国鉄457系電車

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国鉄451・453・455・471・473・475・457系電車
クモハ475形JR九州所属の国鉄色復元車
クモハ475形
JR九州所属の国鉄色復元車
営業最高速度 110(速度種別A14) km/h
設計最高速度 130 km/h
全長 20,500 mm(制御車)
20,000 mm(中間車)
全幅 2,950 mm
全高 4,090 mm
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500V
交流20kV 50Hz(451・453・455系)
交流20kV 60Hz(471・473・475系)
交流20kV 50/60Hz (457系)
主電動機 MT54系 120kW
MT46系 100kW(451・471系)
制御装置 シリコン整流器
抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
ブレーキ方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
勾配抑速ブレーキ(455・475・457系)

国鉄457系電車(こくてつ457けいでんしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交直両用急行形電車

本項では、同じ用途で設計・製造された451系453系455系471系473系475系の各形式についても解説する。

目次

[編集] 概説

1958年に運用開始された153系電車は、車体の両端に出入台を設け全席を固定クロスシート(ボックスシート)とした車両で客車を凌駕する居住性を有し、利用者からは好評であった。

また1950年代半ば以降は変電所など地上設備の数が少なく済み、初期コストが少なくなる交流電化を推進した結果、直流電化区間との直通車両が要求され、交直流いずれの電化区間も走行できる急行形電車が必要となった。

表 - 国鉄急行形交直流電車の分類
50Hz 60Hz 電動機出力 抑速ブレーキ
451系 471系 100kW(MT46) なし
453系 473系 120kW(MT54)
455系 475系 あり
457系

このため153系をベースとした交直両用電車として開発されたのが、本グループの第1弾となる451・471系である。

本グループは、増備過程での主電動機出力の変更や勾配抑速ブレーキの有無、さらに対応する交流電源周波数により細かいグループに分類されている(右表を参照)。以下、本項では各グループ別に解説してゆく。

基本的な仕様としては2扉のオールクロスシート車で、ほぼ直流急行形と同一であるが、客用扉にステップが設置されていることや交流20KVに対して絶縁距離を確保する目的から屋根上のパンタグラフ周りを低屋根構造にした上で主変圧器・主整流器などの交流機器を搭載していることが直流急行形との相違点である。

JR化後もJR東日本・JR西日本・JR九州で使用され続けてきたが、2000年代に入ってからは、車両の老朽化と新型車両によるサービス水準の向上(ドアの数や座席配置など)で運用には適さなくなり、さらに断熱材アスベストが使われていることなどから急速に廃車が進められ、現在はJR西日本所属車両のみが定期運用を持つ。

[編集] 系列別概要

[編集] 451系・471系

451系・471系は、401系・421系と同時に設計され、1962年に竣工した交直両用急行形電車の系列。153系の交直両用タイプに相当する形式である。

当初は特急形電車が検討されていたが、当時は交直流電車が誕生間もない頃で、技術上の課題が若干残されていたため、まず急行形電車として計画が進められた。

基本的には153系を踏襲しているが、短編成を組むことが考慮され制御電動車とパンタグラフ付き中間電動車で電動車ユニットを組む形で製造された。またクハ153形500番台と同じく高運転台構造が採用されたが、正面貫通扉付近のデザインは幌枠が突き出ているなど若干異なっており、翌1963年に登場する165系先頭車も本系列に準じている。電源周波数の違いにより、電動車では50Hz用車両に451系、60Hz用車両に471系の系列番号が付与された。ただし、商用周波数の違いとは無縁である制御車付随車については共用できるため、471系用も451形とした。

電動車に採用されたDT32形台車(モハ474-31)

また台車については、以後の国鉄特急・急行形電車の標準となるダイアフラム空気バネDT32・TR69系列が初めて採用された。

本系列は、運用線区の関係でホーム高さの低い線区が多いためにレール面上970mmの高さにステップが取付けられたが、クモハ451・471形第1次車は戸袋部分で枕ばりと側はりの結合が実施できなくなるので、車体強度の問題から乗務員室側客用扉については外吊方式とされた。しかし、雪の付着やトンネル入出時にかかる圧力からトラブルが生じたことにより、第2次車以降は通常の戸袋方式が採用され、第1次車についても同様の改造が行われた。これにより、重量が約900kg増加した。

クモハ451-1~12
451系の二等1969年以降普通)制御電動車で、急行形電車では初の制御電動車として登場した。定員76名。乗務員室助士席側後部に機器室が設置されたため、その部分に側窓がなく、機器室用冷却風取入口が設置されている点が外観上の特徴となっている。
451・471系は登場時に奇数東海道本線基準で東京駅方)・偶数(同神戸駅方)のどちらの方向を向けても運用可能な両渡り構造とされ、中間のサロを境にユニットを背中合せに連結することで両端が制御電動車となっていた。その後、冷房化による低圧電源ジャンパ線の追加やATSの導入促進で方向転換が困難になったことなどから奇数向きで統一され、偶数方をクハ451形とした。
また、床下艤装の関係上トイレ・洗面所用の水タンクは横手方向に取付けられた。これは後のクモハ165形などに踏襲された。1993年に形式消滅。
モハ450-1~12
クモハ451形とユニットを組む451系の二等中間電動車で、パンタグラフの他、主変圧器・主整流器などの交流機器を搭載している。定員84名。屋上機器配置の都合でパンタグラフ取付位置が車体中央に寄ったため、台車心皿間距離が他形式に比べて小さい。パンタグラフ取付部が低屋根構造となったため、低屋根部の室内天井にファンデリア(換気扇)が設けられ、その外気取入口が低屋根部に設置された。本形式とモハ470形の車体側面(2・4位側-東海道本線基準で山側)に主整流器冷却風取入口が2か所設けられているのが外観上の特徴となっている。主整流器は当初はRS5・RS5A形(モハ470形はRS7・RS7A形)であったが、後の冷房化にあたって両形式では整流能力が不足するため、モハ402・422形に使用されていたRS22・RS22A形との振替が1969年から施工された。1993年に形式消滅した。
クモハ471-1~11・13・15
交流60Hz対応の二等制御電動車で、定員76名。1~11・13(他にクモハ451-1~9)は新製時は乗務員室側客用扉が外吊戸であったが、後年は通常の形態に改造された。車両需給上の問題で偶数向き車が2組少なくなっていて、本形式およびモハ470形は12・14番が欠番となっている。
2009年4月現在、1962年製造の1・2・9の3両が改修を受けながら北陸本線で運用されている。主電動機がMT54系に交換されたために、473系と同性能になっている。
モハ470-1~11・13・15
モハ450形に相当する交流60Hz対応の形式で、定員84名。
2009年4月現在1・2・9の3両が在籍するが、本形式の特徴であった車体側面の主整流器冷却風取入口は主整流器の振替により不要となったため、改修の際に埋められた。
クハ451-1~40
451・453・471・473系の二等制御車。定員76名。当初、交直流急行形は編成両端とも制御電動車となっていたため、クハ153・165形が新製時は両渡り設計であったのに対し、新製当初より偶数向き固定使用設計で登場した。制御電動車と異なり、乗務員室助士席側後部に機器室がないため、出入台用の側窓が設けられた。
2009年4月現在30と33の2両が北陸本線で運用されている。455・457・475系とは抑速ブレーキは使用不可となるが、混結は可能。製造時期が短いこともあって、製造数は40両と多くない。
サロ451-1~26・101~105
451系の一等(1969年にグリーン車と改称)付随車で、定員48名。回送用の運転台を装備しており、妻面に小窓と標識灯が、屋根部に前照灯が設置されている。26はAU12S形冷房装置搭載準備車として製造されたので、屋根上の通風器の配列が異なる。1978年1986年に廃車となり、形式消滅した。
1963年登場の増備車は空気圧縮機(CP)を床下に搭載したため、100番台に区分された。
サハ451-1・2・101
二等付随車で、定員84名。0番台が2両とCPを搭載した100番台が1両の計3両が製造された。1986年に形式消滅した。
サハシ451-1~16
二等・ビュフェ合造付随車。サハシ153形の使用経験に基づいてビュフェ部分の構造が改良されており、アコモデーションや形態は後のサハシ165形0番台に踏襲された。床下に自車電源用MG(電動発電機)とCPを装備している。客室部の定員は36名。サハシ153形のビュフェでは「寿司コーナー」が設けられたのに対し、本形式では「そばコーナー」が設けられた[1]。また、本形式から調理器として電子レンジが本格的に採用されるようになった。1977年~1978年に廃車となり、形式消滅した。

[編集] 453系・473系

451系・471系それぞれの出力増強型で、50Hz用の453系が1963年、60Hz用の473系が1965年に登場した。163系の交直両用タイプに相当する形式である。

453系は列車増発のためにまとまった両数が製造されたが、予備車補充が目的だった473系については、ほどなく475系の増備に移行することが決定していたため、わずか1ユニットだけで製造が打ち切られている。

このグループは電動機の出力変更による形式区分であるため、制御車・付随車の形式については引き続き451形が付与された。

クモハ453-1~21
1963年に東北本線急行電車の出力増強および451系の常磐線準急列車増発への充当のためにクモハ451形の主電動機が100kWのMT46系から120kWのMT54系に主制御器と主抵抗器が変更され、水タンクがFRP製となった形式である。定員76名。5両が717系100番台、2両が455系200番台へ改造され、それ以外は1992年までに廃車となり、形式消滅した。
モハ452-1~21
クモハ453形とユニットを組む453系の中間電動車である。主電動機がMT54系に、主変圧器が変更され、水タンクがFRP製になったほかはモハ450形と同一である。定員84名。2・4位側に主整流器冷却風取入口が設けられているが、モハ452-21および後述のモハ472形は主整流器がRS22形に変更されたため、取入口は廃止された。1992年に形式消滅した。
クモハ473-1
1965年に製造された。クモハ453形に相当する形式で、定員76名。半年後に475系の製造が予定されていたので、1両のみの製造であった。
モハ472-1
473系の中間電動車で、モハ452形に相当する形式である。定員84名。クモハ473形と同じく1両のみの製造で、両車共に1986年に形式消滅している。

[編集] 455系・475系

クモハ455-12007年5月16日 大宮
クモハ455-1
2007年5月16日 大宮
455系運転台JR東日本所属車 デッキからの窓越し撮影
455系運転台
JR東日本所属車 デッキからの窓越し撮影

453・473系の制御装置に抑速ブレーキが追加されるなどした455・475系が1965年に登場。165系の交直両用タイプに相当する形式である。

電動車では50Hz用車両に455系、60Hz用車両に475系の系列番号が付与された。また、商用周波数の違いとは無縁である制御車・付随車については共用できるため、475系用も455形とされた。

抑速ブレーキは使用不可となるが、451・453、471・473系との併結は可能である。

また普通車の後期製造分は冷房装置搭載の準備工事もしくは新造時から搭載されたが、グリーン車は全車が新造冷房車となっていた。

クモハ455-37後位側 仙台駅(AU12S形冷房装置搭載車)
クモハ455-37後位側 仙台駅
(AU12S形冷房装置搭載車)
クモハ455-1~51
交流50Hz対応の制御電動車で、定員76名。主制御器・主抵抗器などの直流電機器が搭載されている。床下艤装は抑速ブレーキ追加に伴う主抵抗器の大型化や空気圧縮機の移設などでクモハ451・453形とは大幅に変更されている。冷房装置はAU13E形5基が標準だが、37~42はAU12S形対応冷房準備工事車のためAU12S形6基で冷房改造された。


モハ454-37
仙台駅
モハ454-1~51
クモハ455形とユニットを構成する中間電動車で、定員84名。455・475・457系ではCPの容量が倍増の上搭載車両が本形式およびモハ474・456形のみとなっている。9~はパンタグラフ脇の低屋根部のファンデリアが2基に増強された結果、外気取入口は3組から6組となった。37~42はAU12S形4基での冷房準備工事車であったが、他車と同じくAU72形集中式冷房装置が搭載されたため、屋根と天井が大改造されている。
クモハ475形
JR西日本所属車
クモハ475-1~53
交流60Hz対応の制御電動車で、定員76名。49~51はクモハ455-37~42と同様の理由で冷房装置がAU12S形6基搭載となっている。7両がクモハ717形200番台への改造種車となった。


モハ474-1~53
クモハ475形とユニットを構成する中間電動車で、定員84名。35~はパンタグラフ脇の低屋根部のファンデリアが2基に増強された結果、外気取入口は3組から6組となった。49~51についてはモハ454-37~42と同様の冷房化改造が行われている。7両がクモハ716形200番台への改造種車となった。
クハ455-1~75
制御車で、定員76名。65~は新製時からAU13E形冷房装置5基を搭載の上、出入台部の通風器は省略、冷房電源用に自車を含めて4両まで給電可能の容量110kVA MGを搭載している。1~61はAU13E形5基、冷房準備工事車の62~64はAU12S形6基で冷房化改造が施工された。
サロ455-1~45
グリーン車で定員48名。新造時からAU12S形6基搭載の冷房車であるが、最終グループである1970年製の42~では冷房装置がAU13E形5基に、冷房電源用MGが110kVAとされ、三相引通線が新設された。それ以前の車両は自車冷房電源用に20kVA MGが搭載されていたが、普通車も冷房化されたために北陸地区配置車を除いて4両まで給電可能の110kVAに換装している。
サハ455-1~8
付随車で定員84名。製造年は急行形電車としては最終期の1971年。全車が新造時からAU13E形6基を搭載し、床下には冷房電源用110kVAのMGを搭載する。
サハシ455-1~26
二等ビュフェ合造付随車で客室定員は36名。モハのCP容量が倍増したので、サハシ451形とは異なりCPを装備しない。21番以降はビュフェ部の窓側テーブル前にFRP製の椅子が設置された。ビュフェ部分は新製時からAU12形4基で冷房化されていたが、普通席部分も全車AU13E形2基で冷房改造された。なお、大分電車区配備のサハシ455形のみMGが40kVAから110kVAのものに換装された。

[編集] 457系

1969年に主変圧器を50/60Hz対応のTM14形に変更し、3電源形の457系となった。全車新製時から冷房装置を搭載している。また、制御車・付随車は455形が使用されている。

クモハ457-15
鹿児島駅
クモハ457-1~19
制御電動車で、定員76名。新造冷房車のため後位(トイレ・洗面所側)出入台部の通風器が省略されているのが特徴である。14は1995年にクモハ717-901に改造。
モハ456-15
鹿児島駅
モハ456-1~19
クモハ457形とユニットを組む中間電動車で、定員84名。新造時冷房車で、低屋根部のファンデリアおよび外気取入口は当初から省略された。当初搭載されたTM14形主変圧器は、絶縁油に毒性の強いPCB(ポリ塩化ビフェニル)を使用していたため、1978年~1985年にシリコン油を使用するTM20形への交換が施工された。14は1995年にクモハ716-901に改造。

[編集] 改造車

[編集] 形式間改造車

[編集] サロ451-107~119

サロ451形のうちCP装備をした車両は100番台に区分されているが、新製時からCPを装備していた101~105とは別に、1965年から1979年にかけて大井工場(現・東京総合車両センター)で0番台13両にCP搭載改造を行った。なお、106は欠番となっている。

サロ451-1~9・21・22・13・26→サロ451-107~119

[編集] クハ455-201

1973年に踏切事故によって廃車となったクハ455-45の補充として、1975年3月26日に廃車予定であった金沢運転所所属のサハシ455-18を郡山工場(現・郡山総合車両センター)で先頭車化改造を行った。クハ455形最終増備車同様の車体であり、車体長も新製車とまったく同一である[2]。AU13E形5基および冷房電源用110kVAのMGが搭載された。1993年に廃車。

サハシ455-18→クハ455-201

[編集] 455系200番台(453系からの編入車)

最初の455系化改造は、1969年にサロ451形3両をサロ455形に改造する工事が施工された。

サロ451-23~25→サロ455-201~203
クモハ455-202
1989年3月22日 仙台駅

1978年10月ダイヤ改正を機に仙台運転所の急行形車両形式統一が図られ、453系の455系編入改造工事が郡山工場で施工された。改造対象はクモハ453形・モハ452形・クハ・サロ451形(0番台)でMc車の主制御器・主抵抗器の交換(これに伴い床下水タンクが撤去されたためトイレ・洗面所も同時に撤去)、Mc・Tc車の主幹制御器の交換、各車両に抑速ブレーキ引通線増設などの改造が1978年1979年に施工された。このグループはオリジナルの455系と異なり、CPの大容量化とM'車への移設は施工されておらず、CPの配置は元車両のままとなった。

クモハ453・モハ452-19~21→クモハ455・モハ454-201~203
クハ451-25・26→クハ455-202・203
サロ451-14~20→サロ455-204~210

以上15両の改造が計画されていたが、

クモハ455・モハ454-201(クモハ453・モハ452-19)
サロ455-204・208(サロ451-14・18)

この4両は車両需給上計画番号にとどまり、実際には改造工事が行われず欠番となっている。クハ455-201とともに仙台運転所(現・仙台車両センター)に配属され、主に東北本線などで運用されていたが、719系701系の投入に伴い、クヤ455-1に再改造された1両以外は1994年に廃車された。

[編集] クハ455形300番台

クハ455-317
2006年7月22日 会津若松駅

普通列車への転用に伴い先頭車が不足することから、クハ165・169形900番台を改造編入したもので、1984年1985年に24両が改造された。ドアステップが設置された。特徴として架線電圧検知アンテナの台座がオリジナル車では角錐形状でホイッスルが埋め込まれているのに対し、改造車は台座が円錐形状でホイッスルが独立して取付られている。

クハ165-139・140・143・145~147・156・157・159~161・169・171・179~181・185・186・188・189・クハ169-901~904→クハ455-301~324


[編集] クハ455形400番台

クハ455-405
2007年4月29日 仙台駅

300番台と同じくクモハ165・169形900番台を電装解除の上編入したもので、1984年1985年に5両が改造された。300番台と同じくドアステップや架線電圧検知アンテナなどの設置、台車のTR69系への振替が行われたが、種車の関係で前部デッキ屋根上の通風器の形状が異なり、種車の主電動機冷却風取入用通風器が存置されるなど微妙な差異が見られるが、後に401と405ではこれを撤去した。

クモハ165-107・クモハ169-901~904→クハ455-401~405


[編集] クハ455形500番台

クハ455-501
2002年3月30日 八代駅

交直流急行形では電動車は全て制御電動車ユニットであり、中間電動車の奇数形式が存在せず編成長に応じて制御電動車ユニットを配していた経緯から、普通列車への転用における短編成化では、対となる制御車が不足することとなった。 本番台はその皮切りとしてサハ165形を先頭車化改造の上で455系に編入したもので、1983年に5両が改造された。300・400番台と異なり、新設された運転台はクハ411形500番台に準じたものであるため、外観及び運転台の交直切替スイッチ周りに微妙な差異が見られる。501のみ種車同様AU13E形6基が搭載されたが、それ以外は前位寄の1基が新設した前位デッキと競合するために撤去された。

サハ165-1~4・6→クハ455-501~505


[編集] クハ455形600番台

クハ455-605

サロ455・165形に運転台を取付けた上で普通車に格下げしたもので、1984年1985年に11両が改造された。

外観・車内設備を含めて種車のものがそのまま活かされているが、前位デッキと競合する冷房装置は撤去されている。サロ455形を種車とするものはグリーン車特有の2連窓が残っているが、サロ165形を種車とするものはサロ時代に2段式ユニット窓改造済みであったなどの差異特徴がある。シートも近郊形改造した車両のロングシート部分を除き種車のグリーン車用リクライニングシートがそのまま残された。その後、更新工事の際に一般のボックス式クロスシートに交換された車両では、窓と座席の間隔は合っていない。

2007年現在では鹿児島にサロ455形改造の605が唯一現存している。

サロ455-36・42・43・44・45・サロ165-101・122~124・129・133→クハ455-601~611

[編集] クハ455形700番台

クハ455-701
2006年4月10日 富山駅

サハ455形を松任工場で先頭車化改造した車両で、701と702の2両が1986年および1987年に改造された。他の455系改造車と異なり、471系・473系の更新改造車である413系と編成を組むために改造されたものであるが、種車が経年30年未満であったため車体更新は行われなかった[3]。413系に合わせて引き通し線が回路変更されており、ジャンパ連結器も413系用のKE96形を装備するため、475系の制御車としては使用できない[4]。側面窓の一部が固定化され、その上部に電動行先表示器を装備しており、運転台なども413系に準拠している。

サハ455-1・6→クハ455-701・702


[編集] クロハ455-1

ファイル:クロハ455-1 1位側.JPG 1990年磐越西線快速ばんだい」(当時、その後愛称廃止)用としてクハ455-44に郡山工場で前位側側窓3窓分のグリーン席化・リクライニングシート取付などの改造を施工した。1999年にグリーン車としての運用はなくなったが、営業運転終了までそのまま普通車扱いで運行されていた。また仙台配置車のトイレと洗面所はJR化後にクハ455形を除いて撤去・閉鎖されたが、本形式ではこれらが撤去されて荷物置場と電話室が置かれたため編成を組むモハ454-40はトイレと洗面所が残された。この編成(S-40編成)は1997年に当時運行していた特急「ビバあいづ」のグリーン車の向きに合わせて方向転換が行われ、その際に他編成との連結を考慮し引通しが逆向きに改造されている。当初は仙台色で緑色の帯を二重にまとっていたが、その後磐越西線専用塗装に変更。1999年12月~2005年6月まで「BAN-ETSU LINE 455」のロゴを消し、東北本線系統で運用(時折磐越西線運用に入ることもあった)。同年7月以降は、再度「あいづデスティネーションキャンペーン」により磐越西線運用に復帰したが、キャンペーンキャラクターである「あかべぇ」のステッカーは、つけられないままであった。

クハ455-44→クロハ455-1

[編集] クヤ455-1

1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため、保留車を活用して訓練用編成を整備することになった。455系ではクハ455形をベースにし、室内は座席を一部撤去、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育用モニタ、ビデオを搭載したクヤ455形に改造。455系の1番ユニットと編成を組み、塗装は交直流急行色に白帯と「訓練車」の表記が入れられていた。2006年11月14日に編成に組まれていたクモハ455-1の鉄道博物館展示準備を兼ねて郡山総合車両センターへ廃車回送されて形式消滅している。

クハ455-203→クヤ455-1

[編集] 近郊化改造

1982年11月15日国鉄ダイヤ改正では九州地方の、1985年3月14日国鉄ダイヤ改正では東北北陸地方の電車急行が全廃となったため、捻出された車両は普通列車に充当されることとなり、1984年から一部車両が近郊形対応の改造を受けた。改造の内容は、洗面所の廃止や車端部座席のロングシート化、ならびに吊手の新設や一部車内仕切りの撤去などが挙げられる。

また、先頭車両が不足したために余剰となったグリーン車や付随車に運転台取付が行われた車両や、165・169系からの編入改造時に近郊化改造を同時施工した車両も存在する。

また、本系列の一部は地方都市圏の輸送改善を目的に車体更新をして近郊形電車に改造された。

詳細は国鉄413系・717系電車を参照。

[編集] 急行・快速列車としての運用

本系列は東北や北陸・九州といった交流電化地域を中心に配備され、主に東京大阪とを結ぶ急行列車の運用に就いていた。

しかし、その後特急格上げや快速格下げなどで急行列車自体が減少していったことから、ローカル運用を担うようになった。本節では、急行列車として運用された時代について記す。

[編集] 東北方面

1962年の451系落成当初は勝田電車区(現・勝田車両センター)に配置され、翌1963年からは仙台運転所にも配置された。北は青森、南は上野(一時期は東京)、臨時列車では万座・鹿沢口のほか私鉄である伊豆急行伊豆急行線伊豆急下田伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺まで乗り入れている。主として東北本線系統は仙台車が、常磐線系統は勝田車が運用を担当。また仙台車は、郡山福島などで列車編成の分割・併合が行われる運用もあった。詳細は東北本線優等列車沿革も参照。

[編集] 勝田電車区

投入直後は準急「ときわ」と急行「みやぎの」に充当された。

  • ←上野McM'TsTsTbTM'McM'Mc→日立・仙台
もしくは、
  • ←上野McM'TbTsTsTbM'McM'Mc→日立・仙台

翌1963年にはクハ451形が配置され、10月1日から「みやぎの」を仙台運転所に移管。同時にサハ451形とサハシ451形も全車仙台に転出。以後は次の編成で常磐線中心の運用に投入された。

  • ←上野TcM'McTsTsTcM'Mc+TcM'Mc→勝田・日立・平
勝田側3両が付属編成。

1968年10月のダイヤ改正では、グリーン車1両が減車され、一部編成では中間閉じ込みのクハ451形がサハ451形に置き換えられている。 その後、1972年3月15日のダイヤ改正で編成が再度変更された。1985年の運用終了まで次の編成で運用された。

  • ←上野TcTsM'McTcM'Mc+TcTsM'Mc→勝田・日立・平・仙台

なお、「つくばね」は1968年登場当初は仙台運転所の付属編成による運用であったが、1978年10月2日国鉄ダイヤ改正で勝田に移管されている。また、「あぶくま」は1972年3月の改正で白河-仙台から盛岡発着に運転区間が延長された際に「もりおか」と共通運用とされ、仙台から移管されている。

準急→急行
急行
  • 「みやぎの」(上野~東北本線~仙台 ~1963年)
  • 「そうま」(上野・水戸~仙台 1972年「ときわ」に統廃合)
  • 「もりおか」(上野~常磐線~盛岡 1972年~1982年)
  • 「あぶくま」(白河~盛岡 1972年~1982年)
  • 「つくばね」(上野~東北本線・水戸線勝田 1978年~)
臨時急行

[編集] 仙台運転所

1963年10月に「みやぎの」運用を勝田電車区から移管[5]されたのと同時に「松島」「青葉」の電車化のために新たな配置区となり、次の編成が組成された。

  • ←上野TcM'McTsTsTbM'Mc+TcTM'Mc→仙台
TはTcの場合がある。

しかし、東北本線に介在する勾配区間や1968年以降に乗り入れる奥羽本線に対応するために455系が集中配置[6]されるようになり、1967年7月の磐越西線喜多方電化により次の編成に変更されている。

  • 上野・喜多方←TcM'McTsM'Mc+TcTbM'McTsM'Mc→山形・会津若松・仙台・盛岡・青森
青森方Tb組込が基本編成、上野方が付属編成。
付属編成は磐越西線の需要・ホーム有効長の問題、奥羽本線板谷峠に存在する最大33の急勾配区間対策によるM:T比2:1以上と抑速ブレーキ装備の制約から、455・457系限定の6両編成で組成された。その結果、「ざおう」・「ばんだい」の併結運転では下記のような付属編成2本組み合わせによる運用も存在した。
  • 上野・喜多方←TcM'McTsM'Mc+TcM'McTsM'Mc→山形・会津若松

また、付属編成単独で運転されていた「あぶくま」「くりこま」「つくばね」や上記の編成とは別に増結用でもあり、「仙山」をはじめとするローカル運用や臨時運用に投入されるTcM'Mcのみの編成も存在した。

その後、ビュフエの営業休止に伴い1977年からTbが編成から外され、基本・付属共に共通の6両編成となったが、さらに1984年2月からは次の編成に短縮され、基本編成と付属編成の位置が逆転している。

  • 上野・喜多方←TcM'McTsM'Mc+TcM'Mc→山形・会津若松・仙台・盛岡・青森

1985年に東北本線系統の電車急行が全廃となり、以後はローカル運用に転用された。なお、仙台車で運転された主な列車を次に示す。

準急→急行
  • 「あぶくま」(白河~仙台 1972年まで)
急行
  • 「いわて」「きたかみ」(上野~東北本線~盛岡)
  • 「みやぎの」「青葉」「松島」→「まつしま」(上野~東北本線~仙台
  • 「あづま」(上野~福島)
  • ざおう(上野~山形
  • ばんだい(上野~会津若松喜多方
  • なすの白河→上野 ~1985年[7]
  • 「つくばね」(上野~水戸線~勝田 ~1978年)
急行→特別快速・快速
  • 「仙山」(仙台~山形 快速格下げ後は仙台~山形・上ノ山新庄
急行→快速
  • 「くりこま」(仙台~青森 快速格下げ後は仙台~盛岡)
1972年3月15日国鉄ダイヤ改正で仙台~青森間の「くりこま」2往復を電車化することになった際に、「エコーもりおか」(詳細は後述)の速達性が好評だったことから1往復を全車座席指定席で停車駅を大幅に減らし、485系特急列車が4時間30分程のところを4時間45分で結ぶ特急並みのダイヤ・列車設定を行った[8]
本来なら特急として運転しても遜色のない急行列車であったが、こちらは1往復だけ特急化することに当時の社会情勢も踏まえて仙台鉄道管理局が難色を示した上に対上野口のエル特急を大増発したために485系の運用に余裕がなく、急行列車として運転されることになった。この列車は途中で定期の気動車急行「たざわ」を追い抜くというダイヤが組まれており、表定速度81.6km/hは歴代急行列車第2位[9]であった。1982年東北新幹線開業で「くりこま」は快速列車に格下げ。さらに盛岡~青森間は「はつかり」に発展的解消を遂げている。
臨時急行
  • 「もりおか」→「エコーもりおか」(上野~東北本線~盛岡)
  • 「エコーあおもり」(白河~青森 定期「あぶくま」の仙台~青森を延長運転。下りのみ設定)
「もりおか」は1971年春期に本来は特急「やまびこ」の臨時列車と計画されていたが、485系の予備車捻出ができずに急行列車として運転された。停車駅を大幅に減らした結果約6時間30分という定期「やまびこ」と比較しても20分程度しか差がないダイヤ設定がされた。同年夏期からは翌1972年3月15日のダイヤ改正で常磐線経由の定期「もりおか」が運転開始されるなどの諸事情から「エコーもりおか」に改称され、引き続き1972年夏期まで運転されたが、同年秋に485系が大量増備されたために臨時「やまびこ」に格上げされ発展的解消となった。
「エコーあおもり」は、「エコーもりおか」の好評を受けて1971年秋期・冬期に運転された臨時列車。翌1972年3月15日改正で「あぶくま」の勝田移管と定期「くりこま」への本系列投入で発展的解消となるが、本系列が東北本線盛岡以北で営業運転を行った最初の事例でもある。

[編集] 北陸地区

急行ゆのくに
1978年 大阪駅

1962年7月から敦賀第二機関区(現・福井地域鉄道部敦賀運転派出)に配置され、同年年末年始輸送の臨時急行「越前」と名古屋~大阪間の準急「比叡」に投入[10]。翌1963年4月から定期急行列車での運用が開始され、1964年の北陸本線富山電化以降は金沢運転所(現・金沢総合車両所)への転属・集中配置となっている。

東は糸魚川、西は大阪まで運用[11]を担当。1970年7月15日から1982年まで富山地方鉄道本線宇奈月温泉立山線立山まで、「常磐伊豆」とともに交直流急行形電車の私鉄乗り入れという珍しい運用も見られた。

なお、投入当初は次のような編成を組成していた。

  • 大阪←McM'TbTsTsTbM'McM'Mc→金沢
    • 臨時列車などに投入される場合、Tb2両減車の8両編成が組成されるケースもあった。

1964年1月にクハ451形が新造され、4月以降次のような編成に順次変更された。

  • 大阪・米原←TcM'McTbTsTsTbM'Mc+TcM'Mc→名古屋・金沢
    • 金沢方3両が付属編成。

1967年にはTb1両減車の上でさらに次の編成に変更。

  • 大阪・米原←TcM'McTcTsTsTb[12]M'Mc+TcM'Mc→名古屋・金沢
    • 金沢方3両の付属編成は475系限定で、単独もしくは2本連結の上で「くずりゅう」運用や臨時列車にも投入された。
    • サハ455形配置後は、一部編成の大阪方4両目TcをTに置き換えている。

1973年11月より、食堂要員を特急に集中するためにビュッフェ営業を休止。

1975年より冬期のみ基本編成からTsTbを抜いた減車編成で運用される。

  • 大阪・米原←TcM'McTsTM'Mc+TcM'Mc→名古屋・金沢

1978年4月より12両編成に復帰せず、1978年10月改正で冬期減車編成が基本となり、ヘッドマークも小型化された。

1982年11月の改正で「くずりゅう」を除き特急列車に格上げもしくは廃止され、「くずりゅう」も1985年3月の改正で廃止となり、北陸地区での本系列の急行運用に終止符が打たれた。

投入された主な列車を以下に示す。

準急→急行
急行→準急→急行
急行
  • ゆのくに」「加賀」(大阪~金沢)
  • 「立山」「越山」(大阪~富山・糸魚川・宇奈月温泉・立山)
  • 兼六名古屋~金沢)
快速
  • 「こしじ」(福井~富山)

[編集] 山陽・九州方面

1965年南福岡電車区に配置され、10月のダイヤ改正から東海道本線山陽本線鹿児島本線日豊本線系統の急行列車として運用が開始。東は名古屋[17]、南は西鹿児島までの運用を担当。名古屋~博多間のロングランや小倉で列車編成の分割・併合が行われる運用もあった。

そのため、鹿児島まで電化が完成した1970年10月1日に一部車両が鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)に転属したのを皮切りに、1973年10月1日には鹿児島の他に大分電車区(現・大分鉄道事業部大分車両センター)にも転属となり、南福岡の配置がなくなった。山陽新幹線博多開業によるダイヤ改正で本州内での急行運用がなくなり、大分電車区に集中配置となった。その後の運用見直しで1980年から一部車両が鹿児島に再転出しているが、1982年11月のダイヤ改正をもって九州地区での急行運用が消滅している。詳細は山陽本線優等列車沿革も参照のこと。

編成については、1965年投入当初は次の編成が組成されていた。

  • 熊本←TcM'McTbTsTsM'Mc+TcTbM'Mc→大阪・名古屋
    • 大阪方4両が付属編成。

1968年10月1日改正以降は編成数増加のためにTsと付属編成のTbを外し、以下の編成に変更となった。

  • 熊本←TcM'McTbTsM'Mc+TcM'Mc→大阪・名古屋

1978年10月改正で、Tbが外され基本編成が6両となっている。

  • 熊本・西鹿児島←TcM'McTsM'Mc+TcM'Mc→博多・門司港

また、一部列車や臨時列車には他地区同様TcM'Mc3両を組み合わせた6両・9両編成での運用も行われた。 なお、投入されたの主な列車を以下に示す。

準急→急行
急行
  • 「はやとも」「玄海」(名古屋~博多)
  • 「つくし」新大阪・大阪~博多)
  • 「山陽」「はやとも」広島~博多)
  • 「有明」「しらぬい」(岡山~熊本
  • べっぷ」(新大阪~大分
  • ゆのか(博多~日豊本線~大分)
  • 「かいもん」(博多~鹿児島本線経由~西鹿児島)
  • 「そてつ」(熊本~西鹿児島)
  • 「日南」門司港・小倉~日豊本線経由~西鹿児島)
急行→快速
  • 錦江(宮崎~西鹿児島)
快速
季節・臨時急行
  • 鷲羽(新大阪~宇野 1972年3月~1975年3月 )

[編集] 急行運用以後

2009年4月現在、JR西日本在籍車のみが定期運用を持っている。JR東日本在籍車は2008年度内で全廃され、JR九州在籍車は全て保留車となっている。

[編集] 東北地区

455系JR東日本所属車2006年12月23日 郡山駅
455系JR東日本所属車
2006年12月23日 郡山駅
モハ454形の車内2003年8月9日
モハ454形の車内
2003年8月9日
455系さよなら運転2008年3月23日 郡山駅
455系さよなら運転
2008年3月23日 郡山駅

1985年に東北本線系統の電車急行は廃止となったが、仙台運転所(後の仙台電車区、仙台車両センター)に所属していた451系や455系は、以前より運用範囲は狭くなったものの、普通列車や快速列車として、引き続き東北本線や常磐線、仙山線、磐越西線で運用された。

東北本線では、急行から格下げされた快速「くりこま」の運用で盛岡まで足を伸ばしていたが、「くりこま」が廃止された後は、主に黒磯から一ノ関の間で普通列車として運用された他、快速「仙台シティラビット」の運用の一部にも就いた。また、東北本線から第三セクター鉄道の阿武隈急行線への乗り入れ車両としても用いられた。

常磐線では、仙台~水戸間で普通列車として運用された(E531系導入に伴い、2005年にいわき~水戸間の運用は終了)。2007年の車両置き換え直前まで9両編成での運用が見られた。

仙山線では、普通列車や快速「仙山」として全線で運用された。奥羽本線の福島~新庄間が標準軌に改軌される以前は、同線の上ノ山や新庄まで乗り入れていた。

磐越西線では、電化区間である郡山と喜多方の間で、普通列車や快速「ばんだい」として運転された。「ばんだい」の一部列車には客室の半分をグリーン車として改造されたクロハ455形を連結する編成が用いられていた。急行運用以後の455系で、グリーン席、指定席を設けていた特異な例であったが、1999年にグリーン席、指定席の取り扱いは終了した(座席自体はそのまま残された)。

以上の路線で運用されていたが、車内の一部をロングシート化していたものの、ラッシュ時の混雑などに対応しきれなかった事もあり、まず2001年に仙山線での運用から外れた。また、車両の老巧化もあり、E721系の投入を機に、417系717系と共に、2007年から2008年にかけて他の路線でも置き換えが行われ、2008年3月14日をもって定期運用が終了した。2008年3月22日に仙山線(仙台~山形)、23日に東北本線(仙台~郡山)でさよなら運転を行い、JR東日本仙台地区での営業運転を終了した。その後は順次、郡山総合車両センターへと回送された後に廃車、解体された。2008年度内で全車が廃車となりJR東日本から本形式は消滅した。

仙台車両センターの455系には、車体を更新した編成とそうでない編成が混在していた。車体を更新した車両は、先頭車両の一体化された前照灯と標識灯などが外観上の特徴であった。また、末期には東北色車とS-40編成は正面の種別・行先表示器が幕式からLED式への換装が行われた。また、仙台地区でのATS-Ps導入による表示器の設置や、一部車両における常磐線いわき駅構内のATS-P導入に対応した表示器の設置など、機器の交換、設置などがたびたび行われていた。

編成番号は、455系はS+電動車ユニットの車両番号で表記されていた。例えばクモハ455-19以下3両編成の場合はS-19編成となった。457系の場合はユニットの若い順から車号に関係なくS71~73に編成に編成番号が定められていた。

[編集] 北陸地区

475系新北陸色前3両は増結編成通風器の撤去や前照灯の交換などの実施が特徴。
475系新北陸色
前3両は増結編成
通風器の撤去や前照灯の交換などの実施が特徴。
JR西日本の国鉄色復元車2008年4月 福井駅
JR西日本の国鉄色復元車
2008年4月 福井駅

西日本旅客鉄道(JR西日本)所属車両は金沢総合車両所に在籍し、原則として北陸本線敦賀直江津間で運用される。Mc-M'-Tで編成を組むものが4本あり、これらは他の編成の直江津側に増結されて運用される。

つららによる破損を防ぐために先頭車前頭部の列車種別表示器が塞がれているほか、の浸入によるMGの故障を防ぐためにクモハの前頭部箱型通風器のうち運転士側のMG冷却風用が撤去され、室内デッキから採風する方式に変更されている。修繕により、現存する471系全車と475系の一部は側窓のサッシが交換されオリジナルと形状が異なっており、MG用以外の屋上通風器の撤去や側面行先表示機の設置などの改造も進行中である。また、Mc-M'車のトイレ・洗面台は閉鎖あるいは撤去されている[18]

かつては北陸本線米原~敦賀間・湖西線近江今津近江塩津間および富山港線でも運用されていたが、前者は直流電化への切替に伴う223系125系521系の投入によって2006年10月20日限りで、後者は富山ライトレールへの転換のため同年2月28日限りでそれぞれ撤退。またA16・A19の2編成は交直流急行色に塗装変更[19] され、2006年9月23日「リバイバルくずりゅう」として運転されている。

[編集] 九州地区

九州旅客鉄道(JR九州)管内では、以下の路線で運用されていた。かつては熊本地区でも運用され、一部は博多まで乗り入れていた。

なお、稀に臨時列車へ充当されることがある[20]ほか、他系列の検査入場時などの代走運転に充当されることもある[21]

国鉄時代も含めて九州管内に配属されたのは475・457系のみであるが、国鉄末期のサロ455形先頭車化改造時に先頭車が不足した際に、金沢運転所からクハ451形を2両を借り受けた例[22]がある。また、鹿児島車は鹿児島本線上で、大分車は日豊本線上で、ともに鹿児島中央方がクハ455形となっている。したがって両車は鹿児島中央駅でクハ455形同士が向い合う形となる。このため、両区所間での車両の転属や貸し出しは方向転換を伴っていた。

[編集] 車両塗装

オリジナルの車両塗装は、地色を赤13号ローズピンク[23])として、窓周りにクリーム4号の帯をまとった「交直流急行色」と称される配色であった。60Hz電源用の車両は、当初、識別用のクリーム色の細帯を電動車のみに、後に編成全車の下部に巻いていたが、457系登場後に塗装工程省略の見地からこの細帯は廃止された。これらのオリジナル塗装は、国鉄時代末期になると地域ごとに独自のカラーリングへと塗り替えられていった。

[編集] 仙台地区

455系東北色(手前)・磐越西線色(赤)・仙山線色(青)
2002年1月10日 郡山駅

仙台地区に在籍する車両は、715系1000番台に準じたクリーム10号[24]アイボリー)の地色に緑14号の帯の配色に変更された。前面に回り込んでいる帯の部分が菱形になっているのが特徴で、東北地域本社色と呼ばれた。

[編集] 学生によるデザイン

1995年仙山線のイメージアップを狙って東北芸術工科大学の学生によってデザインされたパッチワーク模様の塗装とした編成が登場した。S41編成がこの塗装変更を受け、1年間に渡り運用された。また、1996年にはS19編成が同大学の学生によってデザインされた「オプティカル塗装」に変更の上で1年間仙山線で運用され、その奇抜なデザインで沿線利用客の話題となった。

[編集] 専用塗装

1996年には磐越西線向けの、1997年には仙山線向けの専用塗装がそれぞれ登場している。共にデザインは同じで、配色とロゴが異なっている。

磐越西線向け塗装2006年12月23日 郡山駅
磐越西線向け塗装
2006年12月23日 郡山駅
磐越西線向け
赤をベースに、1編成3両に渡って磐梯山をイメージして山なりに抜かれた白地が特徴。「BAN-ETSU LINE 455」ロゴ[25]が前面と側面に表記された。
2005年から「あいづデスティネーションキャンペーン」の一環として「あかべぇ」のイラストが追加されたが、2007年6月30日をもって磐越西線での運用を終了した。2007年9月2日には郡山~喜多方間で臨時列車「さよなら455系あかべぇ」号がS-6[26]+S-2編成で運転され、「あかべぇ」が涙目をしているヘッドマークが掲出された。
仙山線向け塗装
仙山線向け
青をベースに、1編成3両に渡って蔵王連峰をイメージして山なりに抜かれた白地が特徴。「SENZAN LINE 455」ロゴが前面と側面に表記された。しかし2001年に仙山線からの運用離脱に伴い、しばらくロゴのみが消された状態で東北本線や常磐線で運用されたが、その後仙台地区塗装に戻された。

[編集] 北陸地区

北陸地区向け塗装

1985年に登場した419系が、赤2号の地色にクリーム10号の帯[27]の「旧北陸色」が採用された。後に本系列もこの塗装が採用されることになったが、分割民営化後の1988年にイメージチェンジでオイスターホワイトを地色としてコバルトブルーの帯を配した塗装[28]に変更された。1991年に全車塗り替え完了後、現在も引き続き採用されている。

また2005年2006年には、2編成がリバイバルで交直流急行色に変更されている。クハを含めた編成全体に60Hz電源識別用の細帯が再現されているが、車両によって細部の塗分が異っている。

[編集] 九州地区

九州地区向け塗装

クリーム10号の地色に青23号の帯が入った九州標準色であるが、GK-5編成は2000年ミレニアム記念として交直流急行色に変更された。こちらも60Hz電源識別用の細帯が再現されているが、北陸地区とは異なり、クハに帯が入らない初期の仕様である。

[編集] 保存車

クモハ455-1・モハ454-4・クハ455-4
埼玉県さいたま市大宮区[29]鉄道博物館で静態保存。
  • クモハ455-1は、旧国鉄色[30]で館内ヒストリーゾーンにて展示。
  • モハ455-4・クハ455-4は、仙台色のまま[31]屋外で休息スペースとして利用されている。

[編集] 参考文献

JTBパブリッシング
ジェー・アール・アール
  • 『国鉄車両シリーズ2 交直流急行形電車』1983年
鉄道ジャーナル社
鉄道ジャーナル
  • 1980年4月号 No.158 急行形交直流電車
電気車研究会
鉄道ピクトリアル
  • 1986年9月号 No.469 急行形交直流電車
  • 1996年4月号 No.619 455・475系電車の現状
  • 2007年4月号 No.788 451~475系電車
イカロス出版
『季刊j-train』
  • Vol.1~5(2001~2002年)「交直流急行形電車451~475系 その1~5」
プレス・アイゼンバーン
とれいん
  • 2006年7月号 No.379 東北・北陸・南九州 交直流急行形電車大全
『レイル』
  • 2007年 No.60 交直流急行形電車の45年
交友社
鉄道ファン
  • 2007年7月号 Vol.47 No.555 JR車両ファイル2007

[編集] 脚注

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  1. ^ 西日本地区で運用されたものはサハシ455形も含め「うどんコーナー」であったという説もある。
  2. ^ 『鉄道ピクトリアル』、電気車研究会、1986年9月。 『鉄道ピクトリアル』、電気車研究会、2007年4月。
  3. ^ 『鉄道ピクトリアル』、電気車研究会、2007年4月。
  4. ^ ただし413系の先頭車同様、前位側にはKE76形ジャンパ連結器を装備するため、475系との編成単位での併結は可能である。
  5. ^ 完全移管に先立ち6月から早期落成車と転属車によって運転されている。
  6. ^ 455系配置によって451・453系の多くは勝田区に玉突き転属しているが、それでも一部車両は仙台に残留。また、200番台を除くクモハ455形+モハ454形のユニットは全車仙台に新製配置されているが、30~32のみ1980年~1985年の間、勝田区に転属している。
  7. ^ 前日夕方、上野に到着した455・457系を折り返し上野口ローカル運用に投入。付属編成は、黒磯滞留。基本編成は白河滞留(後年、小山から早朝の普通列車で送り込むようになる)とし、翌朝の上りのみの設定で上野入りさせ、東北急行に充当させる間合い運用であった。
  8. ^ これにより鉄道利用による、仙台-札幌の日着が可能となった。
  9. ^ 歴代最速は711系電車による札幌旭川間のノンストップ急行「さちかぜ」の85.5km/h。
  10. ^ 大垣電車区(現・大垣車両区)と高槻電車区(現・吹田工場高槻派出所)に貸し出し、捻出された153系を東京~姫路間の臨時急行「第2はりま」に充当。
  11. ^ 急行運行終了時まで先頭車の貫通扉にヘッドマークを装着していた。
  12. ^ サハシ451-7~12・16、サハシ455-18・22・24。
  13. ^ 準急時代の運転区間は、敦賀~金沢。
  14. ^ 1962年12月28日~1963年1月7日運転の臨時急行列車。
  15. ^ 1963年4月20日~1964年9月30日運転の定期準急列車。
  16. ^ 1964年10月1日~1965年9月30日運転の定期急行列車。1965年10月1日「ゆのくに」に統合され、愛称は上野~福井間の客車急行に変更。
  17. ^ 間合い運用の普通列車で中央本線中津川まで入線。
  18. ^ 例外として、トイレ未装備のクハ455-302や閉鎖されたサハ455-2などと編成を組むクモハ475-16・41などの一部のMc車にはトイレが残されている。
  19. ^ 2008年11月現在でも塗装は国鉄色のままで戻されていない。
  20. ^ 2007年8月16日18日に行われた川内・錦江湾の花火大会向け臨時列車などで実績がある。
  21. ^ 2008年3月10日から3月31日までの間、717系と併結し415系の代走運転に充当された。railf.jp news
  22. ^ 1984年12月21日~1985年4月24日にかけてクハ451-20・31の2両を鹿児島運転所が借り受けている。なお、この2両は貸し出し中の1985年3月31日付で仙台運転所に転属している。
  23. ^ 就役当初はセクシーピンクと呼ばれていた。
  24. ^ 715系1000番台は当初はクリーム1号
  25. ^ 当初は「BAN-ETSU RAPID 455」となっていたが、快速以外にも運用されていたため修正。
  26. ^ S-6編成のクモハ455-6は前頭部の箱型通風器が「ハの字」に取付けられている変形車。
  27. ^ 身延線115系の登場時と同一塗装である。なお帯はステッカーで表現され、塗装工程の簡素化が計られていた。
  28. ^ 「旧北陸色」の全車塗り替え前に新塗装に変更が決定した。
  29. ^ 一部敷地は北区に跨っている。
  30. ^ 元S-1編成。一旦、仙台色になるも後に訓練車編成となったために再度旧国鉄色に復元された経歴を持つ。
  31. ^ 2007年5月に郡山総合車両センターでの整備後に大宮総合車両センターへ配給回送され、その後除籍されているが、整備の際にクハ455-4は正面の種別・行先表示器が方向幕に復元されている。

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最終更新 2009年9月21日 (月) 08:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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