国鉄キハ45系気動車

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国鉄キハ45系気動車
最高速度 95km/h
車両定員 84(席)+40(立)=124名(キハ45形0・500番台)
76(席)+48(立)=124名(キハ45形600番台)
76(席)+40(立)=116名(キハ23形)
85(席)+25(立)=110名(キハ46形)
77(席)+25(立)=102名(キハ24形)
73(席)+41(立)=114名(キハ53形)
最大寸法
(長・幅・高)
21,300×2,928×3,925(mm)
車両質量 33.0t(キハ45形)
34.2t(キハ23形)
33.2t(キハ46形)
34.5t(キハ24形)
39.7t(キハ53形)
機関出力 180ps/1,500rpm(DMH17H)×1
駆動装置 液体式(TC2A/DF115A)
台車 コイルばね台車
DT22C(動力)/TR51B(付随)
ブレーキ方式 自動空気ブレーキ
キハ45形・キハ46形:DA1
キハ23形・キハ24形・キハ53形:DA1A

キハ45系気動車(キハ45けいきどうしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1966年から製造した近郊形気動車の形式群である。キハ23系とも呼ばれる。これは国鉄車両称号規程に規定された正式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により設計・製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。

目次

[編集] 概要

大都市近郊向けの通勤形気動車と地方線区向けの一般形気動車の特徴を併せ持つ近郊形気動車として、近郊形電車の設計手法を取り入れた形で設計された。

1960年代中期、国鉄の普通列車用気動車は、地方線区向けにキハ20系が、大都市近郊線向けはキハ35系がそれぞれ大量に増備されていた。しかし、キハ20系は扉が片開き式で850mmと狭いため、ラッシュ時の客扱いに難があり、キハ35系は3扉オールロングシートという通勤輸送に特化した構造であるため、通勤時間帯以外の使用時に設備が乗客の要求する水準を満たせないという難があった。

1966年から1969年までに5形式が製造されたが、この時期には気動車の所要数をほぼ充足していたこともあり、グループ全体で179両の製造にとどまった。

なお、本グループの落成に先立ち、客車改造気動車のキハ40・45形(初代)がそれぞれキハ08・09形(2代)に改称されている。

国鉄分割民営化時には、東海旅客鉄道(JR東海)を除く旅客鉄道各社に176両が承継されたが、老朽化の進行に伴い廃車が進み、西日本旅客鉄道(JR西日本)に最後まで残存していた1両が2003年に運用を離脱したため、2009年時点で営業運転に供されているものはない。最後まで残っていたJR西日本のキハ23 1は2009年まで稼働していない状態で下関総合車両所運用検修センター新山口支所に在籍し、幡生駅に隣接する下関総合車両所本所に留置されていたが、同年6月に入って同車の解体が確認されている[1]

[編集] 形式一覧

キハ45系新造時形式一覧
形式 運転台 番号 備考
キハ23形 両運転台 1~33・501~521 本州以南用
キハ45形(2代) 片運転台 1~74・501~522・601・602 本州以南用
キハ24形 両運転台 1~10 北海道用
キハ46形 片運転台 1~6 北海道用
キハ53形 両運転台 1~9・101・102 エンジン2基搭載

番台区分については後述する。

[編集] 構造

[編集] 車体

従来の多くの気動車と同じく片側2扉車体であるが、客扱いの利便性を図るため、本州以南向けは幅1300mmの両開き扉を車体中央部に寄せたレイアウトとなった。北海道向けは冬季の防寒の理由から、従来どおり片開き扉を車端部に配置し、デッキを設けているが、扉の幅を1000mmへと拡大している。

車体幅は従来形式と同じく2800mm級で、急行形気動車のような幅広車体は採用されなかった。車体長さについては、本系列では1エンジン車と2エンジン車の車体長さを統一する方針となったため、すべての形式が2エンジン車に要求される最大長21.3m(車体長20.8m)に統一された。1エンジン車(在来形は最大長20m)については収容力の向上が図られたことになる。

運転台は、衝突事故対策及び運転士の視認性の向上のため、床面が300mmかさ上げされた高床式となった。前面窓にはパノラミックウィンドウが採用されたが、これは特急形を除いては国鉄気動車として最初の採用である。また、前面下部には大型の排障器(スカート)が設置されている。キハ58系と同様に前照灯がシールドビーム2灯化されて左右の前面窓上に配置されるとともに、貫通扉上部には行先表示器が設置された。広幅車体ではないため、前面形状はごく幅狭に見える。

本州以南向け車の側窓には、一般形気動車として初めてユニット窓(下段上昇上段下降)が採用された。北海道向け車は、防寒対策のため従来同様の一段上昇式の二重窓で木張りの床とされたが、内窓の枠はFRP製となった。

製造当初は、朱色とクリーム色の一般形気動車の標準塗装であったが、後に一般形気動車の標準塗装を朱一色のいわゆる首都圏色に変更したことから、本系列も1980年ごろまでに首都圏色に塗り替えられた。国鉄分割民営化前後からは、各地域独自の塗装に塗り替えられるものが多くなった。

[編集] 車内設備

多くの面において、当時の近郊形電車に倣った構造となっている。暖房は急行形気動車同等の温水式が標準となった。

キハ20系と同様、扉間と車端部にボックスシートを扉付近にロングシートを配したセミクロスシートと呼ばれる座席配置であるが、座席間隔は当時の近郊形電車と同様の1400mmに短縮されているうえ(キハ20系は1470mm)、通路を広くとるため座席幅も狭く、従って居住性は必ずしも良くなかった。

またキハ45 601・602は、車内の一部を荷物室として使用するため、間仕切り用のアコーディオンカーテンを設けて半室をロングシートとし、必要に応じてカーテンで仕切り、ロングシートの部屋を郵便室・荷物室として使う機能を持たせた簡易郵便荷物車である。これは郵便・荷物輸送量が少ないローカル線向けに製造されたいわゆる600番台気動車の一つであるが(ほかにキハ20形・キハ22形・キハ52形などに存在)、他形式の600番台はすべて改造で賄ったのに対して、キハ45形のみは最初から600番台として新製されている。

[編集] 主要機器

当時の標準であるDMH17H(180PS/1,500rpm)形ディーゼル機関に、TC2A形又はDF115A形液体変速機を組み合わせて1軸を駆動する。台車も金属バネの標準品であるDT22C(動台車)・TR51B(付随台車)である。キハ58系キハ52形で確立された手法がそのまま踏襲されており、走り装置には特に目新しいものは用いられていない。

エンジンは通常1基を搭載しているが、勾配線区向けのキハ53形のみ2基搭載している。

本州以南向け各形式には、標準的な暖地装備車のほか、機関にカバーをつけ床下機器類の保温対策を強化するなど、下回りを北海道向けに近い寒冷地対策仕様とした寒地向け車両が設定されており、500番台の区分番台が与えられている。

[編集] 形式各説

[編集] キハ45形

キハ45 43

本州以南向け1機関搭載の片運転台車で、1966年から1969年にかけて暖地形の0番台74両、寒地形の500番台22両、暖地形簡易郵便荷物車の600番台2両の計98両が製造された本グループの基幹形式である。

東日本旅客鉄道(JR東日本)に0番台11両・500番台14両の25両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に0番台30両・500番台8両の38両、四国旅客鉄道(JR四国)に0番台24両、九州旅客鉄道(JR九州)に0番台8両・600番台2両の10両、計97両が承継されたが片運転台車で運用上小回りが利かないこともあって、民営化直後から急速に淘汰が進み、1995年に全廃となった。

※本形式のうち1967年4月~5月に製造された32~36・42~61の25両は製造直後、一時的に北海道に配置された。これは夏季の観光客輸送など波動輸送に充当するためで、苗穂・函館・釧路・旭川・池田に配置され、シーズン終了後の1967年秋に新潟や高松など道外の本来の配置予定区に転属している。

[編集] キハ23形

キハ23 5

本州以南向け1台機関搭載の両運転台車で、1966年から1969年にかけて暖地形の0番台33両、寒地形の500番台21両の計54両が製造された。

国鉄時代は最後まで1両も廃車となることなく、JR東日本に500番台11両、JR西日本に0番台30両・500番台10両の40両、JR九州に0番台3両が承継された。両運転台であることから、ワンマン改造や車両更新工事を施工されたものがあり、比較的長く使用された。2003年までJR西日本に残っていた520が本グループ最後の稼働車となった。

[編集] キハ46形

北海道向け1台機関搭載の片運転台車で、1966年に6両のみ製造された。苗穂旭川に配置された。北海道旅客鉄道(JR北海道)に5両が承継されたが、キハ22形と比べ、収容力以外に勝る点が少なく、また、少数形式であることから早期に淘汰の対象となり、1992年に全廃となった。

[編集] キハ24形

キハ24形

北海道向け1機関搭載の両運転台車で、1967年に10両のみ製造された。新製当初は一部が会津若松区に配置されたが、全て2年以内に北海道に移動した。函館釧路旭川に配置され、函館では「松前」「せたな」「えさし」などの急行列車にも、キハ22形と共に使用された。全車がJR北海道に承継され、最後は函館に集約配置されたが1995年に全廃となった。

[編集] キハ53形

キハ53 1

本州以南向け2機関搭載の両運転台車で、1967年から1969年にかけて暖地形の0番台9両、長大編成対応形の100番台2両の計11両が製造された。外観はキハ23形とほとんど同一だが、床下スペースが不足することから床上客室内に水タンクスペースが設けられており、その部分の窓はない。100番台は10両以上の長大編成に対応する番台で、主にブレーキ関係を強化するなど、キハ58系急行形気動車の長大編成仕様車両と同等の対策が施されている。

6は国鉄時代の1983年、木次線で築堤崩壊により脱線大破し、廃車となった。残りの車両は国鉄民営化に際し、0番台6両がJR西日本に、0番台及び100番台各2両がJR九州にそれぞれ承継された。JR九州では大分及び鹿児島に配置されたが、1993年に全廃。JR西日本では木次線津山線小浜線などで使用されたが、ドア位置がワンマン運転に不向きであったことが災いしキハ52形よりも先に廃車され、2003年の小浜線電化により全廃となった。

※1986年の国鉄末期から分割民営化後の1988年にかけて、急行形気動車に両運転台化改造が施工され、キハ56形改造の500番台キハ58形改造の200番台・1000番台が登場し本形式に編入されているが、全く系統を異にする存在であるため本項では記載しない。詳細はそれぞれの項目を参照のこと。

[編集] 改造

本グループは、製造期間が短く、両数も多くないため製造ロットによる形態上の差異がほとんどなく、形式番号の変更を伴う改造は行なわれなかったが、改番を伴わない改造としては、次の例がある。

[編集] 簡易荷物車化

1984年に、木次線のキハ52形600番台置換え用にキハ53 1・2を簡易荷物車に改造したものである。前位側のロングシートを撤去し、クロスシート部との境にアコーディオンカーテンを設けた。1985年3月に木次線の荷物輸送が廃止されたのち、同月中に原型に復した。

[編集] 冷房改造

JR西日本越美北線で使用されていたキハ23 520に対して、サブエンジン式のAU34形冷房装置を搭載したもので、本グループ唯一の冷房車である。越美北線のキハ120形置換え後は、高岡を経て山口地区に移り、2003年10月まで使用された。本グループ最後の稼働車となった車である。

[編集] 車両更新・機関換装

JR東日本に承継され、東北地方で使用されていたキハ23形500番台11両に対し、1990年から1991年にかけて車体更新工事を実施したもので、外観上は扉の窓ガラス支持がすべて金属押さえ方式に変更されたのが目立つ。同時に火災対策工事として機関がコマツ製のDMF11HZに交換されたが、液体式変速機を流用したため出力は330psから250psに落として使用していた。

[編集] ワンマン改造

JR西日本保有のキハ23形30両に対し、1990年から1991年にかけて施行され、主に中国地方で使用された。運転台と扉が離れているため、ワンマン運転用機器の配置に苦心の跡が見られる。

[編集] 脚注

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  1. ^ キハ23 1が解体される - 鉄道ファン鉄道ニュース2009年6月18日付。同誌9月号にも同じ記事が掲載されている。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年8月6日 (木) 21:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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