国鉄キハ90系気動車

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キハ90系は、日本国有鉄道(国鉄)が新系列強力型気動車の試作車として設計・製造した急行形気動車である。定期列車としての運行開始後は、動力車が全て91形式を称したことからキハ91系と称された。

目次

[編集] 登場の背景

1950年代から国鉄気動車の標準型エンジンとして使われていたDMH17系エンジンは、元々戦前に設計された150PSから180PS級の機関であり、標準型として採用後は重量の割に低出力であることが問題視されていた。

国鉄では特急形ディーゼルカー開発の準備として1960年(昭和35年)にDD13形ディーゼル機関車DMF31S形エンジンを横型シリンダ(水平型シリンダ)に設計変更したDMF31HSA形エンジン(400PS/1,300rpm)を開発、これを搭載するキハ60系気動車を試作したが、これは最重要コンポーネント[1]であるDW1直結2段液体式変速機の不調から実用化に失敗し、合計3両が試作された同系列は機関と変速機を交換してキハ55系相当の性能に改造されてしまった。この結果、開発が急がれていた特急形ディーゼルカーキハ80系は従来どおりDMH17系エンジンを2基搭載されることとなり、キハ60系開発の成果で活かされたのはディスクブレーキ付き空気バネ台車と横型シリンダ機関のオイル潤滑ノウハウのみに留まった。

その一方で、大出力エンジンおよびこれに対応する変速機の研究は継続され、1965年(昭和40年)には新型大出力エンジンの実現の目途が立ち、1966年(昭和41年)には新設計された2種類のエンジンを搭載する新系列気動車の試作が決定された。こうして開発されたのが本系列である。

[編集] 製造

まず1966年に、DMF15HZA形300PSエンジン1基を搭載するキハ90形と、DML30HSA形500PSエンジン1基を搭載するキハ91形を1両ずつ製造し、出力の異なる2種類の機関の性能比較が行われた。

千葉鉄道管理局管内で実施された評価試験の結果、300PSエンジン搭載の場合は山岳線区で1両につきエンジン2基を搭載する必要があり、エンジン1基あたりの出力を高くして編成全体のエンジン数を少なくしたほうが有利、しかも将来の冷房化の際には発電機セットを床下搭載することが可能、と判断された。この結果、500PS級のDML30HSAが国鉄気動車の次代を担う新系列気動車用機関として制式採用された。

その後、この新しい大出力エンジンを搭載した気動車を営業列車に投入して長期的な性能試験が行われることになった。このため、急行列車1編成として営業運転が可能な両数の量産試作車を用意する必要が生じ、1967年(昭和42年)7月28日付でキハ91形7両の追加製造が行われた。また、特急形気動車製造の際に食堂車等の優等車を付随車とするためのデータ取得と急行列車での一等車需要を考慮して、一等付随車であるキサロ90形3両が同時に製造された。

[編集] 車体

新開発の大出力機関や変速機などの性能を評価するための試作車とはいえ、定期運行される営業列車に投入するための車両であり、かつ電車に匹敵する性能を実現する新系列気動車の第1陣であったことから、接客設備は当時量産されていたキハ58系よりはむしろ153系165系急行形電車に準じたものとされた。このため、普通車は座席は急行形普通車標準の固定クロスシートであるが、側窓に急行形電車と同じ二段上昇式のユニット窓が採用され、キハ58系とは印象を大きく異にしている。これに対し、キサロ90形はサロ152形やサロ165形などと同様の2枚ずつ一組にした1段下降式窓を採用し、座席レイアウトなどもこれに準じている。

更に台車構造の特殊性から、客用扉を一般的な引戸とした場合に戸袋が枕ばね周辺と干渉する問題があるため、700mm幅の3枚折り戸を各車2か所に採用した[2]

運転台人間工学に基づいて、マスコンハンドルとブレーキハンドルは新設計の前後操作式(前進:力行・後退:制動)と操作しやすいものとなった[3]。ただし、制御指令信号線は在来型気動車と互換性がないため、非常時等にそれらとの併結運用が実施される可能性を考慮して、試作車2両では追加改造で、量産試作車では新造時から、制御指令信号を中継・相互変換する装置が搭載された[4]

[編集] 試作車と量産試作車の相違点

以下の点で車体上の相違点がある。

車体構造
  • 試作車であるキハ90 1・キハ91 1は、軽量化の徹底を企図して上部も内傾した、ほぼ完全な張殻構造となっており、卵形の断面であった。
  • 量産試作車のキハ91 2 - 8・キサロ90 1 - 3は、コストダウンのためにキハ58系に近い断面に修正され、上部の内傾を廃した一般的な断面形状となった。
前面窓
  • 急行形気動車としては初めて側面まで回りこんだ形状のパノラミックウィンドウを採用したが、試作車では前述のように車体断面形状とのかねあいもあって車体隅部まで一体の曲面ガラスを採用し、その上縁が隅部に向かって下がっている所謂「たれ目」スタイルである。
  • 車体断面形状が変更された量産試作車では、正面の平面部と隅の曲面部を分割した急行形電車などに準じたスタイルとなる。

[編集] 主要機器

[編集] エンジン

キハ90形のDMF15HZAは排気量15リットル、直列6気筒横置き、過給器インタークーラー装備で連続定格300PS/1,600rpm、最大出力355PS/2,000rpm、キハ91形のDML30HSAは排気量30リットル、水平対向12気筒、過給器装備で連続定格500PS/1,600rpm、最大出力590PS/2,000rpmとなっており、いずれもシリンダーボア140mm、ストローク160mmである。この仕様が示すとおり、これらはそのシリンダブロックの設計が共通であり、既存のDMH17はもとより、DMF31系とも異なる、完全な新規開発品であった。

DML30HSAに比べて気筒数半減のDMF15HZAが、出力半減とならず60%の定格出力を確保できたのは、インタークーラーによるものであるが、基本設計が戦前設計のDMH17をスケールアップしてターボ過給器対応としただけの副燃焼室式機関であることから、高負荷動作時には特に発熱過大となる傾向が強く、過熱により排気管が発火する恐れがあったため、DML30系へのインタークーラー装備による600PS化は見送られている[5]

[編集] 変速機

変速機はキハ90形がDW3B(3段6要素形)、キハ91形がDW4A(1段3要素形・充排油式)で、いずれも変速1段、直結1段となっている。これはキハ60系で採用された直結2段構成が、直結間切り替え時の過大な衝撃負荷によるクラッチ破損等の問題を引き起こした反省から、直結段を1段のみとしたものである。また、キハ91形はエンジントルクが大きいため、変速段の液体式変速機の構成を1段3要素に見直し、ストールトルクを抑え、また駆動軸もキハ90形が第2軸を駆動軸とする1軸駆動であったのに対し、第1・2軸を駆動する2軸駆動とされ、さらに変速機と車体内側寄りの第2動軸に装着されたGB115A減速機の間には、大出力エンジンの強トルクによって生じる反力を吸収するための反力軸と呼ばれるリンク機構も付加されている[6]。DW3A・DW4Aともに変速段数の少なさを補い、なおかつ中速域での出力を確保するため、高速域[7]まで過回転状態のままで変速段で引っ張る設定にされている。この変速段使用時の変換効率は最良の条件(ピークは約62km/h)でも80パーセント前後で、液体式変速機としては一般的な性能であった。

もっとも、これは効率の悪い変速段を十分高速に達するまで常用するため、常時過回転状態に置くなどエンジンに過大な負担をかける設計でもあり、この変速機は特に本系列や後続のキハ181系による、中速域が常用される山岳線区での優等列車運用において、エンジンの異常過熱を原因とするトラブルが多発する原因の一つとなった。

[編集] 逆転機

逆転機は従来の台車トランサム(横梁)への装架がキハ91形の2軸駆動化により困難となり、また変速機との一体化による機構の簡素化なども目的として、液体変速機に内蔵とされた。このため各動力台車には、逆転機ではなくベベルギアによる推進軸の方向転換と最終減速段を受け持つ減速機が各動軸に装架され、キハ91形では2基の減速機間は自在継手で連結された。

営業運転で多用される中速域で機関出力をフルに生かせないという本系列の走行特性は、ストールトルク比の小さい(ゆるい)トルクコンバーターと、直結段が1段しかないことから来ており、爪クラッチ式多段直結変速機が実用段階に入る1980年代末まで、長く日本の新系列液体式気動車のウィークポイントであり続けた。

[編集] 放熱器

大出力エンジンを使用するため、キハ90形・キハ91形には大容量放熱器(ラジエーター)が設けられた。ただし、通常の機関直結ファンによる強制冷却式ではなく、コストダウンと機関出力の有効活用、それに冷却ファン排除による騒音・振動の軽減を目的として、相対風速を利用した自然通風による大型放熱器[8]が屋根上に搭載され、外観上の一大特徴となった。しかし、山岳線区での低速運転時、特に登り勾配で断面が小さく、かつ長大な単線トンネルを走行する際などには、通風力が不足してオーバーヒートが頻発した。このため量産試作車では対策として電動式の補助送風ファンが屋根上の放熱器間に搭載されたが、この補助送風ファンの駆動にはエンジン直結の発電機からの電力供給が必要であり、その発電負荷の分だけ走行性能が低下し、ファンによる騒音と振動が発生し、更にはその保守コストも上乗せされることになった[9]。この問題は比較的平坦な線形でしかもトンネルの少ない千葉地区での試用の段階ではほとんど露呈せず、小断面長大トンネルの多い中央西線での営業運転開始後、はじめて表面化した[10]ため、量産型に相当するキハ181系の設計には十分反映できず、同系列、特に自然通風による大型放熱器を本系列から継承した中間車では、連続急勾配区間での放熱能力不足に起因するエンジントラブルが頻発した。このため、同系列はエンジンの故障抑止を目的としてスペック上は単独登坂が可能なはずの板谷峠での電気機関車による牽引登坂や、故障防止策としての燃料噴射系の調整による定格出力の引き下げ、補助冷却器の床下への追加[11]、あるいは運転曲線の見直しなどの対策を実施せざるを得なくなっている。

[編集] 台車

動力台車は1軸駆動のキハ90形がDT35、2軸駆動のキハ91形がDT36(1)・DT36A(2 - 7)、付随台車はTR205(試作車)・TR205A(量産試作車)で、基本的な構造は全て共通である。

これらの台車は、延長リンクとウィングバネを組み合わせた、アルストーム・リンク式軸箱支持機構の変形と言うべき独特の構造となっており、2軸駆動を実現する上で必要な推進軸の枕梁やボルスタとの干渉を回避するため、揺れ枕を廃した車体直結式空気バネによる枕バネ部と、ED74形電気機関車で採用されたのと同様の、リンク連結による仮想心皿方式が採用されていた[12]

これらは本系列の運用期間中には特に致命的な問題は発生しなかったが、改良品に当たるDT36B・TR205B・TR205Cを採用したキハ181系では延長リンクが長く設計が適切でなかったことから高速運転時に1軸蛇行動が発生しやすいことが指摘され、また側枠の亀裂などの深刻な問題が製造後約10年前後で頻発したため、その時点で在籍していた同系列の全車が側枠の新製交換で通常のウィングバネ式台車(DT36C・TR205D・TR205E)に改造されており、基本設計が共通する本系列の台車についても同様に長期使用されたとすれば同種の問題が発生していた可能性が高い。

[編集] 形式

[編集] キハ90形

1966年登場。DMF15HZA形エンジンとDW3B形変速機を備える。台車はDT35・TR205。新潟鐵工所で1両のみ製造された。1971年、中央西線での運用で問題となった出力不足に起因する勾配均衡速度の低下を解決すべく、キハ91形と同一スペックのDML30HSEAとDW4Aに換装され[13]、キハ91 9となった。

[編集] キハ91形

DML30HSA形エンジンとDW4A形変速機を備える。台車はDT36・TR205。1966年に1が富士重工業で製造されてキハ90形と比較検討され、その結果本形式が優位と判定されて量産試作されることとなり、1967年に7両(2 - 8)が新潟鐵工所・富士重工業・日本車輌製造の各社で追加製造された。機関はDML30HSAを小改良したDML30HSB、台車はDT36A・TR205Aに改良され、さらに放熱器に補助送風機が追加搭載されており、特に低速での強トルク運転が連続する際に冷却力が不足する自然通風式放熱器の問題点は、この時点で既にある程度把握されていたと推測される。このうち、新製車のラストナンバーである8は来るべき特急形のためのデータ取得を目的として、屋根上の放熱器間にAU13A形分散式冷房装置を7基、床下に自車1両分の冷房電源用として三菱日本重工製4DQ-11P形ディーゼルエンジン駆動によるDM72形発電機を搭載した。また、2 - 7は冷房準備車として製造され、AU13形冷房装置を簡単に取り付けられる構造となっていた。さらに1971年、出力不足で運用上ネックとなっていたキハ90形がエンジンの載せ替えにより本形式に編入され、キハ91 9と改番された。

[編集] キサロ90形

営業運行での試験に備え、キハ91 2以降とともにキサロ90 1 - 3の3両が製造された一等車である。車体構造は3枚折戸を備える以外は同時期のキロ28形に準じるが、編成全体のエンジン出力に余裕があり、また特急形のためのデータ取得の必要から付随車となった。このため、台車は前後ともTR205Aで、屋根上には放熱器が搭載されておらず編成中では目立つ存在であった。3両共にAU13A形分散式冷房装置6基と床下に4DQ形冷房電源を搭載している。

[編集] 運用

性能試験は、当初房総西線で行われた。その後、名古屋に配属換えとなり、中央西線および篠ノ井線で、急行「しなの」として使用された。この試験結果を元に、キハ65形気動車や、キハ181系気動車が登場した。本系列は、キハ181系の特急「しなの」運転開始後も、中央西線で急行「きそ」として運行された。しかし、1973年7月の中央西線・篠ノ井線電化完成により、急行「きそ」は165系電車に置き換えられたため、中央西線系統での本系列による運用は終了となった。

本系列最後の運用の場となったのは高山本線で、急行「のりくら」のうち、名古屋 - 高山の1往復に充てられた。そして、1976年10月のダイヤ改正を待たず、同年9月3日を最後に運用を終了した。

なお、その後は車齢が10年未満で廃車手続きが困難であったこと[14]からしばらく保留車として留置されていたが、キサロ3両とキハ1両を除いて非冷房ということもあり、最終的に1978年8月31日付けで全車廃車となり、長く保守を担当してきた名古屋工場で全車解体処分された。

[編集] 新系列気動車の展開とその技術応用

キハ91形で試用されたDML30形機関は制式化され、その後のキハ181系などの特急形急行形・普通形気動車に採用された。

中でもキハ65形は本系列直系の量産車というべき存在であり、在来型急行形気動車との混用を可能とするため、最高速度は低くなり[15]、運転台周りの仕様が継承されず、また全車に強力な大型発電セットが搭載された関係で、自重増大を嫌って安価だが重い自然通風式放熱器も採用されなかった[16]が、これら以外の基本設計の大半はキハ91形量産試作車のそれに依拠している。この系統はその後、汎用気動車としてのキハ66系へ発展し、更に大幅な性能引き下げの上で一般型気動車のキハ40系を派生してゆくこととなる。

これに対し、特急形のキハ181系は固定編成による限定運用で、在来型システムとの混用を考慮せずに済んだがゆえにキハ90系の制御システムを素直に継承し、重い発電機関を先頭車に集約搭載することで中間車に安価な自然通風式放熱器を採用した。急行形として汎用性が求められたキハ65形の構成とは対照的であり、結果的にキハ90系の要素技術は特急形と急行形で異なる2つの流れを形成したことになる。

もっとも、量産で先行したキハ181系は夏場の特定条件下で冷却系のトラブルを頻発し、またその流れに連なるキハ183系0番台では寒冷な気候の北海道で使用されることから、着雪によるトラブル発生の危険性があって自然通風式放熱器を継承せず、こちらは冷却系に起因するエンジントラブルを出さなかったこと、それに強制冷却機構を標準搭載したキハ65がその量産開始から現在に至るまで、冷却系に起因するエンジントラブルをほとんど引き起こしていないことから、結果的にこの自然通風式放熱器は失敗であったとみなされている。これにはDML30系機関の燃焼効率が当初想定された以上に悪く高発熱となり、またキハ60形での直結多段液体式変速機の技術開発の失敗から効率の悪い変速段を多用する設計となったため、そのしわ寄せが放熱器にいってしまったという一面もあり、大出力ディーゼル機関を搭載する鉄道車両の開発の難しさを物語っている。

なお、本系列では不採用となったキハ90形のDMF15形については、12系客車以降の床下発電セット用機関[17]として制式採用され、その後キハ40系などにデチューンの上で転用されている。

本系列自体は製造後わずか10年で運行終了となったが、そこで試用された様々な要素技術は以後の国鉄気動車・客車に大きな影響を及ぼしており、国鉄気動車史上、重要な系列ということができる。

[編集] 脚注

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  1. ^ DMF13系の横型機関は、失敗作ではあるがこの系列の初号機に当たる、キハ43000形に搭載されたDMF31H形(240PS/1,300rpm)で既に製作実績があったが、こちらは電気式であったため、日本国内における気動車用大出力機関対応液体変速機の開発はキハ60系用が最初であった。
  2. ^ 特にキハ91 1のものはアルミ製無塗装仕様で異彩を放っていた。
  3. ^ この機構は本系列の量産モデルに相当するキハ181系にも継承された。
  4. ^ この装置は前面運転台側の窓下に専用の箱を取り付けて格納されている。試作車2両に当初搭載されたものは機器が小型化されておらず、前面運転台窓の幅ほぼ一杯を使い切る非常に大型な機器箱を必要としたが、後に搭載機器の改良で機器箱も大幅に小型化されている。
  5. ^ もっとも、後年製造されたJR北海道のキハ183系550番台においては、一部についてDML30系を直噴化してインタークーラーを付加したDML30HZ(660PS/2,000rpm)が搭載されており、これは現在も日本における気動車用ディーゼル機関の最高出力記録を保持している。
  6. ^ これに対し、第1動軸に装着されたGB116A減速機はゴムブッシュで枕梁に固定される減速機支持装置と呼ばれる1組のリンク機構のみで台車枠と結合されている。なお、この減速機支持装置はGB115Aの反力軸支持部と反対側にも取り付けられており、GB115Aは前後からリンク機構で支えられる形となる。
  7. ^ 85km/h前後。
  8. ^ この方式の採用については、キハ60系の開発が頓挫し、これに代わる手法が模索されていた1960年時点で、早くも俎上に上っており、同年、キハ04形に屋上放熱器を搭載しての試験がすでに行われていた(鉄道ピクトリアル誌1962年6月号で、当時の国鉄車両設計事務所の主任技師であった内村守男が、大出力気動車用の冷却手段として研究中であることを記述している)。国鉄におけるこの種の自然通風式放熱器は、戦前のキハニ5000形キハ40000形などに前例があるが、前者は出力が著しく低く実用性に難があった車両への装着であって参考にならず、また後者は本系列同様に、勾配線区で限られた機関出力を少しでも多く走行に回すべく採用されたものであったが、やはり勾配線での低速高負荷運転時の冷却力不足に起因するエンジントラブルが続出しており、こちらも前例として参考にすべき性質のものではなかった。
  9. ^ これは当初の設計コンセプトと大きく矛盾する対策であり、この段階で本系列の冷却系の基本設計は既に破綻が明らかになっていたと見るほかない。
  10. ^ キハ91量産試作車は完成時期が1967年7月末であったが、習熟期間等の関係で本線上での試験が開始されたのは同年秋になってからで、夏期の高温下の試験実施は1968年夏にまでずれこんだ。それゆえ、この問題の確認が遅れた。
  11. ^ 放熱器間に冷房装置が搭載されているため、本形式のように補助送風ファンを屋根上に搭載することが出来ず、床下に静油圧ファンとラジエターパネルを追設した。
  12. ^ つまり、ボルスタレス台車の一種である。このため本系列の台車には心皿および揺れ枕が存在せず、本来心皿が負担する荷重は側枠上の空気バネ(枕バネ)が直接負担する構造となっている。
  13. ^ これは新造間もないキハ181系で夏期に故障が頻発し、機能に互換性のあるキハ91形(特に冷房を搭載していたキハ91 8)でその不足を補った結果、急行「きそ」などで車両数が不足する事態となり、予備車となっていた本車を定期運用に充当する必要に迫られたことに伴う改造であった。
  14. ^ 当時は不具合が頻発していたDD54形の新製後10年未満での廃車が会計検査院から問題として指摘され、また労働組合や国会から予算の無駄遣いとして追求されるなど、特に車齢の若い車両の廃車についての指弾が非常に厳しい時期であり、本系列や591系電車など、本来は廃車手続きをとるべきデータ収集の完了した試作車を廃車とせず、保留車として長期休車扱いとすることで時間を稼ぎ、問題の先送りを図る例が少なからず見られた。なお、キハ91形については一定の需要が存在し、しかもシステム的に共通点が多いキハ65形へ冷房装置取り付けや制御系の換装などを実施の上で編入改造することも検討されていたという。
  15. ^ ただし最高速度の低下は機関の負荷低減を意味するものではなく、むしろ勾配線における低出力のDMH17系機関搭載車との混用が主目的とされたことと変速機の仕様上速度域のほとんどがロスの多い変速段で占められることから、機関の負担はかえって増大する結果となった。
  16. ^ さらに全車が便所・洗面所装備のキハ58系と混用されることを前提として、便所・洗面所および水タンクの搭載も省略された。
  17. ^ DMF15HG系。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月24日 (土) 18:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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