第3セクター鉄道へ譲渡又は貸し出された車両も存在する(詳細は後述の「私鉄の譲渡車・同形車」節を参照


[編集] キハ25形

キハ20形を片運転台にした形式である。キハ20形0番台に相当する0番台、同200番台に相当する200番台、同500番台に相当する300番台がある。

[編集] キハユニ25形

郵便車 キハユニ25 1(小樽交通記念館、2009年9月19日)

北海道向けの郵便荷物合造車で、7両が製造された。

1 - 6はキハ21形の仕様に基づいて製造され、室内配置は前位から運転室・荷物室・郵便室・客室となっている。客室窓は上段固定の「バス窓」で、客用扉はキハ25形の後位扉と同位置にある。トイレはない。

7はグロープラグの不具合によって焼失し廃車となった6の代替として製造された車両で、車体はキハ22形に準じた設計に変更された。客室窓は1段上昇の二重窓で、デッキを設けたため客用扉は車端部に移されている。

[編集] キハユニ26形

暖地向けの郵便荷物合造車。キハユニ25形と同様に室内配置は前位から運転室・荷物室・郵便室・客室となっている。客室窓は上段下降下段上昇式のユニット窓で、客用扉はキハ25形の後位扉と同位置にある。トイレはない。

番台の区分はないが、構造は1 - 41がキハ20形200番台に、42 - 59は同500番台に準じる。

[編集] キユニ21形

キハ21形を改造して郵便荷物合造車としたもので、1969年に2両が旭川工場で改造された。キハ20系の中で唯一形式変更を伴う改造が行われた車両でもある。

極力、種車の車体構造を生かすような改造がなされており、車体中央部の排気管立ち上げ部付近に仕切りを設け、前位側(車体中央から見て便所と反対側)に郵便室、後位側(同便所側)に荷物室を設けた。便所はキハ21形時代からのものをそのまま再用した。郵便室には郵袋室と区分室が設けられ、区分室部分にあった4枚の一段上昇式の窓は埋められた。荷扱い扉は旧客用扉をそのまま利用している。荷物室部分には、便所付近(ボックスシート3組分)のスペースに荷扱い車掌室と貴重品箱が設けられ、客用扉と窓6枚(戸袋窓2枚、一段上昇式窓4枚)を埋めた上、新たに1,800ミリ幅の両開き式の荷扱い扉が設けられた。荷扱い扉の材質は各車で異なり、1は鉄製、2は木製のものが使われていた。

当初は遠軽機関区に配置されたが、後に深川機関区に転属となった。1は深川機関区配置のまま1984年3月10日付で、2は旭川機関区配置を最後に1986年3月31日付で廃車となっている。

  • キハ21 26・35→キユニ21 1・2

[編集] キハ52形

勾配区間用の一般形気動車で、キハ20形の2エンジン形である。

国鉄の2エンジン気動車としては最初の両運転台車であり、急勾配のローカル線用車両として本州・四国・九州各地で重用された。キハ20形に準じた両運転台、片開き2ドア、2段窓であるが、エンジンを2基搭載するための床下スペース確保目的で全長が1.3m長い21.3mになり、それに伴いドア間の窓数もキハ20形の5個から6個に増えている。それでもなお床下は手狭なため、水タンクは床上(通路を挟んだ便所の反対側)に置かれた。

初期形(0番台)
1958年から1962年に製造された。エンジンはキハ20形200番台と同様の垂直シリンダー形DMH17C形。床面にエンジンの点検蓋がある。照明は白熱灯で、燃焼式温風暖房。
後期形(100番台)
キハ52 134(豊肥本線立野駅、1983年頃)
1962年から1966年に製造された。キハ58系とキハ80系の好評を受け、騒音と振動の低減はもちろんのこと、量産効果の向上(コスト低減)の見地からも2エンジン車についてはすべて横形エンジンに統一されることになった。水平シリンダー形のDMH17Hを搭載し、床面点検蓋・車体中央壁面の排気管が廃止された。さらに、勾配線区での使用実績に基づきエンジンブレーキ機能が追加されている。照明は蛍光灯で、キハ20系の中ではキハ22形と並んで例外的な温水暖房車。スタイルと旅客設備を除いたメカニズム面は、急行形気動車のキハ58形と共通点が強い。
100番台は、静粛性に対する期待から寝台気動車の試験に供され注目を集めたが、音振や変速ショックの点で採用には至らなかった。その後も日本では寝台気動車が実現した例はない[4]

キハ20系は一般型気動車であり、キハ22形を除いて定期の急行運用に就くことはまずなかったが[5]、本形式については2エンジンで強力なことと単行運転可能なことから只見線および会津線の急行「いなわしろ」として1982年6月23日東北新幹線開業による列車自体の廃止時まで長らく使用された。この列車は気動車単行の急行で、なおかつ遜色急行であるとともに、急行「あがの」「いわき」と併結する多層建て列車として異色の存在であった。

キハ52形が運用された路線の多くは急峻な山岳路線であり、1 - 2両の短い編成で排煙を噴き上げながら登坂する姿がしばしば見られた。また、八ヶ岳山麓の小海線阿蘇カルデラ一帯を走る豊肥本線など多くの景勝地における鉄道写真の題材ともなった。

これに限らず、キハ20系は地方の風景に溶け込みやすい落ち着きのある車体デザインを持ち、そのほとんどが現役を退いた後も、郷愁の対象として愛好する鉄道ファンは少なくない。


[編集] 現況

キハ21形・キハ25形・キハユニ25形・キハユニ26形は国鉄分割民営化以前に全廃され、新会社に承継された内訳はキハ20形53両、キハ22形157両、キハ52形73両の計283両であった。

JR移行後は各旅客会社とも新形式気動車による取替えが進行し、キハ20形は1993年までに、キハ22形は1995年までに全車が廃車され、現在までに北海道・四国・九州では在籍車が皆無となった。

2009年4月時点で、本系列はキハ52形100番台の1形式1区分のみが西日本旅客鉄道(JR西日本)に3両残存する。東日本旅客鉄道(JR東日本)の7両は2009年3月14日改正で運用を外れ、新津運輸区において留置中である。後継のキハ40系で勾配線用の強力形気動車が製造されず、置き換えに適する性能や設備の車両がなかったことが現在まで残存する理由としてあげられる。

各社での現況は以下のとおりである。

JR東日本
新津運輸区に7両が配置され、羽越本線磐越西線米坂線で使用されていた。
全車が新型エンジン[6]に換装されていた。盛岡地区は新潟鐵工所製またはコマツ製、新潟地区ではカミンズ製を使用していたほか内装は更新工事を受けている。外部塗色は「新潟一次色」(上の写真を参考)であり、一部には国鉄時代の朱色4号+クリーム4号の配色に復元した車両も存在する。
盛岡地区では2007年11月まで17両を配置し、花輪線・山田線・岩泉線で使用されていたが、キハE130形の導入で余剰となった水郡線のキハ110系が順次転用され、花輪線からは同年3月18日改正で撤退、他2線区からも同年11月25日に撤退した。使用を終了した本形式は同年12月ミャンマーへ輸出・譲渡のため川崎貨物ターミナル経由で搬出された。
新型エンジンへの換装・客用窓の一段上昇式化改造が実施されたほか、外部塗色は白+赤帯の塗り分けとし、正面上半部を赤色とした「盛岡赤鬼色」と俗称される配色で使用された。
新津車についてもキハE120形の導入により置き換えが実施され、2009年3月14日改正で定期運用から離脱した。現在は新津運輸区に留置中されている。この新津運輸区の7両のうち国鉄色を纏った車両は、臨時・団体列車等に使用されることがある。
JR西日本
国鉄色に復元されたJR西日本キハ52 115(大糸線南小谷駅、2007年3月24日)
富山地域鉄道部糸魚川運転センターに3両を配置し、大糸線(糸魚川 - 南小谷)で使用されている。
エンジンは製造当時のDMH17系を搭載するが、冷房設置・トイレ撤去・ワンマン化改造工事がなされる。当初の外部塗色は白を基調に緑のストライプを配したものであったが、現在は全車を歴代の国鉄標準塗色に復元して使用している。
  • 黄褐色2号+青3号:キハ52 125 1965年(昭和40年)製造 2006年11月現在の塗装に変更
  • クリーム4号+朱色4号:キハ52 115 1965年(昭和40年)製造 2004年7月現在の塗装に変更
  • 朱色5号(首都圏色):キハ52 156 1966年(昭和41年)製造 2004年12月現在の塗装に変更


[編集] 譲渡車・同形車

茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)キハ221の廃車体(羽幌炭鉱鉄道色)(阿字ヶ浦駅
茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)キハ2000形2004(国鉄準急色)(那珂湊駅、2006年2月11日)
茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)キハ200形205(国鉄色)(中根駅-金上駅、2008年3月2日)
水島臨海鉄道キハ20形203・205(国鉄色)(倉敷市駅-球場前駅、2007年10月17日)
キハ20形2003(三本ヒゲ)(加津佐駅、2008年3月12日)
小湊鉄道キハ200形(上総中野駅、2009年10月18日)

本系列の中には他社に払い下げられた車両があるほか、同仕様で製造した同型・類似車両が多数存在している。

[編集] 国鉄・JRからの譲渡車両

キハ20形が鹿島臨海鉄道に4両、水島臨海鉄道に12両、島原鉄道に13両、キハ22形が津軽鉄道弘南鉄道黒石線)、下北交通大畑線)に各3両、キハ52形が南阿蘇鉄道に1両譲渡されている。2008年4月現在では津軽鉄道、ひたちなか海浜鉄道[7]、水島臨海鉄道に在籍しているが、津軽鉄道では定期運用はない。

このほかキハ22形が国鉄時代の1986年に阿武隈急行に5両、秋田内陸縦貫鉄道に9両貸し出されている。ともに1988年まで使用され、新車両への置き換えによりいずれもJR東日本に返還された。

[編集] 同型車両

  • 留萠鉄道 キハ1100形1103
  • 留萠鉄道 → ひたちなか海浜鉄道 キハ2000形2004・2005
    • キハ22形同型車。路線廃止後、茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)へ譲渡。2009年秋現在2両とも運用に就いており2004は国鉄準急色になっている。
  • 羽幌炭礦鉄道 → ひたちなか海浜鉄道キハ22形1 - 3
    • キハ22形同型車。豪雪地帯用として、前面窓に旋回窓が装着されているのが特徴であった。また、ワインレッドに白帯の塗装は路線廃止後、茨城交通へ譲渡された後も維持され、一時期の同社車両の標準塗装となった。2009年秋現在1、3は廃車、2は国鉄旧気動車標準色になって活躍している。
  • 雄別鉄道 キハ49200Y形1 - 3
    • キハ21形同型車。ただし台車はTR29相当の新潟鐵工所NH38で、キハ21の計画時の形式称号であるキハ49200に雄別の頭文字であるYを付した形式が与えられていた。路線廃止後、関東鉄道へ譲渡された。
  • 雄別鉄道 キハ100形104・105
    • キハ21形の側窓配置でキハ22形と同様の一段上昇窓としたもの。台車も正規のDT22・TR51相当となった。路線廃止後、関東鉄道へ譲渡された。
  • 雄別鉄道 キハ100形106
    • 廃線直前に竣工したキハ100形の増備車にして、雄別では最初で最後の片運転台車。路線廃止後は関東鉄道へ譲渡されたが、他の雄別からの譲渡車が筑波線(→筑波鉄道)に配属されたのに対し、本車のみは常総線に配属された。
  • 定山渓鉄道 キハ7000形7001 - 7003
    • 国鉄札幌駅への乗り入れに備えて1957年に製造。客用扉を両端に寄せた翌1958年製造開始のキハ22形に近い側窓配置とキハ20系に準じた基本構造を備えるが、前面は湘南型の2枚窓構成で便所はなく、メーカーである日立製作所笠戸工場のオリジナルデザインである。定山渓線内は電車に牽引されて運用された。路線廃止後はキハ7501を含めて全車が他社に譲渡されることもないまま解体処分されている。
  • 定山渓鉄道 キハ7500形7501
    • 1958年に製造された増備車。前面はキハ7000形と同様であるが、側窓配置がキハ21形に準じたものとなった。
  • 津軽鉄道 キハ24000形24021 - 24024
    • 窓配置等はキハ21形に準じているが、側窓はキハ22形と同様の一段上昇窓。
  • 小湊鉄道 キハ200形201 - 214
    • キハ20形に準じた設計であるが、便所はなく扉間の窓が6個、前面も前照灯が前面窓上に2灯が独立してあるなど京成系の独自色が出ている。キハ20系の設計で製造された中では一番遅くまで増備が続いた。最終グループではユニットサッシ仕様となったものの、機関は保守部品共通化の見地からDMH17Cで首尾一貫した。国鉄車と併結可能であり、千葉駅まで乗り入れたこともある。現在も同社の全列車が本系列で運転されている。
  • 島原鉄道 キハ20形2001 - 2003
    • キハ20形同型車。国鉄線直通乗り入れ運転に備えて製造。2001・2002は1957年製で国鉄の0番台車と同じDT19C・TR49C装着のバス窓車。2003は1958年製で200番台車と同じDT22A・TR51A装着の2段上昇窓車。いずれも国鉄車とは異なり便所が設置されていないほか、前頭部に3本ひげの塗色を持つ。2008年初の時点では2003のみが在籍していたが、2008年3月31日限りで島原外港駅 - 加津佐駅間が廃止されたことにより廃車となった。


[編集] 動態保存車

下北交通のキハ85形気動車

下北交通大畑線に譲渡され、同線のキハ85形として使用されていたキハ22 149 - 151の3両は、同線廃止後に旧大畑駅構内で保存団体「大畑線キハ85動態保存会」[1]の手で定期的に動態保存されている。このうち、旧キハ22 150は国鉄時代の塗装に戻されている。

[編集] 脚注

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  1. ^ 近鉄への対抗上、スピードアップのためにキハ55系開発・製造を待たずに、止むを得ずキハ17系を準急に使用したケース(関西本線名古屋-湊町間準急)もあり、そこでキハ17系の居住性や乗り心地が問題視された。
  2. ^ エンジンについては燃料噴射ノズルなどの改良でキハ10系より10psアップの170ps仕様とし、さらに後年その大半が180psのDMH17C形相当に改造又は換装され、台車についても以後の増備車と同様にコイルバネ+オイルダンパを枕バネとするDT22A・TR51Aに交換されたものがある。
  3. ^ 1980年の時点では、他に「えさし」「しれとこ」「ちほく」「天都」「松前」「るもい」などにも投入された。
  4. ^ 気動車列車に寝台車を組み込んだ例は「利尻」「まりも」等で存在するが非動力の14系寝台客車に制御回線を追加したのみであり、駆動用エンジンや気動車としての形式は与えられていないため気動車には当てはまらない。
  5. ^ 初期に房総地区で定期の準急に使用されたケースはある(キハ26形の製造が間に合わなかったため)。
  6. ^ 機関本来の仕様は出力330psまたは350psだが、種車の液体式変速機を流用したため、出力を250psに落として使用していた。
  7. ^ 水島臨海鉄道から茨城交通に譲渡後ひたちなか海浜鉄道が承継。

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最終更新 2009年11月22日 (日) 13:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【国鉄キハ20系気動車】変更履歴

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