土蜘蛛

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鳥山石燕今昔画図続百鬼』より「土蜘蛛」(妖怪)

土蜘蛛(つちぐも)とは、実在するクモの名前ではない。以下のような意を持つ。

  1. 天皇に恭順しなかった古代の土豪の名前。
  2. 日本に伝わる巨大なクモ妖怪で、別名「八握脛(やつかはぎ)」「大蜘蛛(おおぐも)」[1]
  3. の演目。五番目物の鬼退治物。土蜘蛛 (能)を参照。

また、海外の熱帯地方に生息する大型の地表徘徊性蜘蛛のグループオオツチグモ科は、これらに因んで和名が付けられているが命名は後年近代に入ってからであり、直接的にはやはり無関係である。

目次

[編集] 土蜘蛛(土豪)

古代日本における、天皇への恭順を表明しない土着の豪傑などに対する蔑称。『古事記』『日本書紀』に「土蜘蛛」または「都知久母(つちぐも)」の名が見られ[2]陸奥、越後、常陸摂津豊後肥前など、各国の風土記などでも頻繁に用いられている。

例えば、『肥前国風土記』には、景行天皇が志式島(しきしま。平戸)に行幸(72年)した際、海の中に島があり、そこから煙が昇っているのを見て探らせてみると、小近島の方には大耳、大近島の方には垂耳という土蜘蛛が棲んでいるのがわかった。そこで両者を捕らえて殺そうとしたとき、大耳達は地面に額を下げて平伏し、「これからは天皇へ御贄を造り奉ります」と海産物を差し出して許しを請うたという記事がある。また、『豊後国風土記』にも、五馬山の五馬姫(いつまひめ)、禰宜野の打猴(うちさる)・頸猴(うなさる)・八田(やた)・國摩侶、網磯野(あみしの)の小竹鹿奥(しのかおさ)・小竹鹿臣(しのかおみ)、鼠の磐窟(いわや)の青・白などの多数の土蜘蛛が登場する。 また一説では、神話の時代から朝廷へ戦いを仕掛けたものを朝廷は鬼や土蜘蛛と呼び、朝廷から軽蔑されると共に、朝廷から恐れられていた。

土蜘蛛の中でも、奈良県大和葛城山にいたというものは特に知られている。大和葛城山の葛城一言主神社には土蜘蛛塚という小さな塚があるが、これは神武天皇が土蜘蛛を捕え、彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めた跡といわれる[3]神武天皇#怒濤の進撃も参照)。

一般に土蜘蛛は、背が低く、手足が長く、洞穴で生活していたといわれる。これは縄文人の体形と、農耕ではなく狩猟や採集を主とする穴居生活から連想されたものらしく、このような生活習慣の違いなどが人々からさげすまれた原因とも考えられている[2]

[編集] 土蜘蛛(妖怪)

妖怪の土蜘蛛と戦う源頼光
『土蜘蛛草紙』より、古屋敷で頼光たちの前に現れる異形の妖怪たち

時代を経るに従い、土蜘蛛は妖怪として定着していった。

人前に現われる姿は鬼の顔、虎の胴体に長いクモの手足の巨大ないでたちであるともいう。いずれも山に棲んでおり、旅人を糸で雁字搦めにして捕らえて喰ってしまうといわれる。

14世紀頃に書かれた『土蜘蛛草紙』では、京の都で大蜘蛛の怪物として登場する。酒呑童子討伐で知られる平安時代中期の武将・源頼光が家来の渡辺綱を連れて京都の洛外北山の蓮台野に赴くと、空を飛ぶ髑髏に遭遇した。不審に思った頼光たちがそれを追うと、古びた屋敷に辿り着き、様々な異形の妖怪たちが現れて頼光らを苦しめた、夜明け頃には美女が現れて目くらましを仕掛けてきたが、頼光はそれに負けずに刀で斬りかかると、女の姿は消え、白い血痕が残っていた。それを辿って行くと、やがて山奥の洞窟に至り、そこには巨大なクモがおり、このクモがすべての怪異の正体だった。激しい戦いの末に頼光がクモの首を刎ねると、その腹からは1990個もの死人の首が出てきた。さらに脇腹からは無数の子グモが飛び出したので、そこを探ると、さらに約20個の小さな髑髏があったという[4][5]

土蜘蛛の話は諸説あり、『平家物語』には以下のようにある(ここでは「山蜘蛛」と表記されている)。頼光がマラリア)を患って床についていたところ、身長7尺(約2.1メートル)の怪僧が現れ、縄を放って頼光を絡めとろうとした。頼光が病床にもかかわらず名刀・膝丸で斬りつけると、僧は逃げ去った。翌日、頼光が四天王を率いて僧の血痕を追うと、北野神社裏手の塚に辿り着き、そこには全長4尺(約1.2メートル)の巨大グモがいた。頼光たちはこれを捕え、鉄串に刺して川原に晒した。頼光の病気はその後すぐに回復し、土蜘蛛を討った膝丸は以来「蜘蛛切り」と呼ばれた[6]。この土蜘蛛の正体は、前述の神武天皇が討った土豪の土蜘蛛の怨霊だったという[2]。この説話はの五番目物の『土蜘蛛』でも知られる[2]

一説では、頼光の父・源満仲は前述の土豪の鬼・土蜘蛛たちの一族と結託して藤原氏に反逆を企んだが、安和の変の際に一族を裏切って保身を図ったため、彼の息子である頼光と四天王が鬼、土蜘蛛といった妖怪たちから呪われるようになったともいう[7]

京都市北区上品蓮台寺には頼光を祀った源頼光朝臣塚があるが、これが土蜘蛛が巣くっていた塚だといい、かつて塚のそばの木を伐採しようとしたところ、その者が謎の病気を患って命を落としたという話がある[6]。また、上京区一条通にも土蜘蛛が巣くっていたといわれる塚があり、ここからは灯籠が発掘されて蜘蛛灯籠といわれたが、これを貰い受けた人はたちまち家運が傾き、土蜘蛛の祟りかと恐れ、現在は上京区馬喰町の東向観音寺に蜘蛛灯籠が奉納されている[6]

似た妖怪に海蜘蛛がある。口から糸を吐き人を襲うという。九州の沿岸に出るとされる[8]

『土蜘蛛草紙』 其の八~其の十三
『土蜘蛛草紙』 其の八~其の十三

[編集] 脚注

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  1. ^ 岩井宏實 『暮しの中の妖怪たち』 河出書房新社河出文庫〉、2000年、156頁。ISBN 978-4-309-47396-2
  2. ^ a b c d 京極夏彦多田克己編著 『妖怪画本 狂歌百物語』 国書刊行会、2008年、293-294頁。ISBN 978-4-3360-5055-7
  3. ^ 村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、222頁。ISBN 978-4-620-31428-0
  4. ^ 谷川健一監修 『別冊太陽 日本の妖怪』 平凡社、1987年、64-74頁。ISBN 978-4-582-92057-4
  5. ^ 宮本幸江・熊谷あづさ 『日本の妖怪の謎と不思議』 学習研究社、2007年、74頁。ISBN 978-4-056-04760-8
  6. ^ a b c 村上健司 『日本妖怪散歩』 角川書店角川文庫〉、2008年、210-211頁。ISBN 978-4-04-391001-4
  7. ^ 多田克己 『幻想世界の住人たち IV 日本編』 新紀元社〈Truth in fantasy〉、1990年、77頁。ISBN 978-4-915146-44-2
  8. ^ 山口敏太郎・天野ミチヒロ 『決定版! 本当にいる日本・世界の「未知生物」案内』 笠倉出版社、2007年、32頁。ISBN 978-4-7730-0364-2

[編集] 関連項目

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最終更新 2009年8月29日 (土) 19:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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