国鉄C11形蒸気機関車

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国鉄C11形蒸気機関車(こくてつC11がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車である。

Cのチョンチョンという愛称で呼ばれることもある。

C11 1(2006年5月14日撮影)青梅鉄道公園

目次

[編集] 開発経緯

1920年代の国鉄では、大恐慌を背景として予算が削減され、大型制式蒸気機関車の新製投入で余剰となった6200形などの鉄道国有化以前に製造された2Bテンダー機関車を改造したタンク機関車を、支線区の運用や都市部の区間運転などに充てていた。

しかし、それらは改造の時点で製造から既に20年前後が経過しており、改造後10年を経ずして老朽化のために休車扱いとなる車両が発生するなど、その状態は思わしくなかった。また種車の形式が種々雑多で構造や交換部品の仕様などが完全には統一されておらず、保守作業の規格化という観点からも望ましくなかった。

さらに、当時建設を計画中の路線群についても建設コストの引き下げが強く求められたため、軌道規格の引き下げなどで従来国鉄が量産していた制式テンダー機関車では入線が難しい路線が出現しつつあった。

そこで制式テンダー機関車ではもっとも小型であったC50形を基本とし、これを改良して国鉄としては1917年の4110形最終増備グループ以来13年ぶりとなる、新設計の制式タンク機関車が作られることとなった。

その先駈けとなったのはC10形蒸気機関車で、これは主として都市部に配置され、短区間の折り返し運転による快速列車運用などで好評を博した。

だが、このC10形は自重が重く、軸重制限の厳しい丙線以下の支線区へ投入するには適さないという問題があった。そこでその設計を見直し、折から実用化が急速に進みつつあった電気溶接技術を積極的に取り入れるなどして新技術を導入することで、動軸重を13t以下に抑えた改良型を製造することとなった。

先行して設計されたC54形で得られた知見も盛り込んだ本形式は、自重を約3t削減し当初の計画通り動軸重を最大12.5tの範囲内に収めてC10形と比較して入線可能線区を大幅に拡大することに成功[1]、その設計で得られた知見はC54形の後継機種となるC55形の設計にフィードバックされて以後の国鉄大型制式機の設計に大きな影響を及ぼしている。

[編集] 製造

運転席(C11 75、倉吉線鉄道記念館

1932年(昭和7年)から1947年(昭和22年)までの16年間に381両が汽車製造会社川崎車輛日立製作所日本車輌製造の各社により生産された。生産時期によって1 - 4次までのバリエーションがある。C10形に比べると溶接部分が多く、除煙板(デフレクター)が装備されているなどの特徴がある。

また、民間向けに製造されたものも少なくなく、11社へ計20両が納入されている。

  • 1次形 (C11 1 - 23)
    本形式の基本型で、ボイラー側面の重見式給水加熱装置と、第1缶胴上に設けられた蒸気ドームが特徴である。2次形の一部まで取り付けられていた重見式給水加熱装置は期待した性能を発揮できなかったため、戦後間もない頃までに撤去された。
  • 2次形 (C11 24 - 140)
    アーチ管が取付けられ、1次形では第2缶胴上にあった砂箱と蒸気ドームの位置が互いに入れ替わった。これは、下り勾配で缶水が前方にいった場合に、蒸気ドーム内に缶水が入る恐れがあったため、その対策として行われた。
  • 3次形 (C11 141 - 246)
    貨物列車牽引に対応して軸重増加を図るため、水槽容量を増大したため、側水槽の下端が運転室床面より低くなり、背部炭庫の上辺が水平となった。重見式給水加熱装置は、最初から取付けられていない。
  • 4次形 (C11 247 - 381)
    資材と工数を節約した戦時設計機で、除煙板は木製となり、砂箱と蒸気ドーム被いはかまぼこ形となった。後年の装備改造で3次形までと同様の形態に改められたものが多いが、砂箱と蒸気ドーム被いは原形のまま残ったものがある。

製造年次ごとの番号と両数は次のとおりである。

  • 1932年 : C11 1 - 22(22両)
  • 1933年 : C11 23 - 43(21両)
  • 1934年 : C11 44 - 55, 57 - 58(14両)
  • 1935年 : C11 56, 59 - 84(27両)
  • 1936年 : C11 85 - 98(14両)
  • 1937年 : C11 99 - 125(27両)
  • 1938年 : C11 126 - 140(15両)
  • 1940年 : C11 141 - 200, 215 - 226(72両)
  • 1941年 : C11 201 - 208(8両)
  • 1942年 : C11 209 - 214, 227 - 238(18両)
  • 1943年 : C11 239 - 251, 267(14両)
  • 1944年 : C11 252 - 266, 268 - 281(29両)
  • 1945年 : C11 282 - 311(30両)
  • 1946年 : C11 312 - 370(59両)
  • 1947年 : C11 371 - 381(11両)

製造所別の番号(製造番号)と両数は次のとおりである。

  • 汽車製造(60両)
    • C11 1 - 8(製造番号1174 - 1181)
    • C11 30 - 34(製造番号1206 - 1210)
    • C11 55, 56(製造番号1269, 1270)
    • C11 66 - 68(1289 - 1291)
    • C11 76 - 78(製造番号1292 - 1294)
    • C11 84(製造番号1335)
    • C11 133 - 170(製造番号1552 - 1559, 1906 - 1935)
  • 川崎車輛(88両)
    • C11 9 - 16(製造番号1409 - 1416)
    • C11 24 - 29(製造番号1447 - 1452)
    • C11 35 - 44(製造番号1453 - 1462)
    • C11 49 - 54(製造番号1502 - 1507)
    • C11 59 - 65(製造番号1527 - 1533)
    • C11 72 - 75(製造番号1534 - 1537)
    • C11 81 - 83(製造番号1593 - 1595)
    • C11 93 - 98(製造番号1672 - 1677)
    • C11 113 - 120(製造番号1856 - 1859, 1865 - 1868)
    • C11 171 - 200(製造番号2333 - 2343, 2353 - 2364, 2375 - 2381)
  • 日立製作所(53両)
    • C11 17 - 21(製造番号462 - 466)
    • C11 45 - 48(製造番号520 - 523)
    • C11 79, 80(製造番号626, 627)
    • C11 85 - 92(製造番号716 - 723)
    • C11 99 - 101(製造番号810 - 812)
    • C11 105 - 109(製造番号851 - 855)
    • C11 121 - 125(製造番号949 - 953)
    • C11 201 - 214(製造番号1482 - 1491, 1496 - 1499)
    • C11 247 - 251(製造番号1669 - 1673)
    • C11 266(製造番号1779) - 宇部鉄道へ割り当ての予定だったが、戦時買収により直接鉄道省籍に編入された。
    • C11 267(製造番号1702) - 樺太庁鉄道へ割り当ての予定だったが、南樺太の内地編入により直接鉄道省籍に編入された。
  • 日本車輛製造(180両)
    • C11 22, 23(製造番号268, 269)
    • C11 57, 58(製造番号334 - 335)
    • C11 69 - 71(製造番号336 - 338)
    • C11 102 - 104(製造番号467 - 469)
    • C11 110 - 112(製造番号486 - 488)
    • C11 126 - 132(製造番号561 - 567)
    • C11 215 - 246(製造番号973 - 984, 1108 - 1119, 1167 - 1174)
    • C11 252 - 265(製造番号1221 - 1228, 1251 - 1256)
    • C11 268 - 381(製造番号1343 - 1372, 1380 - 1408, 1418 - 1472)

[編集] 民間向けの同形機

前述のとおり、内地外地合わせて11社へ20両が納入されている。

  • 京南鉄道(朝鮮)
    • 25 : 1935年・日立製作所(製造番号624)
    • 26 : 1936年・日立製作所(製造番号725)
  • 日本炭鉱高松鉱業所 - ここの2両は、除煙板を装備していなかった。
    • C1101 : 1941年・日立製作所(製造番号1578。発注者は日産化学)
    • C1102 : 1943年・日立製作所(製造番号1741。発注者は日本鉱業)
  • 松尾鉱業
    • C118 : 1942年・日立製作所(製造番号1260) → 1952年譲渡・雄別鉄道C118(1970年廃車)
  • 樺太人造石油
    • C111 : 1942年・日立製作所(製造番号1396)ソ連接収後の消息不明
    • C112 : 1944年・日立製作所(製造番号1783)同上
  • 宇部油化工業
    • 101 : 1944年2月・日立製作所(製造番号1648) → 1947年譲渡・江若鉄道ひら」 → 1950年改番・C112 → 1953年5月譲渡・三岐鉄道 C111 → 1955年1月譲渡・羽幌炭礦鉄道 C111(1970年12月廃車)
  • 内淵人造石油(樺太)
    • 4 - 6 : 1944年・日本車輛製造(製造番号1257 - 1259)ソ連接収後の消息不明
  • 東武鉄道
    • C112 : 1945年・日本車輛製造(製造番号1290。奥多摩電気鉄道発注。1963年廃車)
  • 雄別炭礦尺別専用鉄道 - 砂箱が角形、蒸気ドームが丸形、除煙板も角張った戦時形
    • C1101 : 1944年7月・日本車輛製造(製造番号1331) → 1944年11月譲渡・三菱鉱業大夕張鉄道(1972年9月30日廃車。長島温泉SLランドに保存後解体)
  • 江若鉄道
    • ひえい」 : 1947年・日本車輛製造(製造番号1423) → 改番 C111 → 1957年譲渡・雄別鉄道(埠頭線)C111 → 1970年譲渡・釧路開発埠頭C111
  • 三井鉱山芦別鉱業所専用鉄道→三井芦別鉄道
  • 同和鉱業片上鉄道
    • C11-101 : 1947年5月・日本車輛製造(製造番号1474)1968年10月29日廃車
    • C11-102, 103 : 1949年・川崎車輛(製造番号3191, 3192)1968年4月1日廃車

[編集] 運用

最初は主に西日本の都市近郊や主要支線で使用された。近畿地方の快速列車を牽引した際には特急と張り合う俊足ぶりを発揮した。やがて活躍の場を広げてほぼ全国各地に配属され、主にローカル線の列車牽引に使用された。気動車が普及するにつれて余剰となり始め、1960年頃から少しずつ廃車が出たが、使いやすさには定評があり、貨物列車用や入換用として蒸気機関車の末期まで数多く残った。 また、優等列車の牽引としてはさくらの佐世保編成のうち、早岐駅 - 佐世保駅間牽引に、早岐機関区の本形式が、1965年10月から1968年の9月まで使用された。これは、早岐駅でスイッチバックする必要があったためである。

[編集] 譲渡

動態保存用を除く本形式の払下げは、雄別鉄道への3両とラサ工業宮古工場専用鉄道への1両 (C11 247) 、三井鉱山奈井江専用鉄道への1両 (C11 226) の計5両が存在する。

雄別鉄道へは、C11 65が1961年(昭和36年)、C11 127が1962年、C11 3が1964年(昭和39年)に国鉄から払下げられ、江若鉄道からのC11 1、松尾鉱山鉄道からのC11 8とともに5両体制で1970年の廃止まで貨物列車の牽引用に使用された。

[編集] 主要諸元

(1次車の諸元を示す)

  • 全長 : 12650mm
  • 全高 : 3900mm
  • 軌間 : 1067mm
  • 車軸配置 : 2-6-4 (1C2)
  • 動輪直径 : 1520mm
  • 弁装置 : ワルシャート式
  • シリンダー(直径×行程) : 450mm×610mm
  • ボイラー圧力 : 14.0kg/cm²(のち15.0kg/cm²)
  • 火格子面積 : 1.60m²
  • 全伝熱面積 : 103.0m²
    • 過熱伝熱面積 : 29.8m²
    • 全蒸発伝熱面積 : 73.2m²
      • 煙管蒸発伝熱面積 : 63.2m²
      • 火室蒸発伝熱面積 : 10.0m²
  • ボイラー水容量 : 3.8m³
  • 大煙管(直径×長サ×数) : 127mm×3200mm×24本
  • 小煙管(直径×長サ×数) : 45mm×3200mm×87本
  • 機関車運転整備重量 : 66.05t
  • 機関車空車重量 : 51.90t
  • 機関車動輪上重量 : 36.96t(運転整備時)
  • 機関車動輪軸重(最大) : 12.40t(第3動輪上)
  • 水タンク容量 : 6.8m³
  • 燃料積載量 : 3.00t
  • 機関車性能
    • シリンダ引張力 :
    • 粘着引張力 :
    • 動輪周馬力 : 610ps

[編集] 保存機

[編集] 動態保存

小型で運転線区を選ばず扱いやすいことや、比較的に維持費が安く済むことから2008年現在、日本の動態保存中の蒸気機関車としては最多の5両が各地で保存運転を行なっている(以下動態保存開始順)。

[編集] 大井川鐵道

大井川鐵道で一番新しいC11 190

大井川鐵道では、SLの動態保存を日本で一番早く開始し、国鉄時代に始まった「SLやまぐち号」よりもその歴史は古い。 2両のC11形 (C11 190, 227) が動態保存されており、いずれも「SL急行(かわね路号)」として、大井川本線金谷駅 - 千頭駅を1往復している。2007年2月現在で状態が良好なのは、2003年(平成15年)に大井川鐵道で一番新しく復活させたC11 190、次いで1976年(昭和51年)からずっと走ってきているパイオニアのC11 227である。

上記2両の他、現役時代会津若松で運用されていたC11 312は、展示されていた三重県のドライブインあら竹より譲り受け、1988年から動態保存機として使用されてきたが、台枠関係の老朽化が激しく、動輪の軸焼けを起こすことが多かったことから、2007年(平成19年)9月8日のさよなら運転をもって運用を終了した。現在は部品取り車となっており、既にいくつもの部品を外された状態で新金谷駅の側線に留置されている。このC11 312のボイラーはC11 227に、ATSC56 44に移設されている。なお、C11 227はボイラー移設の際、汽笛もそのまま譲り受けており、そのためC11 227がC11 312の汽笛を使用して運転されている。

C11 190は現役時代、熊本でお召し列車を牽引した栄誉ある経歴があったため、復活当初はお召し仕様であったが、2007年の検査で通常の仕様に戻されている(2007年の検査ではナンバープレートのみお召し仕様(緑地に金文字)で残していたが、2008年7月の復活5周年記念ヘッドマーク取り付け時より通常のナンバープレート(黒地に金文字)に変更された。2009年春の定期検査後、再びナンバープレート及び連結棒が緑に戻された。また、2008年の「ナイトトレイン」以降から先述の2009年の検査までの間にはヘッドライト横にシールドビームの副灯が追加されている。2009年9月9日には、鉄道部品店ジャパレが主催とする団体列車「銀河超特急999号」の牽引機として充当された当日は、TVアニメ版銀河鉄道999の999号を模した装飾を施して運転されている。

C11 227は、過去に数回、イベントで「それいけ!アンパンマン」のキャラクター「SLマン」を模した姿に改装されたことがある。このときは塗装や前面が大幅に変更された他、車体にアンパンマンの登場キャラクターのフィギュアが乗せられていた。現在ではSLマン仕様に改造されることはなくなったが、装備していたフィギュアは新金谷駅のプラザロコに展示保存されている。

[編集] 北海道旅客鉄道

SL冬の湿原号として運転されるJR北海道のC11 171 + 207の重連運転。2002年1月20日 釧網本線 美留和駅 - 川湯温泉駅間にて

北海道旅客鉄道(JR北海道)では、C11 171, C11 207が動態保存されている。

1995年(平成7年)惜しまれながら廃止となった「C62ニセコ号」から4年を経た1999年(平成11年)に、「SLすずらん号」としてC11 171が動態復元されることとなった。

C11 171は1940年(昭和15年)川崎車両にて製造。1942年(昭和17年)から廃車まで、一貫して北海道内で使用された。廃車後、標茶町の桜町児童公園にて静態保存されていたが、JR北海道からの要請で苗穂工場にて動態復元がなされた。「SLすずらん号」としての運転開始を皮切りに、「SL函館大沼号」「SLふらの・びえい号」、「SL冬の湿原号」など道内のSL列車に用いられた。

C11 207は1941年(昭和16年)日立製作所笠戸工場にて製造。C11 171と同じく、一生を北海道で過ごした機関車である。濃霧の多い線区で使用されたため、前灯が除煙板のステー上に2個装備されている、「カニ目」、「蟹」と呼ばれる非常に独特な外見となっている。C11 207は2000年(平成12年)に動態復元されたが、復活1年目は車軸の異常な発熱により(SLニセコ号運転初日には本機が充当される予定だったが、当日は故障したため、代わりにC11 171が担当した)、まともに走ることができず、翌年になって本領を発揮。「SLニセコ号」を中心に、「SL冬の湿原号」などにも使用され、時折C11 171と重連運転も実施している。

[編集] 真岡鐵道

真岡鐵道C11 325(2009年1月)

C11 325が真岡鐵道で動態保存されている。

本機は1946年(昭和21年)3月28日に日本車輌熱田工場にて落成。1943年から1947年にかけて合計135両と最も多く製造された4次形の1両として、製造された。本機が製造された時期は日本にとって、苦難の時代であった。戦争のため物資の不足や徴兵による熟練工の不足、空襲による生産設備破壊など過酷な環境下で生産が行われた。このため、木製除煙板や角形(かまぼこ形)の蒸気ドーム・砂箱など「戦時設計」「戦時工程」による大幅な簡素化が図られた。C11 325も、戦時設計による角型のドームを有していた。

本機はまず、東海道本線の茅ヶ崎機関区に配属され、相模線南武線、入換などに用いられた。21年後の1967年(昭和42年)3月、奥羽本線の米沢機関区へと転出し、米坂線左沢線で使用された。1972年(昭和47年)、左沢線でSL運転が終了されるにあたり、本機が「SLさよなら列車」を牽引し、その後廃車とされた。翌1973年(昭和48年)、新潟県水原町(現・阿賀野市)水原中学校に無償譲渡、静態保存されることとなった。

1996年(平成8年)、C12 66により「SLもおか」を運転していた真岡鐵道が、予備機として使用するため、3月27日に水原中学校から真岡鐵道真岡駅前に移設された。翌1997年(平成9年)11月より、JR東日本大宮工場(現・大宮総合車両センター)にて動態復元工事が行われた。この復元工事にあたり、元の設計の1次形にならい、戦時設計だった角(かまぼこ)型ドームを通常の丸型ドームに付け替えた。翌1998年(平成10年)9月に動態復活を果たし、10月に真岡鐵道に引き渡された。同月9日より試運転が行われ、この時「SLもおか」を牽引していたC12 66との重連での試運転が幾度か行われた。11月1日、全国の第三セクター鉄道による「ふるさとレールフェスタ」に併せて、C12 66を従えて初の営業運転に投入された。

その後は、ホームグラウンドである真岡鐵道での「SLもおか」のC12 66の予備機、及び重連運転用としての使用のほか、2001年(平成13年)にはJR東日本へ貸し出され、出張運転も実現した。以下は、本機の出張履歴である。特記以外全て使用される客車は高崎車両センターの旧型客車である。

JR東日本に貸し出され、SL会津只見号として運行された真岡鐵道のC11 325。2006年10月9日
  • 2001年10月6 - 8日・2004年2月7・8日:只見線会津若松駅 - 只見駅「SL&DL会津只見号
    • 只見線全線開通30周年を記念しての特別復活。この時は上り只見発会津若松行き列車をDE10形が牽引。
    • 2004年運転は、初の冬季運転。豪雪の中を運転。
  • 2002年10月12 - 14日他:只見線会津若松駅 - 只見駅「SL会津只見号
    • 只見駅の転車台を整備して復活。以後、毎年運転につき、省略。
    • 2007年の運転からは、5月運転で「新緑」、11月運転に「紅葉」という名前が追加されている。
  • 2003年4月1 - 4日:八戸線八戸駅 - 久慈駅「SLうみねこ号
    • 北東北デスティネーションキャンペーンのオープニングイベントとして運転。
  • 2003年9月27・28日・2004年7月19日:陸羽西線新庄駅 - 酒田駅「SLもがみ号
    • 別称「SLおしん号」。下り新庄発酒田行き列車の蒸気機関車は前向き、上り酒田発新庄行き列車の蒸気機関車はバック運転。
    • 翌年は「おいしい山形デスティネーションキャンペーン」の一環としても再運転。
  • 2004年 - 2006年磐越東線郡山駅 - いわき駅「SLあぶくま号
  • 2004年3月28日:水戸線小山駅 - 下館駅「SLもおか」小山延長運転
    • 単機で小山駅 - 下館駅間を牽引。下館駅到着後、茂木方にC12 66を連結し真岡駅までプッシュプルで運転。真岡駅から先はC12 66の単機牽引。
  • 2004年7月1 - 4日・2005年9月17 - 19日:左沢線山形駅 - 左沢駅「SLおいしい山形号
    • 「おいしい山形デスティネーションキャンペーン」のオープニングを飾った。32年ぶりの里帰り運転。
    • 好評のため、翌年にも「SL秋祭り号」として臨時運転。
    • 2007年6月9・10日の運転は列車名を「SLさくらんぼ号」に変更。以降毎年6月中旬に運転。
  • 2007年10月20・21日・2008年10月25・26日:石巻線小牛田駅 - 女川駅「SLホエール号
  • 2008年12月20日(下り小牛田発新庄行き列車)・21日(上り新庄発小牛田行き列車):陸羽東線小牛田駅 - 新庄駅「SL湯けむり号
    • 「SLホエール号」と同様、仙台・宮城デスティネーションキャンペーンの一環として運行。12系客車使用。
    • 当初D51 498で運転の予定だったが、同機のボイラー不具合により代走。最後尾にディーゼル機関車DE10形を連結しての運転となった。
    • 2009年12月5・6日にもD51 498復活後であるが、本機を使用して再度運転がされる予定である。なお、5日の新庄駅→小牛田駅間の運転は「SLつばさ10周年号」と称して運転がされる。旧型客車使用で最後尾にDE10形を連結して運転予定。

[編集] 参考文献

  • 小沢年満「C11 190号機 復活への道程」
交友社『鉄道ファン』2002年8月号 No.496 P.168 - P.170
  • 白井昭・橋本英樹「大井川鐵道C11 190号機の復元工事状況」
交友社『鉄道ファン』2002年7月号 No.495 P.126 - P.129
  • 種村直樹「大井川でC11 190号機復活運転 提供者、社員、ファンの総意が実る
鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』2003年10月号 No.444 P.64 - P.69


[編集] 静態保存

新橋駅前のC11 292
(2008年撮影)

国鉄を代表する蒸気機関車の一つであるC11形は廃車後、全国各地で静態保存された。このうちC11 1は青梅鉄道公園に、C11 64は梅小路蒸気機関車館に保存されている。

また、ニュース番組などで「新橋のSL広場前から…」と言うことがあるが、その新橋駅SL広場にあるのはC11 292である。

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かつて関西・広島地区等で放送されていた黒田食品「十一の奈良漬」のCMにもC11 261が登場していた。

[編集] 脚注

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  1. ^ もっとも戦時体制下で貨物輸送能力増強が要請されたことから、1940年度以降に製造された第3・4次車については軸重がC10形並に増加している。

最終更新 2009年11月16日 (月) 05:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【国鉄C11形蒸気機関車】変更履歴

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